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慈善のカオス編

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環境のせいを肯定した時、あなたも残酷に染まる。4 慈善のカオス編


俺が普段書いているようなことが起きてたので再アップしました。数回目の再アップですが、当時は俺の話しを聞かなかった人も今なら少しは聞いてくれると思いたい。


が、お花畑には馬の耳に念仏どころか、敵視されて終わります。好きな人に絶縁され、友達を無くしても俺は「現実的な平和」のために叫び続けますが。




ここから

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ドイツ国民「難民受け入れろ」→1ヶ月後→「難民受け入れるな!!!!!」クリック



【悲報】難民希望者20人、ドイツ首都ベルリンの難民登録センターを提訴「福祉を受けるための迅速な登録を怠った」「当局に圧力をかける」
クリック


可愛そうな人と怠け者の区別も出来ない人達クリック


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その後のことを考えない、民度の違いや国の事情を考えない、お花畑アッパラパー慈善は混乱を呼ぶだけだ。マスコミが報じない慈善の真実。




善意ある行動が、キレイな結果に繋がるとは限らない。


日本人が善意で作った井戸を巡り殺し合いが起こっている。


「善意は人を殺す」 のである。←これこそまさに俺が口酸っぱく言ってることではないか!
引用http://n-knuckles.com/case/society/news000848.html






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これも実際に起きたので貼り付け。



慈善もきちんと考えないと慈善と言う名の怠け者製造装置だったり破壊装置になり危険だと思ってますが、今の日本の慈善は危険度MAXだと個人的には思っています。


このままなら人を怪我させ、犯し、狂ってる人ほど支援され、正直者や頑張ってる人には何もない「今の慈善」が続くだけでなく、その勢いは増していき、日本の治安やモラルはますます崩壊していくと考えています。


日本はなぜキチガイに優しい国になってしまったのか←クリック


武装した男らが「エボラは存在しない」と叫びながら、エボラ隔離施設を襲撃、リベリア 患者20人逃走
http://hosyusokuhou.jp/archives/39695960.html


エボラ出血熱が猛威を振るう西アフリカ・リベリアの首都モンロビアで、 
武装した男らが「エボラは存在しない」と叫びながら、感染者の隔離施設を襲撃し、 少なくとも患者20人が逃走したと報じた。 

目撃者によると、男らは夜中にドアを壊して侵入。 
「大統領は(支援などによる)金が欲しいだけだ」とエボラ熱の流行を否定し、施設内の物を略奪していったという。 


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【アイヌ利権】「アイヌ利権で山菜取りに行くと補助金出る」「墓参りもお金を貰える」「半分は国税」「アイヌになぜか朝鮮人が混ざってる」自民党議員がメスを入れる模様

http://hosyusokuhou.jp/archives/39741177.html

カズヤさんもアイヌ利権のおかしさについて言及してます。

三行で言うと

アイヌの証明は厳密にされてないのに

様々な利権がもらえるから

アイヌ利権にたかる人がでてしまう







「作られた特権」に群がる輩が必ず出てくる。この構図は未来永劫変わらない。


故に安易に権利やお金を与える仕組みを作ってはいけない。それは多くの場合、一般人がもっとも苦しむ不平等なものになるからだ



以下はだいぶ前に書いた記事ですが、書いたような出来事が実際に起きたので貼り付けたのが上の記事。下の記事はかなり前の過去記事になります。
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これから書くのは、信頼が大事です。環境を与えるのが大事です。と綺麗事しか言わなくなったお花畑に対して書くものです。既に覚醒した人は、それを行うことで悲劇なんてレベルではない悲劇が起きてることを知っていますよね(ヒント。韓○)では、いつものように自己満足記事を書きます。







多くの人が良い環境にいると良い人になる。助ければありがとうがかえってくると思っていますが本当にそうでしょうか。







同じ環境でも



「生まれながらにして与えられた環境」



「努力せずに与えられた環境」



「自主的に、もしくは頑張ってつかみとった環境」






では、多いに違うものになります。







本当に良い環境を与えたらその国に馴染むのでしょうか。良い人になるのでしょうか。俺の中ではそれは明確なNOであります。






例をあげます。




その1

外国の森の奥に住む村長がいました。自給自足の暮らしをしている屈強な人達を束ねる村長です。




それはそれは威厳に満ちていました。





とある番組で、日本人家族がその村に行き、今度は逆に村の人が日本に来ることになったのですが、村長は食事を取ろうと思えばいつでもとれること、私達が当たり前だと思ってることにかなりびっくりしています。





なぜ、こんなに大量に食事があるんだ。誰がとってくるんだ?






