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ナポレオンヒルを読んだ だめ男の日記

だめ男がナポレオンヒルの成功哲学を読みました。成長過程。ニート数年→ホワイト企業に就職。超オナ猿→オナ禁完全習慣化500日以上。大食い→一日一食。もっと減らせるけど周りが許さない。これからの目標。書籍化。不食。運動器具の商品化。信頼することも大事だけど信頼される人になるように自分を成長させていこう。辛いことがあっても環境のせい、誰かのせいにせず、試練と考え自分を成長させていくように。辛いに線が一本入れば幸せに。困難が有っても発想を変え乗り越えれば有難うに。その精神を基礎に自分を磨き感謝の日々を忘れないよう

大阪の市立学校の約4割の先生が、生徒からの挑発を体験

信頼が大事と言う人は無自覚の敵の駒である

絡みかかってくる手を払いのけるだけで、「やれるものならやってみろよ」「体罰で訴えるぞ」というような言葉を、子どもから投げかけられる学校現場の状況が問題になっています。大阪の市立学校の約4割の先生が、「そういう挑発を受けた経験がある」と答えたそうです。

私も長く教員をしてきたので、先生たちの苦悩や困難を思わずにはいられません。しかし、私の知る多くの熱心な先生たちは、一人一人に関わり、信頼に基づいた粘り強い取り組みをして成果をあげています。現状は、一部の力による指導に対する、しっぺ返しとしての「炎上」状態なのかもしれません。

それにしても、なぜ子どもたちはそのような発言をするのでしょうか?改めて「やれるものならやってみろ、体罰で訴えるぞ」という子どもたちの発言の意味を考えたとき、指導への反抗という印象の裏に俺的チェックポイント1「先生たちは力で指導する方法しか持っていないのか?力を封じられたら何ができるのだ?」という問いを含んでいるように感じます。 力で生徒を指導してる先生って今どれだけいるんですか。このゆとり教育の中、そんなに熱い先生がいたら逆に褒め称えたい。俺には先生の力不足以上に、生徒のモラル不足だと感じるが。

俺的チェックポイント2彼らは、力に頼る指導の背景に「それしかできない教師(大人)の無力さ」を感じ取っており、「挑発」はそれに対する痛烈なメッセージなのではないでしょうか。今行ってる教育が「力」だと思うようなぬるい考えだから、生徒がどうせ何も出来ないだろうと舐めてかかって挑発を行ってるのでは。そして、実際こちらにとって痛いことは何もしてこないから、やめることなく挑発が四割にまで増えてるのでは。


教師は今こそ、その痛烈な問いかけに「人間教育のプロ」として答え返すことが求められているように思います。

「挑発」の背景に理解が必要

では、彼らの「挑発」にどう対応すれば良いのでしょうか。最初に考えるべきことは、「挑発」の意図です。その行動にどのような背景や理由があるにせよ、「挑発」である限り直接的な意図は、「こちらを刺激すること」でしょう。その「挑発」に乗せられ感情的になることなく、冷静な対応が必要です。

次に、「彼らがなぜそのような挑発をすることになったのか」という背景への理解が必要です。例えば、学校や先生の指導に対する不満なのか、大人一般への反抗なのか、あるいはクラスや友人関係などのストレスの発散なのか、それとも、ただ雰囲気に同調しただけなのかもしれません。 十人いればそれぞれ背景は違うでしょう。「挑発する子ども」でひとくくりにすることなく、表面の行動の裏にあるそれぞれの心理的背景を見据えた「人間理解」と、それに基づいた個別な対応が求められています。

職員が意志統一し、集団としての規範を保つ努力が求められる

同時に集団としての規範を保つ努力が求められます。これには学校をあげて、職員集団が意志統一して対応することが大切です。具体的には、学校として「何をどう指導するか」という客観的なガイドラインを作ることと、それを指導する「教師の安心・安全」を守る体制が必要です。対応の基準や方法が主観的・情緒的なものであったり、対応に当たる教師が孤立し不安でバラバラな状態では、とても子どもたちの秩序を産み出すことはできません。そのためにも明確なガイドラインと、教師が孤立しないよう、さらには学校が孤立しないよう、保護者・地域・外部機関を巻き込んだ教師・学校を支援・応援する仕組みが必要となるでしょう。

