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ナポレオンヒルを読んだ だめ男の日記

だめ男がナポレオンヒルの成功哲学を読みました。成長過程。ニート数年→ホワイト企業に就職。超オナ猿→オナ禁完全習慣化500日以上。大食い→一日一食。もっと減らせるけど周りが許さない。これからの目標。書籍化。不食。運動器具の商品化。信頼することも大事だけど信頼される人になるように自分を成長させていこう。辛いことがあっても環境のせい、誰かのせいにせず、試練と考え自分を成長させていくように。辛いに線が一本入れば幸せに。困難が有っても発想を変え乗り越えれば有難うに。その精神を基礎に自分を磨き感謝の日々を忘れないよう

訂正)信頼を重視しすぎることが残酷を超えた残酷さを超える。2

信頼が大事と言う人は無自覚の敵の駒である

※リンク先が全てバグってたのでリンク先を訂正。


信頼を重視しすぎることが残酷を超えた残酷さを超える。←前回のリンク



前回の続きです。ここでの信頼は対悪人や慈善の対象などを信頼しすぎた場合の話しがメインです。




前も書きましたが同じようなことを言ってる人を聞いたことがなく、理解者皆無だと思うので自己満足ブログとして書きます。




俺は今の世の中の仕組みを真逆にしたほうが、平和が訪れるのではないかと考えています。



信頼を与えるのが重要だと言われてますが、この考えには大きな危険があると感じるのです。



信頼を与えることで人が変わる。


期待に答えようとしてその人が頑張ってくれる。


偏見を持たず普通の人と同じように扱うことでその人の心がひらかれる。


大まかに言うとこんな理論でしょうか。





俺が人生で出会った最高の本と言っても過言ではない「人を動かす」にも似たようなことが書いてあります。



重要感を持たせることで人が変わる。



盗人にも五分の理を認める。

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では、なぜこの考えが危険だと思うのか。




前回も書きましたが、信頼を重視しすぎれば危機意識、防衛意識を無くすことになる。













信頼してるから疑わない。



信頼してるから心配という概念もなくなる。



心配されることすら嫌悪する場合もある。



防衛意識が無くなり、自分だけでなく他人も危険な目に合わせる場合がある。














しかし、危険な目に合わせてることに本人は気付くことはない。




もしくは気付いていても、周りの痛みを計算にいれてソレを行おうとする場合がある。



信頼を重視しすぎてある意味薄情になる時すらある。








どんな生物にも防衛本能があります。



無警戒に姿をあらわさない。



敵がいるかもしれないと思い用心する。




遭遇したら即戦う体勢になるか逃げる。








食欲や性欲と同じようにあるのが防衛本能です。




その防衛本能の真逆に位置する思考になってしまうのが、信頼を重視しすぎることです。




もしもの備えや、防衛という概念がないのですから、危機が来ないほうが不思議に思うのは俺だけでしょうか。









平和に見える言葉のほとんどに当てはまると思うのですが、その言葉を過信しすぎれば、そこには真逆の結果が生まれます。






平和を過信しすぎれば防衛意識が薄れ危機を呼ぶことになる。





愛を与えすぎれば甘やかしになり、与えられた相手は自分で考えられない人になったり、打たれ弱い人になったりする。





自己成長できず、他人から尻を叩かれないと動けない人間になったりする。











そして多くの人が信頼を与えるのが重要だと言ってるのですが、俺は信頼を得るような人間になっていくのが重要だと思っています。






信頼を与える。信頼を得る。



似てるが全く違うものです。











信頼とは本来、簡単に与えれるものではありません。




こちらが警戒心を持っていたとしても、その警戒心を溶かし、信じたくなる人柄を持ってる人が、信頼出来る人のはずです。




企業でも人でも、信頼を得ることの重要さを知っています。



そして、それを簡単に得られないのも知っています。












だらけた生活をしている人には得ることが難しいものであり、成長を心がけていった結果、やっとの思いでもらえるのが信頼ではないでしょうか。






例えば企業にとっては、信頼は場合によってはお金より得ることが難しいものであり、そして何よりも欲しいものではないでしょうか。










