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「武力で平和守るの?」

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瀬戸内寂聴氏の安保法案反対集会に参加で石平氏が提案
 集団的自衛権の行使を可能にすることを盛り込んだ安全保障関連法案に反対する集会が6月18日、東京・永..........≪続きを読む≫


瀬戸内さんが軍靴の足音がすぐ後ろに来ているとして安倍政権を批判した。




彼らは戦争に反対しているのではない。



反日勢力は意図的に日本が戦争できない国=自分を守れない弱い国にしようとしている。


お花畑は武力放棄の行きつく先が、チベット化にあることをわかっていない。


戦争に反対する気があるのなら、平和を願うのなら、現在進行形で乗っ取りや虐○を行っている国に対して抗議を行うべき。




しかし、お花畑は敵と味方がわからないため、平和のための行動もおかしいことになってしまう。




このような平和主義者が戦争を逆に呼び込むとも知らずに。






このことに関して過去記事と合わせて再アップ。




軍靴を鳴らしているのは日本ではなく周辺国である。




日本がとろうとしているのはそれらに対する防衛だ。





彼らは靴なんてレベルではなく、実際に実力行使に出てチベット、ウイグルだけに留まらず、その覇権を世界に広げようとしている。




中華思想は同等は認めない。



弱所があればそこを攻め奪い、弱者がいれば救済ではなく虐殺してきた歴史がある。




それを現在進行形で行っていて、日本は明確なターゲットにされている。



それを軍事力以外で防ぐことは不可能だ。



いや、話し合いでなんとか出来ると言う人がいれば、南沙諸島に行け。チベットに行け。解決出来たらノーベル平和賞はあなたのものだ。



現実からあまりに乖離した理想論は、形を変えた破壊論でしかないのを多くの人が認識していないのだ。




そして多くの人が勘違いしているが、戦争に巻き込まれようとしているのは日本ではない。



日本は完全に戦争のターゲットにされている。



巻き込まれているのではなく既に当事者なのである。





今回の件は、日本とその他周辺各国との戦争に「アメリカが巻き込まれる恐れがある。」というのが正しいと思う。




アメリカの世論が「日本には助ける価値がない。」と判断すれば、我々は第二のチベットになる未来がすぐそこに待っている。




チベットで苦しみ焼身自殺している人や、虐殺されている多くの人々が、日本の平和主義者には見えていないのだ。






これが未来の我々の姿になるかもしれないのに。  





以下過去記事




<長崎原爆の日>「誓い」の城臺さん「武力で平和守るの?」

 (毎日新聞 - 08月09日 12:40)

あえて引用記事載せてないですが、タイトルだけで腹いっぱい。

日本は核兵器を持ってないない。


しかし、お隣中国では「日本に向けて核を打つ仕組み」が出来ている。


日本に向けて現在進行形でミサイルを打つ国もある。


でも、日本の平和主義者は決して彼らに向かって「打つな」「核を持つな」とは言わない。


日本に向かって持つなという。



彼らに向かって敵意を向けるなとも言わない。

日本に向かってそれを言う。

平和を愛してるなら「実際に敵意と兵器」を持つ側に言うべき。




しかし、彼らの精神は終始一貫している。



日本が平和のために犠牲になることが正しいと思っている。



だから、こちらが痛い思いをすることをなんとも思っていない。



社会党は1950年代の内部の集会では「非武装中立というスローガンで日本の防衛力を封じ、ソ連軍あるいは中国人民解放軍の日本国内導入をもって日本を社会主義国化させる」と公言していた。



共産党と社会党は、ポーランドやルーマニアなど東欧がソ連軍の侵攻占領によって共産化したことを、日本のモデルケースにしていた。


ある共産主義の教授は、「ソ連が攻めてきたら、まず白旗を上げて降状し、次に赤旗を上げてソ連のような共産主義国になろう」と主張していた。



国的自衛権の行使不可、自衛隊海外派遣反対、非核三原則、専守防衛、社共両党以外における与野党のこれらの主張や政策の根源にあるものはただ一つ、すなわち「日本を共産国家に占領してほしい」という売国思想をそのルーツとするものだが、彼らはそれを自覚さえもしていない。



ルーツは忘れられたが、その精神は日本の「教育」にしっかりと刻まれている。



マルクスの『共産党宣言』の結びの言葉には 「共産主義者は、全てのこれまでの社会的秩序を暴力的に転履することによってのみ、自分の目的が達成され得ることを公然と宣言する」とある。