これらの基盤の上に、「十分な理解と信頼に基づいた日々の人間関係」を積み重ねることが大切だと思われます。俺的チェックポイント3「理解と信頼に基づいた人間関係」は子どもたちの感情の暴発に一定のブレーキとなるはずです。事態をたちどころに解決する「魔法の特効薬」とは成り得ないかもしれませんが、スクールカウンセラーなどの専門家と連携を取り、理解と安定に基づいた信頼のおける人間関係や教育的対応の積み重ねこそ、荒れた心に秩序を取り戻す一番の近道であるような気がします。先生の信頼不足だからこの問題が起きるというのですか。先生はこんな場面でも怒らず生徒を信頼してるのではないですか。挑発という我々の世代には信じられないような「とんでもない行為」をしてもなお、罰する思考が皆無だからこそ、さらに勢いがつき、こんなモンスターが生まれるのではないですか。

http://jijico.mbp-japan.com/2014/07/08/articles10843.html

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教育は国のかなめになる部分だが、教育はGHQによって徹底的に「優秀だった頃の日本」の色を消されたところである。





  • この憲法は占領軍によって強制されたものであると明示すべきであった。歴史上の事実を都合よくごまかしたところで何になる。後年そのごまかしが事実と信じられるような時がくれば、それはほんとに一大事であると同時に重大な罪悪であると考える」←今がコレ(『プリンシプルのない日本』より)



  • 憲法にしろ色々の法規は、米国でさえ成立不可能な様なものをどしどし成立させ益々得意を増していった。一寸夢遊病者の様なもので正気かどうかも見当もつかなかったし、善意か悪意かの判断なんてもっての外で、ただはじめて化学の実験をした子供が、試験管に色々の薬品を入れて面白がっていたと思えばまあ大した間違いはなかろう」←お花畑の原因の一つ(「文藝春秋」1954年臨時増刊号より、GHQ内部の人々を評して)


    日本憲法は日本を永遠に非武装にするのを最大の目的としていた。日本人の心は既に非武装が完了している。だからお客様扱いでしか悪と対峙出来ない。

http://ameblo.jp/ganbaredameomajide/entry-11796916118.html



無抵抗平和主義を教え、自虐史観を教え、愛国心を無くし、戦う気持ちを無くし、無自覚に内部から国を破壊している日教組達。



普通の人がこれを見たら、正論で素晴らしいと思うはず。



でも、俺は全然違う。




ここには、俺が見る今の日本の問題が見え隠れしている。



日本人は良い子でいれば平和が保たれると思っている。



しかし、「良い子過ぎる」からこそ、隣国から挑発され、島を武力で奪われ、今も好き勝手に反日組織がやっている現状がある。



ようするに舐められている。



教育に限らず、平和や平穏のためには「厳しさ」が必要な時がある。



今の教育にはそれが全くない。



それが全くないからこそ生徒から舐められて挑発をうける。



そして、その挑発をした後でさえも、罰する発想は皆無で「信頼が」とか言ってるから、反省の機会を壊し、生徒はこれで罰せられないと学習し、余計に破壊的な行動を強める。




信頼を示してもやめてくれる「人道的な生徒だけ」とは限らないのだ。信頼など関係なく、先生を困らせるのが楽しい人だっている。しかし、今の教育はこのような考えは認めていない。






ここには、良い子でいれば争いが起きないとか、信頼を示せば相手が非人道的な行為をやめてくれるという「ぬるい考えのせいで」敵国が余計に非人道な衝動を強めている、今の日本の状況がそのまま見て取れる。






綺麗事こそ万能の解決策というお花畑日本人思考と、その思考のせいで逆に平和が壊れてしまう現状そのもの。









戦うや罰するという発想も皆無で、信頼でなんとかなると思っている。しかし、狂った人もいれば狂った国家もある。そういった人にとっては、信頼は無意味どころか「何もしてこないのかコイツは」と調子づかせるだけだ。








わることをした人がわるい。悪いことを注意するという本来当たり前の原則がぶっ壊れ、悪いことをした人が擁護され、相手を注意するのではなく、先生のほうが注意されている。







常日頃言ってる被害者と加害者の逆転もここで起こっている。被害者は生徒にひどいことをされている先生であり、真面目に授業をうけている生徒である。この生徒は挑発だけでなく、他にも迷惑行為をしているのではないか。でも、この人がまるで被害者のようだ。






