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政治メイン版 元ニートだめ男のブログ

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カーネギーはお花畑ではない

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アンドリューカーネギーの富の福音を買ったのですが、人の助け方や世の中の仕組みについての考えが、俺と恐ろしいほど一致しておりました。




思ってた内容とかなり違いましたが逆にそれが良かった。だめ男の俺が言うのではなく世界一の金持ちが言うと説得力が違うからだ。







人は内容よりも誰が言うかを重視したがる。俺が言っても聞かない人も少しは聞いてくれるかも?





俺が今書いてる平和主義者が平和を壊すとかなり似てる部分が多かったので引用です。





考えや発言が似ていても、向こうは世界一の金持ち、俺は何も達成してない糞デブ不細工ニートおっさんなので、向こうは不名誉かもしれませんが。




富の福音/きこ書房
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文字数が多くなるので、省略し引用します。

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P18-19
私達は貧乏なことは不幸だと思い、富に恵まれていたら幸福に出来ると単純に考えている。



しかし、貧しい暮らしは安らぎを失った富豪の暮らしよりもはるかに価値がある。




使用人に囲まれ、家庭教師から教育をうけ、人生の喜びや悲しみを知る事なく育った富豪の子供達は可哀想だと言わざるをえない。



富豪の子供は貧しい者だけが知る財宝を知ることがないのである。







P19
平等の名の元に貧困を追放しようとするだけなら人間社会の美徳を生み出す基盤を根底から破壊することになりかねない。








P22
あまりにも快適な環境にいれば自分の成長がそこでとまってしまうカーネギーは考えたのだった。








P40
社会の下積みになっているのは、君たちが能力があっても自分の力で引き出そうとしてないからだ。



※俺の意見。環境は人を構成する大事な要素だが、それだけで人が決まるのではなく、その人自身が頑張ろうとしてないからそこにいるのだ。



移民もそうだ。日本人で例えたほうがわかりやすいので日本人で例える。日本人が相手国の言葉も文化もろくに勉強せず他国に入国したとする。




当然仕事が簡単に見つかるわけがない。むしゃくしゃして犯罪もしたくなる。



その人が犯罪を犯したら、きちんともてなさないその国が悪いのか。



そんなわけはない。その人自身がその国の文化を尊重し、学ぼうともせず、犯罪を犯すような横暴者だから人がさけるのだ。



まずは優しくされるのを待つのではなく、自分から優しくし、学ぶ気持ちと向上心を持ち、犯罪を犯さない心を自ら持つのが必要でしょう。


人から言われないと犯罪を抑えられない、向上心も持てない横暴者なら受け入れた側が火傷する。



しかし、移民受け入れ派のお花畑は、上のような人を被害者だと言っている。目に見える自称被害者を救い、慈善を行う自己満足はするが、彼をもてなす事で起こる、それ以上の数になる見えない被害者達には興味がないのである。






P42
不平等を不快に思うのならば、それを向上のエネルギーにすることだ。そうして自分を高めるのが本当の生き方だ。









P46
不平等であることに不満を唱えた改革案は、提案者が言うような素晴らしい結果を生み出すという保障はない。








P47-49 ここは長いので自分なりにポイントを絞って俺の言葉としてまとめました。






共産主義社会にすることは大変結構なことである。(本の中では、色々な話題が出てきますが共産主義の言葉でまとめます。ここで言う共産主義とは、富を平等にわかちあう、人類平等平和主義のようなものです。まさにお花畑の理想郷)







しかし、それを実現させるのは社会の進化という穏やかなものではなく、過去の全てを断絶した革命と言わざるをえない。







これを成功させようとするなら人類の天性そのものを変えなければいけない。それは到底100年のあいだに成し遂げられるようなものではない。






私達がしなければいけないことは今すぐ実行できることであり、今日、あるいは今世紀中に達成できる目標にするべきである。






改良、改善を考えずにどのような効果を生むかわからないものを実行しようとするのは無謀を通り越した犯罪行為とさえ言えるだろう。
※俺がお花畑を残酷だと言った理由はこれと同じ。カオスがくるのがわかって痛みを持って受け入れろと軽く言った言葉の破壊力に気付いていない。