どこが平和主義なんだかわからないのだが、これが今の日本の平和主義の根幹の考えである。


しかし、もちろんこのようなことを「公言」するはずもない。こんなことを口走れば「警戒」されるに決まっている。



だから、平和な言葉で日本人を誘導し、見えない力で日本人を偽りの平和主義者に変えていく。平和な言葉なので疑われずすんなり教育できる。


非武装でいましょう。かわいそうな移民を救いましょう。これは形を変えた日本弱体化政策でしかないが、情に弱い日本人は「ごもっとも」と納得してしまう。


本来警戒が必要だが、悪に対していかに「信じること」が重要か教育されており、疑うことが悪とされてるので、日本人の思考は停止している。


社会党は「凶器を持って押し入ってくるのは、空き巣やコソ泥ではなく強盗。


強盗は鍵がかかっておろうとおるまいと、錠前なんかは打ちこわして侵入してくる」とのべて自衛隊は無意味で不要だと説いた。  

さらには「強盗に押し入られたとき、私たちは『抵抗せよ』と教えたり教えられたりしているでしょうか。



この場合の抵抗は、死を招く危険の方が強いことを誰もが知っています」 「思いきって降状した方がよい場合だってあるのではないか」と説いている。




つまり


日本における反戦平和主義とは、国民「見殺し」主義に他ならない。これを無自覚に平和のために受け入れいてる。



これを学校で教えているのだから、争いや問題があっても、何も言えない、行動も起こせない、見てみぬふり、悪が改善するまでの痛みは仕方ない、移民受け入れよう、日本を守るよりも痛みを持って耐えようとか、書ききれないほどの「嘘の平和」が日本に蔓延する。





悪に対して用心しよう、注意しよう、戦おうとはならず、もてなそう。信じようとなる。たとえ痛みがあろうとも、その痛みに耐えるのが「平和」になる。


心理学的には自殺と他殺は紙一重でほぼイコールだと言う。死にたい人は同じくらい殺したい人がいるというわけだ



では、無抵抗平和主義の人はどうだろう。彼らは決して死にたいほど憎い人がいるわけではない。


しかし、敵のために死ぬことを受け入れている。正義のための痛みは当然と思っている。


自分の痛みに鈍感なのだから、他人の痛みに対しても鈍感になってしまう。






そうして日本の平和主義者は、平和の名の元に「無自覚に」平和を壊していく。 




無抵抗平和主義は平和を呼ばない。無抵抗を決意した時点で敵側がかえって攻撃心を強める。戦いとは強きもの達の中ではそう簡単に起きるものではない。


一方が「これはいける」と思う「隙」がある時や、争い以上の利益がある時に戦争が始まる。



日本の無抵抗主義や、豊富な資源(特に海洋資源スゲー)は格好のターゲット以外の何物でもないのを自覚してお花畑から脱出すべき。


戦う悲惨さばかりを教師は教える。それは一見正しいように思われる。しかし、戦わず占領されたほうが遥かに残酷なのを教えないことこそ残酷なのだ。



チベット、ウイグルに幸せがあるだろうか。平和のためにも守る気持ち、戦う気持ちは大事なのだ。無抵抗では何も救えない。


と、言っても
日本人の多くはこの声が届かないほど完膚なきまで洗脳されてるので、日本の未来は限りなく暗い。



「魚介類が豊富で、湖にはウナギが群がっていて、カラカの実が鈴なりの島……しかも大勢いる島民は、戦うことを知らず、武器を持っていない」という知らせを、ニュージーランドにむかう途中でチャタム諸島に立ち寄ったオーストラリアのアザラシ漁の舟がもたらし、九〇〇人のマオリ族がチャタム諸島へむかって舟を出したのである。 

 一八三五年十一月十九日、ニュージーランドの東五〇〇マイル(約八〇〇キロ)のところにあるチャタム諸島に、銃や梶棒、斧で武装したマオリ族五〇〇人が突然、舟で現れた。
十二月五日には、さらに四〇〇人がやってきた。彼らは「モリオリ族はもはやわれわれの奴隷であり、抵抗する者は殺す」と告げながら集落の中を歩きまわった。

数のうえで二対一とまさっていたモリオリ族は、抵抗すれば勝てたかもしれない。

しかし彼らは、もめごとはおだやかな方法で解決するという伝統にのっとって会合を開き、抵抗しないことに決め、友好関係と資源の分かち合いを基本とする和平案をマオリ族に対して申し出ることにした。 

 しかしマオリ族は、モリオリ族がその申し出を伝える前に、大挙して彼らを襲い、数日のうちに数百人を殺し、その多くを食べてしまった。

生き残って奴隷にされた者も、数年のうちにマオリ族の気のむくままにほとんどが殺されてしまった。

チャタム諸島で数世紀のあいだつづいたモリオリ族の独立は、一八三五年十二月に暴力的に終わりを告げたのである。 

 マオリ族の兵士はこう説明する。「われわれは、自分たちの慣習にしたがって島を征服し、すべての住民を捕まえた。逃げのびた者は一人もいない。逃げた者は捕まえて殺した。残りの者も殺した。それがどうしたというのか。われわれは、自分たちの慣習にしたがって行動したまでである」 

ジャレド・ダイアモンド著『銃・病原菌・鉄』P77より 









日本の悪との戦い方を教えない教育を不思議に思う台湾人のありがたい言葉。

 

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