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ナポレオンヒルを読んだ だめ男の日記

だめ男がナポレオンヒルの成功哲学を読みました。成長過程。ニート数年→ホワイト企業に就職。超オナ猿→オナ禁完全習慣化500日以上。大食い→一日一食。もっと減らせるけど周りが許さない。これからの目標。書籍化。不食。運動器具の商品化。信頼することも大事だけど信頼される人になるように自分を成長させていこう。辛いことがあっても環境のせい、誰かのせいにせず、試練と考え自分を成長させていくように。辛いに線が一本入れば幸せに。困難が有っても発想を変え乗り越えれば有難うに。その精神を基礎に自分を磨き感謝の日々を忘れないよう

「お辞儀」と「すり足」はなぜ笑われる(日経プレミアシリーズ)

平和主義者が平和を壊す





日本は極めて異質だ。欧米とも中華圏とも違い、日本は世界中からみて全く異なる。 




日本人の中には偏見を嫌い「外国人も日本人も所詮は同じ人間だ」と考えようとする。しかし「違う」と考えた方がより現実を反映している。 
(日本に来ている外国人はまた別。彼らはある程度日本を理解している。完璧とはいえないが、日本の慣習に従って行動しようとする。) 



日本人の欠点の一つに「行動を切り替えられない」というのがある。 



どこの国の人も、国際社会においては自己主張が強く自分の利益を優先する。自国では大人しい人であっても、国際社会に出ると国際人としての振る舞いをする。 




ところが日本人だけが謙虚で和を貴しとする行動原理を、そのまま海外で実行してしまう。 




確かに、皆と協調することを第一とし相手の言い分をよく聞いたり譲り合ったりする行動様式や、義理人情や誠実さや組織力や勤勉さは素晴らしい価値観だ。そういう行動様式が世界中に広まれば平和になるだろう。外国人も日本の良さとして理解している。 




だが、行動様式や思考を「日本モード」から「国際モード」に切り替えられないのは問題だ。 




行動様式を切り替えないと、逆に日本人の良さが見えなくなる。誤解され笑われたり騙されたりする。 




国際社会では「皆と協調することが第一」というのは口先だけの建前であり、本音や行動は別である。 




日本は裏も表も「皆と協調することが第一」で誠心誠意が通じると思っている。 



お人好し日本人は性善説ですぐに人を信用する。 




だが親しい相手でも、メールを出すときは用心しなければいけない。安心して本心を告げた相手が、その後状況が変わり敵対関係になったとたん、過去の親しいやりとりを臆面もなく逆用して、交渉を有利にする道具に使うことがある。 




著者は同僚に優しい言葉をかけたら、相手は逆手にとって損害賠償の請求をしてきたそうだ。日本人の感覚の人情が全く通用しない世界があるのだ。 




第4章は国際社会の弱肉強食について、品格が通用しない事について説得力たっぷりに書いてある。以下一部引用する。 




…一言で国際社会の原理は何かと言えば、それは「強い者が勝つ、勝った者が正義である」ということである。まさに「勝てば官軍」なのだ。国家間で紛争が起きた場合、当然、国連安全保障理事会で議論はするが、自力で解決することが原則である。最終的解決手段は、戦争しかない。 




ITUで決定された電波の割り当ても強制力はない。電波は好き勝手に使用すると混信が起きるので、どの電波を何に使うか細かくITUで定められている。しかし、このルールを守るかどうかは、各国の善意に頼るのみである。





ITUの理事会では、キューバが「アメリカによる自国のテレビ放送への妨害電波の発射は、ITUで決めた電波の割り当て条約に違反する」と各国に訴えるのが年中行事になっている。しかし、どこの国も、何もできない。 





国際社会の中で個人間の紛争が起きれば、どこに助けを求めればよいのだろうか。世界共通の通用する法律はなく、裁判の管轄権さえもあいまいな世界であり、たとえ裁判が可能であっても、必ずしも正義が勝つとは限らないというのが実情なのだ。 




もちろん、国際社会の発達につれ、国連警察軍や、国際司法裁判所、また、各種条約による紛争解決手段が発達してきている。しかし、国際社会はまだ成熟の途上にあり、世界政府のようなものは存在しないし、国内社会のような相互扶助を原則とした運命共同体でもない。 




外界から遮断された無人島に漂着した人々は、どのように行動するだろうか?最初は、船長の命令を聞くが、そのうちに、船長は無視され、強い者を中心としたサル山の秩序と同じような社会が形成されることが予想される。世界政府、すなわち公権力の存在しない国際社会は、まさにこの状態なのである。 






国際社会では、国家の公権力によって正義が保障されることになってはいないし、道徳規範や社会規範のようなものも極めて希薄であるから、頼るものは、各々の「力」である。強い者が勝つ弱肉強食の社会である。そこにおける掟は、武力であれ、経済力であれ、知力であれ、「力」である。国際社会は、これら「力」によるサバイバル・ゲームであり、言わば戦場なのである。 





たとえ自国では紳士であっても、一歩国際社会に出れば、紳士としては振る舞えない。なぜなら、紳士として多少の好感を持たれても、周りは、狼ばかりなのだ。紳士として行動しても、子羊は食べられるだけなのである。 





日本のように、元寇と太平洋戦争以外に外敵による侵攻の経験のない国と、常に、国家の栄子盛衰を経験しているヨーロッパやアジア大陸の国々とは、この「力が頼りである」という現実に対する感覚がまるで異なる。 

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悪を教えない日本を憂い異常に思う台湾人
http://ameblo.jp/ganbaredameomajide/entry-11783408214.html




悪人を勝たせる世界が平和だと思ってる日本人
http://ameblo.jp/ganbaredameomajide/entry-11764575722.html




オーストラリア在住の日本人のかたも日本人のお花畑思考を憂いています。
http://ameblo.jp/ganbaredameomajide/entry-11775106220.html



日本はまさに「現代のカルタゴ」=滅亡

http://ameblo.jp/ganbaredameomajide/entry-11882584175.html


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