それ以外も色々質問していましたが、その威厳に満ちた村長は、その後どうなったかわかるでしょうか。これを予測出来る人は恐らくいません。TVを見た人しか当てられないと思います。






その村長は赤ちゃん返りをして「ママ~」と甘えたり「体が痛い~」と不調を訴えるようになったのです。







村にいた時の威厳はありません。日本の暮らしの心地よさに人格が激変してしまい、甘えたり、子供のような振る舞いをするようになったのです。






このようになることなど誰が想像できるでしょうか。






その2

メキシコは非常に治安が悪く、麻薬組織の動きが活発化していました。簡略化して説明すると、北斗の拳の世界がそのまま。人によっては北斗の拳の世界のほうがぬるく感じるかもって世界になってます(全土ではないですが)






それを見かねたアメリカは、メキシコを助けようと、メキシコ人にアメリカ特殊部隊の技術を与えます。







厳しい訓練を経験した人達は、麻薬組織撲滅の大きな戦力になる予定でした。







しかし、その特殊部隊は麻薬組織の一員になり、特殊部隊の戦闘力を持つ、世界最強の麻薬組織が生まれてしまったのです。






助けたつもりが、更にメキシコのカオス化に拍車をかける結果になりました。






この混乱は沈静化する様子もなければ、解決する方法も見つからない凄まじい混乱っぷりを見せています。







その3

戦地では現地の人のために、人民獲得工作というものや人道支援などがあります。




簡単に言えば、兵隊さんが困ってる人に支援物資をあげたり、医療活動をしたりするのです。




その活動は、毎回嫌になると書いていた兵士がいます。




なぜかって?




現地の人達は感謝するよりも、もらえるのが当たり前と思うようになり、そのうちもっといい物はないのかと言うようになってくるからだ。




今の生活保護の仕組みなどモロこれだと思うのだが。







その4

アフリカで子供が多いのは、労働力として必要だからだと学校で教わりました。







ところが現地の人がそれを否定していました。子供が多いのは暇だから、やることがないから子供を作る。彼らの多くは本当に頭が悪いしやる気もないとのこと。








せめて子供を作らないように教育しようと思って、木の枝にコンドームをつけて説明した。これをあなたのちん○だとします。このように装着すれば避妊が出来ます。








後日、現地の人は木の枝にコンドームをつけて子作りをしていたのだった。







その5

同じくアフリカ。




農作物の作り方を教え、そろそろ豊作になっているだろうと思い現地に行くと何も育ってなかった。




何があったんだと聞くと「あれは育つ前に全部食っちまったよ」と現地の人が言った。






ここで言いたいのは貧しいから食べたのではなく、その後どうなるかという展望もなければ、我慢という概念もたりない。






上と同じく、我々の想像を絶するほど、文化も道徳も考えも、(失礼ながら)知能レベルも違いすぎるために起きたものだということだ。




※しかし、マスコミなどは絶対にそのように報道しない。彼らが被害者だというのを前面に出すはず。そうなる理由も下記に書きます。







アフガニスタンでは、穀物の育て方を教えようとした日本人が殺された。
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/34294562.html



その6

最強の実例。



慈善の世界では、信頼することが大事だと言われいる。良い環境を与えれば良い人格が育つと思われている。←俺の感想。この考えこそ混乱の元凶。これを無差別、無計画にやってはいけない。




