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ナポレオンヒルを読んだ だめ男の日記

だめ男がナポレオンヒルの成功哲学を読みました。成長過程。ニート数年→ホワイト企業に就職。超オナ猿→オナ禁完全習慣化500日以上。大食い→一日一食。もっと減らせるけど周りが許さない。これからの目標。書籍化。不食。運動器具の商品化。信頼することも大事だけど信頼される人になるように自分を成長させていこう。辛いことがあっても環境のせい、誰かのせいにせず、試練と考え自分を成長させていくように。辛いに線が一本入れば幸せに。困難が有っても発想を変え乗り越えれば有難うに。その精神を基礎に自分を磨き感謝の日々を忘れないよう

環境のせいを肯定した時、あなたも残酷に染まる。

環境のせいを肯定した時あなたは残酷になる


タイトル

環境のせいを肯定した時、あなたも残酷に染まる。




今回も理解者ゼロの自己満足記事を書きます。



俺は信頼を重視しすぎることが残酷を超えた残酷さを超える。と書きました。
http://ameblo.jp/ganbaredameomajide/entry-11835047353.html


政治学者アレントは哀れみがテロリストの温床になり、残酷を超えた残酷を生み出すと言いました。
http://ameblo.jp/ganbaredameomajide/entry-11799737607.html






しかし、犯罪者や慈善の対象の環境を考慮し、同情して改善を行おうとすることは、慈善の対象だけでなく、慈善を行おうとする人自身も無自覚の残酷な思考に染まるようになり、その思考はテロリストの温床になるだけでなく、その人自身の思考もテロリストに変えてしまう。(人を傷つける行動を伴わない思考の残酷性)







さらに、無自覚の残酷さを宿すだけでなく、環境を考慮し改善を行おうとすることこそ、慈善の対象の反省の機会を壊し、その破壊の波を広げるというのを書きます







慈善の世界において当たり前の理論になっている、人が悪になったのは環境のせいなので環境を考慮し慈善を行う。信頼が大事だという理論にまっこうから逆らいます。







この考えは素晴らしく平和な理論に見えて、俺には破壊を呼ぶものにしか見えてないからです。






人は環境で決まるのでしょうか。遺伝でしょうか。その多くは環境で決まると思います。例外はいくらでもありますが、その多くは環境だと思います。その点に異論はありません。

※例外として遺伝の要素が大きい国の一例 リンク。下のほうに遺伝的な要素のことが書いてあります。








俺が問題にしたいのは、負なる行為を行った際の反省の仕方や対処方法についてです。その反省の仕方を間違い、哀れみの感情をもった時、破滅の波は広がります。







人は残酷だから非人道的なことをするのか。それとも平和な環境で育った人でも、特殊な状況下で誰でも残酷になるのか。







それを疑問に思い行われた実験を紹介します。通称アイヒマン実験と呼ばれるものです。wikiより引用 




前提条件

「記憶に関する実験」に関する参加者として20歳から50歳の男性を対象として募集された。実験協力者の教育背景は小学校中退者から博士号保持者までと変化に富んでいた。




実験の内容

被験者たちはあらかじめ「体験」として45ボルトの電気ショックを受け、「生徒」の受ける痛みを体験させられる。








この実験の肝とも言うべき部分は被験者には武器で脅されるといった物理的なプレッシャーや、家族が人質に取られているといった精神的なプレッシャーは全くないことである。









「教師」はまず二つの対になる単語リストを読み上げる。「生徒」が間違えると、「教師」は「生徒」に電気ショックを流すよう指示を受け、一問間違えるごとに15ボルトずつ電圧の強さを上げていくよう指示された。






ここで、被験者は「生徒」に電圧が付加されていると信じ込まされるが、実際には電圧は付加されていない。

75ボルトになると、不快感をつぶやく。
120ボルトになると、大声で苦痛を訴える
135ボルトになると、うめき声をあげる
150ボルトになると、絶叫する。
180ボルトになると、「痛くてたまらない」と叫ぶ。
270ボルトになると、苦悶の金切声を上げる。
300ボルトになると、壁を叩いて実験中止を求める。
315ボルトになると、壁を叩いて実験を降りると叫ぶ。
330ボルトになると、無反応になる。


被験者が実験の続行を拒否しようとする意思を示した場合、次のように通告した。

  1. 続行して ください。
  2. この実験は、あなたに続行して いただかなくては。
  3. あなたに続行して いただく事が絶対に必要なのです。
  4. 迷うことはありません、あなたは続けるべき です。

四度目の通告がなされた後も、依然として被験者が実験の中止を希望した場合、その時点で実験は中止された。さもなくば、最大ボルト数として設定されていたXXXボルトの電圧が三度続けて流されるまで実験は続けられた。