このように得るのが難しい信頼を、悪人や慈善の対象は簡単に得ることができるのが、今の慈善の仕組みです。




俺は信頼を与えすぎではないかと思えて仕方ないのです。




平和に見える言葉は、過信すれば真逆の結果が生まれると書きました。













前回書いた移民の悲劇ですが、← リンク 多くは欧州付近での出来事を載せました。




実は欧州の仕組みは、日本にも負けないお花畑の側面を持っています。



人が悪になったのは環境のせいだという考え。



信頼が大事だという考え。



まさに俺が否定している考えがそこにあります。







俺はこの考えこそが福祉の手本とまで言われた福祉の仕組みを壊し、過剰に悪を擁護する仕組みを作り、そして悪を悪とわからず呼び込み国を壊した元凶だと考えています。





日本もこのままでは同じ道を辿るのではないでしょうか。



彼らから見たら救うべき対象だった可哀想な人を受け入れました。



信頼には信頼が返ってくる。こちらが思いやりを持って接すれば、彼らはこたえてくれると思って受け入れたはずです。



しかし、その結果はどうでしょう。



彼らの考えと真逆のことが起きており、彼らは国を乗っ取る勢いで増え続けるだけでなく、治安を悪化させ暴れまわっています。



参考 移民過去記事
http://ameblo.jp/ganbaredameomajide/entry-11755885450.html






しかし、俺からするとこの結果はそこまで驚くことでもないのです。彼らから見た被害者に見える人たちは、俺から見れば立派な加害者なのです。




環境は人を作る大事な要素ですが、環境は神や誰かが勝手に作ってるのではありません。




可哀想に見えるほど過酷に見える国の状況を作ってる一員には、間違いなくその人達も含まれているのです。





その証拠に国や環境が変わっても、現地でやっていたように他国で暴れまわっている。いや、下手すると現地にいた時よりも暴れるようにさえなっている。





このようなモラルが崩壊した人達が集まった結果起きてるのが、お花畑から見た可哀想な国の状況です。







彼らが真に平和を願っている人達だらけなら、自国の混乱をとめる力になり、他国で暴れるよりは感謝を優先するはずなのです。






しかし、環境のせいにすればそれが見えなくなるどころか、加害者と被害者が逆転してしまうこともある。




環境のせいにしたため人柄を見抜くことができず、信頼を重視しすぎた結果、もしもの備えをすることがなかった。




信頼には信頼が返ってくると思ってる人にとっては、信頼は最強の防御方法のように思われています。





しかし、信頼は防衛とは真逆のもので、無防備であり、もしもの備えすら持つことをしない非常にもろい考えで、何かあった場合は好き放題されてしまう危険性を持っているものではないでしょうか。



こちらが警戒しても信頼できるほどの人柄を持った人だと感じたら、安心や安全が手に入るでしょう。


しかし、こちらが無条件に信頼を与えるから安心とはならないのです。





信頼がもたらした悲劇的な現状が今の欧州の問題です。信頼しすぎて無防備で受けれた結果、もはや国の形は様変わりし、残酷を超えた残酷をさらに超えた状況がそこにあります。





簡単に信頼せず、悪なる行為を厳しく取り締まる法律をつくるべきだった。



もっと疑い、簡単に受け入れず、厳しい入国の仕組みを作るべきだった。




何かあったら容赦なく帰国させる非道さも持っていたら、この状況は変わっていたのではないでしょうか。





この仕組みを非人道的と思う人もいるかもしれません。しかし、悪い事をしない人にとっては、全く関係のない仕組みです。




国の仕組みを厳しくしたとしても、それを突破してくる人柄をもってるのが、本当に信頼に値する人のはずです。





信頼に値する人を受け入れることと、信頼を与え受け入れることは全く違うのです。







今の世の中は信頼だけではなく、あらゆるものを悪人や慈善の対象に与えすぎだと俺は思っています。





俺が思う慈善とは、やる気のない人にやる気を与えるようなものであり、悪人である人が善人を目指したくなるものにしなければいけない。





今の仕組みは、得るものが難しい信頼も権利もお金すらも最初から与えようとする。





最初から与えてしまえば、それを得るために向上する気持ちを折るどころか、それを得るためにあらゆる手段をとるようになり、逆に破壊的な衝動を強めたりもする。報道されませんが、これは現在の日本でも起きてることです。