それを日本は丁寧にとある国にやった。前例があるのかと思うほどやった。





荒地だった国はインフラが整い土地が肥え、人口も寿命も多いに伸びた。国も成長した。






彼らの言葉を信頼し、様々な面で援助し、環境を与えたのだが、その国は感謝という概念や思いやり、対等という概念もない、日本人には考えもつかない民族であった。







その後、その国は、手柄は自分たちのものにし、日本を悪者にし、今なお日本を陥れようと虎視眈々と狙っているのだ。



日本は絶対に韓国に勝てない理由
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/33514018.html




倉山満「朝鮮人を人間扱いしたから大日本帝国は滅びた」 

http://ameblo.jp/ganbaredameomajide/entry-11812609827.html






慈善の世界で正しいと思われている「環境を与える」「信頼する」を行ったが結果はどうだろうか。







脳内お花畑の人達にはどれも考えられない結果ではないだろうか。









脳内お花畑は、人間が誰しも持っている悪の部分を、何かと理由をつけて無いものにしたがっている。見ないようするか、考えないようにしている。考えることすら否としている。





過度のお花畑は、警戒の概念がなく、厳しくするという気持ちもない。優しくし、与え、お客様扱いすれば万事が解決すると思っている。





だから、与えたお金や物資、つまり彼ら流の慈善が危険をもたらすかもしれないとは考えもしない。





最近、どのサイトを見ても寄付の広告が目に入る。家にはチラシまで来た。素直な人はこれを見て恵まれない人を助けてあげようと思うはずだ。





しかし、俺は全く違う感想を持ってしまう。





この慈善はそんなに儲かるのかと。





ネット上に広告を載せるのは、とてもお金のかかるものであり、それは多くの人が見るサイトほど広告料が高くなる。




大手のサイト一つだけでなく、多数掲載してるならその掲載料は
推して知るべし。





どれと思いクリックして内容を見てみると、~に何円かかるとある。目的の慈善にいくまでに何か所も経由する。疑う事を知らない人はここでも何も思わない。







俺は、○円と書いてるけど、日本の相場と海外の相場は違うよな。これ、別の国で安く仕入れることができるはずだよな


とか



普通経費を節約しようと思うなら、なるべく中間地点を少なくし、直接届くようにするのに、何か所も国を経由して届くようになってる。と不審に思うのだ。






何が言いたいかというと、慈善をしているのは間違いないだろうけど、その慈善で得た金は、慈善の目的の人を潤す以上に、慈善に関わる人を潤す仕組みになっているということだ。







もちろん末端の人はそうではないだろうけど、上の人はかなり金持ちになってるのではないかと思ってしまう。






そして、金や物を与えようとする慈善は、現地の生活も激変させる。争いをしていればお金が入ってくる仕組みが出来てしまっているため、国の争いを止めようとするのを止めようとする勢力が存在するようになった。









善意で送られている物資や金は、末端の人達に渡るよりは、現地の搾取する側に多く渡ってしまい、現地の人の生活は改善されない。いや、繰り返すが改善されないほうが良い世界が出来ている(大国も関わってるけど割愛)




文化の違いや歴史の違いは乗り越えられると思っていたお花畑が見たコンゴでの現実
http://ameblo.jp/ganbaredameomajide/entry-11803164298.html








では、慈善をするなと言うかというとそうではなくて、その慈善の方法を変えないといけない。






俺なら、慈善が必要な地域か、その近くで安全な地域を見極め必要なものを「作る」施設を建設する。なぜ近くかと言うと、経費が安くすむこと、現地の人に仕事の場を与えられるのが理由。






その施設で仕事を学び、お金を作る仕組みを作ることは、国民の労働意欲と収入を増やす。そもそも、必要な物資を国をまたいで渡すことは、恐ろしいほど非効率だと思う邪悪な俺。












しかし、ここまで書いてあれだが、これを実行した場合どうなるか。恐らくその施設は現地の人達に破壊される。なぜなら、無いほうが「簡単に」お金を搾取する仕組みを維持できるからだ。






何が言いたいかと言うと、環境を与えても「心」を作らないと意味がないどころか、破壊が広がるだけなのである。良い環境を与えようとする慈善がいかに危険か伝わってるだろうか。