移民問題は500年以上の歴史を持つアメリカでも使いこなせてない理論で、移民問題は世界中に混乱をもたらしている。





移民問題戦争以上の破壊力と影響力を持ってしまうのは何度も言っているけど、これが実現するなら逆に日本国民の雇用や給料も悪化し、高齢化も進み、治安が悪化する。







なぜそうなるかは割愛。歴史の授業で無抵抗主義を教えているように、学校や福祉団体でも移民受け入れ推奨してるはずだが、安易に流されず危険性にも目を向けるべき。







簡単に言えば平和主義の多くの場面で言えること
だが、その言葉や思想は正しく立派で美談に満ちていても、それを行うとなると理想と現実は違う結果になる世の中が今なのだ。





それは我々の意志とは無関係に暴走する。





無差別に与え、もてなすのではなく、人や場面によって変えなければ、何度もいってるようにこちらが痛い目をみる。



P60 こちらも長いので俺の言葉でまとめてます。


慈善と称される行為のほとんどは、それを受ける人の遊び癖を助長し、泥酔を励まし、怠惰を推奨しているのと変わらない。





私が目撃した一例をあげよう。


ある男が乞食に25セントを与えた。


彼は慈善を施すという自分の感情を満足させた。






しかし、彼は25セントがどのような原因をもたらし、結果をもたらすのか考えてないのである。



慈善を行う時は、助けるべきは自分自身で努力してる人に限るのである。




関係のない人から無料、無償で援助を得て何かを達成するのは恥ずかしいと考えるのが普通である。





頑張ってる人にその手段の一部として与えるのが真の慈善で、手を挙げて待ってる人に与えることではない。



価値のない人を助けないことも、価値のある人を助けることも同じように必要なのである。





そうしなければ、与えてはならない人に力がいき、与えるべき人を黙殺する結果になるだろう。






※外国人に生活保護、留学生に資金援助、ホームレスにご飯を与えるとか、移民問題等々。今の日本にあげればキリがないほどある。しかし、今の福祉、司法業界はとにかく与え、お客様扱いのはず。それが逆に上記のようなおかしい仕組みを作ってしまう。今は仕組みを考え直すべき時期のはず。だって悪用されてる例も多発してるのですから。








P204
例えば私たちが人道主義的な熱意を持ち、相手にとっては良いはずだと、一方的な思
い込みから義務と運命に燃えて100人のフィリピン人を連れてきたとする。




五番街の素晴らしい家に住ませ不自由ないだけの財産も与え彼らを文明人にしたてあげたとする。




ところがその結果はどうであろうか。見張りでもつけなければ彼らは命の危機をかえりみず、自分の国に戻ろうとするに違いないのである。




フィリピン人にとってはフィリピンこそが神から与えられた最良の文明なのである。




神よ、人間は神の名によって時としてなんと奇妙なことをしでかすものか!




恩恵を与えたいといっても、そういうことは私たちの力にあまるのである。

※移民だけでなく違う思想や価値観を持つものの考えは簡単には変わらない。


引用ここまで

俺が今まで書いてきたほどんどの理論を言ってくれているが、まだ書いてないセリフもカーネギーが言ってくれている。





神の名の元に奇妙なことをしでかしているだ。




お花畑流平和主義者は、平和の名の元に、まるで神のような技を使える錯覚に陥っている。




口酸っぱく言ってるが、こちらが信頼すれば、向こうが改心すると思う考え。お客様扱いすれば、向こうは大人しくなると思う考え。信頼する、一歩引く、お客様扱いする、それらは養分になる事は何度も言ってるが、彼らはそれが届くと思っている。