実験の結果

実際の実験結果は、被験者40人中25人(統計上62.5%)が用意されていた最大V数である450ボルトまでもスイッチを入れた。









全ての被験者は途中で実験に疑問を抱き、中には135ボルトで実験の意図自体を疑いだした者もいた。何人かの被験者は実験の中止を希望して管理者に申し出て、「この実験のために自分たちに支払われている金額を全額返金してもいい」という意思を表明した者もいた。












しかし
権威のある博士らしき男の強い進言によって一切責任を負わないということを確認した上で実験を継続しており、300ボルトに達する前に実験を中止した者は一人もいなかった。



引用ここまで。



これだけ見ると人は環境に流され、人が苦しむ行為ですら行なうと思う人がほとんどだと思います。





人が悪になったのは環境のせいだから環境が悪い。悪なる行為をした人は世の中の被害者である。という理論もごもっともと言う人が大半かもしれない。






実験の前提条件にも書いてありますが、被験者は電流の痛みを知った上でボタンを押しています。それを知って押せるのですから、人はなんと残酷なのだと思う人もいるかもしれない。





しかし、俺はこの実験に平和のヒントを見ているのです。






電気を流され、痛くてたまらないと叫び、苦悶の金切声を上げる。壁を叩いて実験中止を求めるてもボタンを押す人がいる。







この環境を変えず、俺は言葉のみでこの状況を激変させてみせます。実験を行なう意味も合わせて書きます。※実際に実験できないので妄想実験ですが。





その1
「博士は嘘を言っています。この実験の責任は全てあなたにあります。何かあれば責任を負うのはあなたです」


実験目的
責任の方向性を変えることが、人の行為にどのような影響を及ぼすのか。自己に責任を求めることは、負の行為をどれだけ止める影響力があるのかを調べる実験。



仮説
自己に責任の矢印が向いた場合、多く人が実験をやめるのではないか。責任を自己に向けることは非常に大事なこと。というのを証明するための実験。反省する場合も環境のせいではなく、自己に向けることが大事である。←これは次回詳しく説明します。



これでも博士の言葉に流される人がいるとしても、次の言葉でまた状況を変えます。



その2
「今までの行為は全て映像と音声が記録され、証拠として残っています。しかし、今この行為をやめればこれは提出されません。やめますか」





実験目的

迷惑と思われる行為や犯罪行為をする場合は、恨みやモラルの欠如、充分な教育を受けることができなかった環境のせいなどと思われている。しかし、俺はこの世の多くの負なる行いの多く。つまり分母にあたるものは、全く違うものにあると感じている。悪意やモラルの崩壊をうちに秘めていたとしても、その悪意の銃弾を発射する原因は、違うところにあるのではないか。



仮説
非人道的な行為が行われる主な原因は、悪い事をしても案外見つからない。もしくは見つかっても捕まらない、もみ消すことも出来る。とにかく自分が犯人だとわからない状況を作ることができる。



そして、その行為で仮に捕まったり見つかったとしても、本人が
大したことがないと思ってた場合、犯罪を誘発していると思っている。




多くの犯罪は見つからない、見つかるわけがないという前提で行われているのがほとんどのはず。また、彼らは、見つかるまでに、見つかってない多くの犯罪や迷惑行為をしているはずである。




その行為が見つかり、必ず罰せられる状態になるなら犯罪は抑えられるか。を調べる実験。


補足1

実際にこのような実験をした場合は、被験者は俺をハメたなと怒り狂う人も出てくるはずなので、スムーズに行うのは非常に難しいと思われる。



補足2
荒れてる学校の生徒や、前科がある者、普段暴れるような人でも、まわりと調和して授業を受けるような場所がある。自動車学校だ。ここで暴れるのは免許が取れなくなるから損しかない。また、学校と違い暴れれば逮捕などのペナルティが発生する恐れがある。




逆に、学校で暴れる場合は、本人が大したことがないと思っている。また、罰則も実際に大したものはないはず。監視と罰則がもたらす非人道的行為の封鎖実験。ドバイもいい例かと。






しかし、俺はここで更に派生した実験をしたいので、こう問いかけます。






その3
「証拠はそろっており、これを提出すればあなたは捕まります。しかし、その代わり一億円をあげます。被験者は幸い死んでいませんし、苦しめただけなのでそんなに長い間刑務所にはいないでしょう。続けますか?」




その4
「被験者が死ぬまでボタンを押した場合、お金は三億だします。もちろん刑務所にいる期間は長くなるでしょう。しかし、あなたが例え10年や20年働いても手に入らない額です。やりますか?」





実験目的
非人道的な行為が行われる場合、恨みなどの感情以上に大きな要素を占めるのが損得だと考える。損であれば非人道的な行為は抑えられるのではないか。逆に得なら残酷にもなるのではないか。損得で人は残酷になるのかを試す実験。









番外編として信頼と慈善の残酷性の実験も行います。環境要因と過度の信頼は、破滅を呼び込むセットの思考だと思っているからです。そして、この実験で慈善を行うものが残酷者になることを証明します。