過去の日本では国を守るために武士になり、兵隊になり、その人達には「模範的な行動」が求められた。武道は心とセットである。多くの日本の習い事は、字を書くにしても、華を生けるにしても、その人の心も重視した。日本は戦いにもそれを求めた。








しかし、他国では人をファッション感覚で○し、楽しみ、そのために軍隊に入隊する国がある。同じ殺すことがある人達でも、その凶悪性が違う。また、多くの人が見逃しているが、愛が足りない家庭で育ち非人道的になってしまった人と、モラルが足りない家庭で非人道的になった人では、凶悪性や改善の難しさには天と地ほどの開きがあり、また本質が全く違うものになるのを知らない。







日本の防衛意識や警察の扱いはまるで「小児科」だと言い、アフリカや中国、他国から、日本に犯罪をしに来る。
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/38852961.html







エイズ発症率の上位にいるのが、アフリカ人男性、アフリカ人女性、そして日本人女性である。




日本の女性は黒人というだけで股を開く。それを知ったアフリカ人は、時にはアメリカ人と偽り抱き、れい○も行う。日本に明確に犯罪を目的に来る人達がいる。エイズになっていようが無理やりやってしまう。






しかし、何度も書いているが、その現状を見て、俺と真逆の感想を持ち、彼らを救うべきと言った人がいた。






仮にこういった人を、日本の慈善の仕組みに取り入れれば「そういった人が慈善を受けれる仕組みが日本に出来た」となり、無法者が国からの資金を得て増えることになる。俺はもちろん大反対だ。







しかし、現地はあまりにひどい状況で、日本が色々やるべきだと言う声を更に強めるのもわかっている。







ここで、やっとで今回の要点になるのだが、自国だけでなく、世界平和が欲しいのなら、今の慈善の仕組みと違い残酷にならねばならない。一見残酷に見える方法こそ、間違いなく今より平和を作ることになる。







心が育たない人に、いくら慈善を行っても無駄なだけでなく、カオスを引き起すのは伝わったと思うが、何度も言うように環境を作るのは「心」なのである。





心が育たないところに平和はなく、心が育たない場所に良い環境を作っても、それは無用の長物になってしまう。






心が育たない人に慈善を行えば、穴の空いたバケツのごとく、善意とお金が流れ落ちてしまうのだ。






だから、慈善のためにお金と環境を用意するなら「心や知識を作る事柄」にまずは集中すべきであり、その心が育たない人ならば、慈善を行わない残酷さも必要になる。なぜなら、何度も言うように、ろくでなしを援助すれば、ろくでもない使われ方をするからだ。




心が育てば、耕作もでき、施設も破壊されなくなる。平和は環境ではなく「心がけ」が作るのだ。それがわかっていたから、過去の日本人は、不況の時に大事な米藏を潰し、教育施設を作った。








教育が国の根本であり、人の根本でもある。
(今の日本は心の教育は実質行われていないに等しい。それは、モラルの低下や国力の低下に繋がっている。教育は、知識と心を育てるものでなければならない)









日本に来た無法者の外国人を援助するのではなく(俺なら援助ではなく帰れ。もしくは罰せられろとしか思わないが)現地の人に心がけや知識を教える。日本に来て欲しいと思う気持ちを抑え、「現地の人に現地の暮らしの中で教える」






それが育てば、彼はその地で平和を広める救世主になり、人々を導くことができる。その価値観が広まれば、その地に平和が訪れる。残酷に思えても、現地の問題は、現地の人が解決するようにするのが一番良い。心が育った時に、それを後押しする援助なら俺は大賛成。







カーネギーが言っていたように、助けるべきは頑張ってる人にするべきであり、援助してくれとダダをこねるがごとく言ってくる人を援助すれば、それは大変な結果をもたらす。








頑張りかたがわからないなら頑張りかたを。仕事の大切さがわからないなら仕事の大切さを。モラルがわからないならモラル教育をするべきで、それは決して高価な建物や器具を必要とせず、魂に語りかけ、一つの黒板とノートがあれば教えることが出来るもので、断じて最初に環境ありきではない。