その考えは相手次第では危ない考えになるというのを信じてくれない。←リンク。外国の方もこの考えが危ないと警告しています。



繰り返すけど全員じゃないですよ。相手次第です。


悪を改心させるのはキリストも出来なかった神の所業である。




しかし、彼らはそれが出来ると信じて疑わないし、こちらが良い子ちゃんでいれば戦争も起きないと思っている。




移民もこちらが良い環境を提供すれば、彼らがおとなしくなると思っている。



改心しない場合は、日本側に痛みを受けれることで解決しようとする。




もちろん改心する人もいるし、信じたりお客様扱いをやめろという事ではないが、それを人や状況を見ずに、無差別に行うのは危険なのである。そして時にはお客様扱いではなく、子育てのように厳しくも強い愛が必要なはず。




過剰な愛は甘やかしや自己満足になりかねない。それは相手にとって幸せなようで不幸な場合もある。




カーネギーも似たようなことを言ってくれていてありがたい。覚醒する人増えますように。


スイス政府「民間防衛」に学ぶ 
http://nokan2000.nobody.jp/switz/

▼スイス政府 国民保護庁 著「民間防衛」(civil defense)


武力を使わないで他国を侵略する段階を説明しています。

マスコミは乗っ取りがほぼ完了しており機能していません。


第一段階 「 工作員を送り込み、政府上層部の掌握と洗脳 」

第二段階 「 宣伝。メディアの掌握。大衆の扇動。無意識の誘導 」

第三段階 「 教育の掌握。国家意識の破壊 」

第四段階 「 抵抗意識の破壊。平和や人類愛をプロパガンダとして利用 」←移民受け入れ政策とか地球市民思想とか。

第五段階 「 教育やメディアを利用して、自分で考える力を奪う 」

最終段階 「 国民が無抵抗で腑抜けになった時、大量移住で侵略完了 」 イマココ 




「魚介類が豊富で、湖にはウナギが群がっていて、カラカの実が鈴なりの島……しかも大勢いる島民は、戦うことを知らず、武器を持っていない」という知らせを、ニュージーランドにむかう途中でチャタム諸島に立ち寄ったオーストラリアのアザラシ漁の舟がもたらし、九〇〇人のマオリ族がチャタム諸島へむかって舟を出したのである。


一八三五年十一月十九日、ニュージーランドの東五〇〇マイル(約八〇〇キロ)のところにあるチャタム諸島に、銃や梶棒、斧で武装したマオリ族五〇〇人が突然、舟で現れた。


十二月五日には、さらに四〇〇人がやってきた。彼らは「モリオリ族はもはやわれわれの奴隷であり、抵抗する者は殺す」と告げながら集落の中を歩きまわった。数のうえで二対一とまさっていたモリオリ族は、抵抗すれば勝てたかもしれない。


しかし彼らは、もめごとはおだやかな方法で解決するという伝統にのっとって会合を開き、抵抗しないことに決め、友好関係と資源の分かち合いを基本とする和平案をマオリ族に対して申し出ることにした。


しかしマオリ族は、モリオリ族がその申し出を伝える前に、大挙して彼らを襲い、数日のうちに数百人を殺し、その多くを食べてしまった。生き残って奴隷にされた者も、数年のうちにマオリ族の気のむくままにほとんどが殺されてしまった。


チャタム諸島で数世紀のあいだつづいたモリオリ族の独立は、一八三五年十二月に暴力的に終わりを告げたのである。 マオリ族の兵士はこう説明する。


「われわれは、自分たちの慣習にしたがって島を征服し、すべての住民を捕まえた。逃げのびた者は一人もいない。逃げた者は捕まえて殺した。残りの者も殺した。それがどうしたというのか。われわれは、自分たちの慣習にしたがって行動したまでである」 ジャレド・ダイアモンド著『銃・病原菌・鉄』P77より



民間防衛と共におすすめの本。是非一読を。

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