この発想にとらわれると、信頼や良い環境を提供していない(はずの)「先生」が悪者になってしまう。実際、改善の矢印は全て先生に向かっている。問題を起こしている生徒を注意する思考が全く見えない。





改善を訴えるのは、問題のある生徒にするべきではないのか。どんな親でも子供が悪い事をすれば叱る。子供が悪い事をした時に、子供を怒らず周りに責任転換する親は、ただのモンスターペアレントだ。





これは形を変えたおかしな責任転換だ。おかしいから、生徒も暴走し、学校が益々おかしくなる。





このままでは、先生がどんなに頑張っていても、非人道的な行為をする生徒がソレをやめない限りは先生が責められる。








悪いのは、こちらが良い人なのにも関わらず「敵意の刃を向けて来る側」なのに。先生は被害者なのに可哀想。







この人が言ってるのは、人は本来善なのだから信頼でことは良くなるだろうという理想論にすぎない。この状況になっても生徒を注意する発想がなく、綺麗事のみに終始するこの状況は、子供をどんな場面でも注意せず、甘やかして育て、逆にモンスターを生み出す状況そのものだ。






信頼を重視しすぎること。環境のせいにすることは、国に混乱をもたらすと思っているが、その全ての思想がここに凝縮されている。





生徒は反省することなく、さらに暴走し、頑張っている先生が責められる。そして、秩序がなくなりまわりも苦しむ。俺には解決策ではなく、破壊の策にしか見えない。





悪い事をしている「本人」か親にやめるように言おうとは思わないんですかね。本人を注意して止まらないなら、親を交えてと思いますが、大抵親もおかしいので先生がさらに苦しむ。






それを教育委員会などは理解するはずもないから、再度先生のせいになる。板挟みの先生が可哀想で仕方ない。先生は悪くない。











こんなことを言っても、俺の意見は理解者皆無で、討論すれば綺麗事が絶対に勝つ。俺の理論は諸刃の剣でもなく、今の日本人にはただの暴言にしか見られない。子供を愛を持って叱るように、厳しくする愛もあるのに、ソレが消えるからこんなことが起きるんだ。











評論家の石平さんが「日中友好」をこう表現していた。
 

「乱暴者の貪欲男と痴情の深い貢ぐ女との怪しげな「恋愛関係」を表現する言葉。

中国にとっての「友好」の意味はすなわち、日本から取れるだけのものを取っておきながら、なおさら日本のことを思う存分苛めてやることであるが、
日本にとっての「友好」はすなわち、中国に絞られるだけ絞られて叩かれるだけ叩かれながら、なおさら愛情一杯、中国に奉仕していくことである。


まさに現状をよく表す言葉であります。これで中国ちゃんは良い子になりますか?普通の人ならそうは思わない。でも、これを見て良い子になると思う人がいる。↑の人達だ。相手のためを思うなら、子供を愛をもって叱るような厳しさも必要な時があるのに。それは絶対に受け入れられない。




教育、司法、慈善。綺麗事しか言わなくなった人がどれだけ「逆に危険を呼び込む」のか、平和を叫ぶ本人達は知るはずもないのだ。







自殺した生徒にカッター向けていたのは遊びの延長でいじめではない

http://majikichi.com/archives/8453017.html



小3女子、いじめかばい暴行受けるが先生は遊びと判断
http://www.xanthous.jp/2014/07/02/aichi-bullying-problem/


天才が育たない日本の教育
http://ameblo.jp/ganbaredameomajide/entry-11866423464.html

黙って殺されちゃえばいい

http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/34294166.html


どうせ仕返ししてこないからミサイルを試しに打ってみようと言われてる日本
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/39039838.html


大阪で行われる反日乗っ取り教育。教師が日本人ではない人多数
http://hosyusokuhou.jp/archives/38067726.html

ゆとり教育は想像以上
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/34400716.html

中学生の性交経験率がアップする理由 
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/34410889.html

マスコミと教育界が左傾化した理由 
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/34411047.html

教師の性犯罪率が高い理由 
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/34411395.html


なぜ外国人を雇いたいのか 
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/34410826.html



理解者皆無でも叫び続けますm(_ _)m

  
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