そこまでいかなくても、例えば生活保護などがパチンコに平気でつぎ込んだり、不正受給するような人に渡ってしまう。だらけた生活をしていてもお金が手に入る場合もある。






オリンピックを目指せるほど自分に厳しく生きた人は、他の人が遊びたい時に遊ばず、逃げたい時も逃げずに自分に厳しく生きてきた。そんな人には国からの支援がほとんどなかったりする。




マジメに勉強し、清く正しく生きた人が、進学を目指すお金がなく挫折したりもする。






頑張ってる人には何もなく、頑張ってない人どころか、国を混乱させそうな人に率先して色々なものが与えられる。





この仕組みを逆にしないと、怠け者はますます怠け者になり、頑張り屋は何も支援がない現状が続いてしまう。




例えば、ホームレスにご飯を与えることは、働かず食べていける暮らしを用意してしまっている。頑張る気持ちを呼び起こすつもりの慈善が、全く逆の効果をもたらしてると俺は思っている。



彼らに必要なのは働こうとする意欲であり、それを呼び起こす仕組みにしないといけない。それが身を結べば社会復帰に繋がる。



必ずこなせるであろう最低限の課題を作る。それがステップアップすれば何かしらの支援や働き口が見つかるような仕組みにする。



むやみやたらに支援する環境を作るのではなく、やる気が出た人をさらに支援する環境を作ってこそ、慈善の環境は生かされるのではないだろうか。




しかし、その人が絶対にこなせるであろう最低限のこともしない、やる気がない人を支援する必要はないと思っている。



なぜなら、ろくでなしを援助し、お金や権利を与えれば、ろくでもない使われ方をするからである。



これまでと違い、簡単に信頼を与えないことこそ、普通の人と同じ扱いをしていることになり、信頼を得ようとする原動力になる。




頑張ってる人に支援がいき、怠け者には支援がいかない仕組みをつくることは、怠け者の向上心を刺激することにもなる。




しかし、それを実行するには、簡単に信頼せず、頑張らない人を見捨てるような非人道性がないといけない。





でも、俺はそれが本来の慈善の姿であり、今よりも平和をもたらす仕組みだと思えて仕方ないのです。



最後に。


カーネギーの理論や、信頼を与えて人を変える理論は、ここまで書いてアレなのですが、そこまで間違っていると思っていません。


多くの人に当てはまる本当に素晴らしい理論だと思います。


しかし、全てに当てはまるわけではなく、例外があることを言いたいのです。



なぜなら、悪人が他人の信頼を得た時こそ、悪の行為を決行する時の場合が多々あるからです。




そして、冒頭から言ってるように、信頼を与え、それを過信しすぎることは逆に破滅を呼び込む恐れがあることを言いたいのです。




今までとは違い、怠けたくなる時に頑張り

怒りに満ちた時に罵声ではなく自分を戒めることを覚え

周りに優しくするように心がけ

自分自身を成長させるように心がけた結果



自然と信頼はその手の中にあり、誰かが援助するまでもなく、環境も今までとは違うものになってると俺は思うのです。



無条件に信頼を与えすぎる今の仕組みに大きな疑問を持つ理由。


誰か納得してくれる人はいるのでしょうか。皆無だとしても俺はこれを叫び続けるのです。


続きはこちら
http://ameblo.jp/ganbaredameomajide/entry-11916172990.html


予告


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憲法は日本を永遠に非武装のままにしておくことを最大の目的としていた。 

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メモ加害者と少年の人権 
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/36737298.html

メモ「お節介弁護士を何人か撃ち殺してやる」 
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/36737391.html

メモ死刑が殺人を防ぐという研究結果が出ました 
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/36737432.html


メモそして殺人者は野に放たれる 
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/36737483.html

メモ身内が虐殺されても「死刑廃止」と主張できますか 
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/36737519.html

メモ黙って殺されちゃえばいい 
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/34294166.htm

メモ「犯罪者にも事情がある」平岡秀夫
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/36737593.html