前提条件
窃盗の前歴がある人を数人用意する。



実験の内容
高価な品物が「無造作に多数」置いてある実験室に被験者を待機させる。品物は高価なものであることを事前に説明し、一個盗んでもわからないと思えるほど品物が無造作においてあるのが望ましい。





例)実験用の安い人工ダイヤを数百個置く。これを被験者には高価なものだと説明しておく。足元に落としたりとかしてもしておく。




ここで博士はしばらく席を外す。その時にの博士のセリフはこのパターンを用意する。



1 無言で立ち去る。


2 私はあなたを信頼していますからしばらく席を外しますと「信頼を与えること」「信頼してること」を充分伝えてから立ち去る。


3 この部屋には監視カメラがあるのでセキリュティーは万全なんですと言って立ち去る。


4 数は全て数えてあるので、何かあればあなたが犯人とすぐにわかりますと、信頼の真逆を与える。




実験目的
信頼と監視が非人道的な行為にどのような影響を及ぼすのかを調べる。信頼が本当に犯罪を抑えるのか。逆のほうが抑えるのか。




俺的には、この実験の最大のポイントは2にあるのだが、2で盗みをした人が現れた場合、こう言う人がでてくるはずである。




「目の前に盗みたくなるような環境があれば盗みたくなるものでしょう。彼は盗みの前科もあるし仕方ないじゃないですか。こんな実験をして責めるのは可愛そうです」



俺はこのようなことを言う人に声を大にしてこう言いたい。



「本当に可哀想なのは、信頼したのに高価なものを盗まれた人だろ!それだけでなく、その人を責め立てるお前が主をさらに可哀想にしてるだろ!被害者が誰かわかんねーのかお前は!」




この実験のメイン目的はこのやりとりです。




ハンナアレント社会主義と人権思想がテロリズムの温床になることを見抜いた。弱者に対する同情、虐げられたものに対するあわれみが野蛮を生み出すメカニズムを明らかにした。







得の源泉と考えられていた憐みは、残酷さそのものよりも残酷になる能力を持っていることを証明している。と言ったのですが、俺はもう一つ気づいたことがあるのです。






弱者に対する哀れみを持った人こそ、無自覚の残酷を超えた残酷を持つ人になるのです。





彼らの多くは愛のせいで、私達と同じ感覚で被害者と加害者を見ていません。俺からすれば被害者と加害者が逆転してるなんてザラにある。






なぜ、ここにテロリストの温床ができてしまう。身近で見ている彼らが取り締まる気持ち、悪を許さぬ気持ちがあれば温床はできません。






しかし、弱者に対する哀れみが、同情が、犯罪を止める力を失うだけでなく、反省の機会を壊し、味方になって彼らの土壌を潤してしまうのを証明する実験です。規模が変わればまさにテロリストの温床になるのです。←次回詳しく書きます。





しかし、一番注目しなければならないところは、これらの実験でスイッチを押さなかった人達がどのような環境で育ち、どのような教育を受けてきたかです。



どのサイトを調べても、押さなかった人を研究したものにはたどり着かなかった。




実験ではスイッチを押した人にばかりピントが合ってますが、最後まで押さなかった人達がいるんですよ!これこそ詳しく調べるべき人ではないのですか。




どの時代も、絶望の中でも希望を見つめる人がおり、彼らは環境に流されず、善を貫くことができた。そういった人達が国に平和をもたらし、人々を導き、平和を作ってきたはずです。環境に流される愚かさを彼らは知ってるはずです。






環境を考慮し、慈善を行なうのは本当に正しいのかを知るためにも。※俺的には正しいとは思わないが。






そして、世の中に平和をもたらすためにも調べるべきはこの人達です。彼らは、多くの人が流される環境にありながら善を貫いたのです。





平和をもたらすには、教育もさることながら、環境に流されず善を貫く気持ちを持ち、自己に責任を持って行動し、人々が犯罪に対して関心と監視の目を持ち、いざという時は厳しい罰則を行なうこと。






※上の実験はその正しさの一部を証明したい実験でもあります。また、環境のせいにして同情してしまうと、罰則の部分。「コラッ、そんなことやめましょう」が「仕方ないや可愛そう」になり罰則が消えてしまう。罰則も消え反省の機会も消える。平和に見えて危険なところに行きつく思想になっていると感じます。






俺はこれが現実的な平和の理論だと思っていますが、これを行っていたのがかつての日本ではないですか。それが戦後のGHQの偽平和憲法から様変わりしたのです。




言いたいことが全く書けてませんが、文字数の関係で次回に続きます。



犯罪者にも事情がある。←まさにコレ。平岡秀夫
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/36737593.html






日本人が覚えなければならないことは安易に信頼しないこと
http://ameblo.jp/ganbaredameomajide/entry-11950279233.html




安易に信頼してはいけないと他の人も言っている←クリック





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