俺から見ると、それをないがしろにしているように見える今の慈善は、生活保護問題に見られるように、カオスを呼び込む仕組みと紙一重になってると感じてしまう。







五体満足の人や、外国人に生活保護が流れたりする。お金がもらえる仕組みなら「頑張った結果」もらえるようにしないと、怠け者は益々怠け者になるし、その制度を悪用しようとする輩が湧いてくるようになってしまう。







俺は現在の生活保護のほとんどが、必要のないものだと思えて仕方ない。五体満足の人や、外人にお金を渡してどうするというのだろう。これは慈善ではなく、怠け者製造装置ではないか。






どんな状況でも働ける仕組みと、労働意欲を掻き立てる仕組みを作ったほうが、現在の制度よりもよっぽどいい。






日本には盲僧座という組織があり、目が見えない人でも働ける仕組みができていた。頑張る機会すら与えられない人に「環境を与える」ことができていた。






今の日本ならもっと多種多様な仕事を、色々な人に与えられると思うし、こういった「環境を与える慈善」なら俺は大歓迎なんですけど、頭クルクルパーのお花畑慈善は、年金や子育て手当、生活保護や留学費用まで「外国人」に与える。傍若無人な外人を被害者だといい権利を与えようとする。文字通り頭に花が咲いた理解不能の慈善をしているのである。







そもそも、ご丁寧に傍若無人の外国人を国内に引き入れて「教育」しようとする考えがおかしいのだ。







日本国内でも貧困で困ってる家庭などざらにある。子育てを楽にしている家庭などそうそうないはず。国内の「教育環境」を良くしようとせず、外国人を良くしようとし、さらに日本人の痛みを伴う前提で引き入れるのは、慈善ではなく破壊としか思えない。







オリンピックを目指せるほど自分に厳しく頑張ってきた人や、学力があってもお金の面で進学出来ない人に支援がいかない、頑張りが報われない世界を作るだけでなく、豊かな日本人は痛みに耐えるべきという、日本人差別のような慈善を行ってるのが今の日本。







頑張る人を助け、ろくでなしには金ではなく、やる気を与える仕組みにすべしと思うのだが、その気配はない。








まさに慈善のカオス化が始まってるのに、それに気づかず行われる今こそが、慈善のカオスのど真ん中であり、その勢いは増していき、国は益々混乱していくのである。





与えてしまったものを取り返そうとすれば、彼らは素直に渡すはずもなく、それを止めるために国を混乱に陥れると宣言している人達もいる。※各々調べて。





彼らは味をしめてしまい、この特権を無くしたくないのである。これを取り返すのは困難であり、益々日本人は苦しむ状況になる。環境や権利を「与える」慈善の危険性に気付いてもらえただろうか。環境を与えるのではなく、彼ら自身に環境を作りだし、守る「心掛け」が育たなければ、それは破壊と紙一重になる。








俺はこう思うのだ。日本人が日本人を大事に思えなくてどうするんだ。清く正しく生きて頑張っている人を支援しないで、傍若無人の人を支援する。それが慈善かと。今のままなら、慈善の名の元に悪者が肥えてしまうだけだ。




※もちろん評価してる慈善もありますが、メイン記事は疑問点なのでお許しください。




長くなったので次回に。


次回、異国人と仲良くするには。←なぜか俺のブログのキーワードに複数入ってたのでこれを書きます。



結論を先に書くと、今の仕組みなら仲良くなるのではなく、一方的に相手に搾取される日本になります。


続き ←クリック


誰も似たようなことを言ってない、おなぬーブログを見てくれて有り難うございますm(_ _)m

  
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※愚かな政府があり、言ってもわからないので道理ではなく威嚇で動かす。災いを招くのは政府ではなく民自身が招いている。賢い民がいれば政府も賢い。政治の質は国民の質。


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http://ameblo.jp/ganbaredameomajide/entry-11794469474.html