ブログ引っ越したのですが、この記事が日本の現状をよく表していると思っているのでこの記事をトップにあげておきます。
引っ越し先
http://dameotokoseityou.blog.jp/
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左翼の「人権屋」勢力が「加害者の人権」なるものを騒ぎ立て続けたその結果である。
左翼どもは「命の大切さを教育すればわかってくれる。信じる事が大事。根っからの悪人はいない」と勘違いをしている。
確かに教育でなんとかなる子どももいるが、残念ながら、絶対に善良になれない人間も存在する。
生まれつき良心の欠落した人間(人格障害)がいて、彼らは生きているかぎり同じ行為を続けていく。
なぜこれだけ精神医学や遺伝学、脳科学が発展した今でも、生まれつきの悪人や、改善しない悪人がいないとされているのか甚だ疑問である。
再犯を繰り返す証拠となる数字的な検証データもまるで意味をなさない。
数学者でなくても数字を見れば誰でも一定数の改善しない人がいるのは一目瞭然なのに、再犯率が長年変わりません。
信頼が大事です。で終わる。
事実から目をそむけ人の良いところだけ見ようとして無意識に悪を助ける現代の構図がそこに見える。
事実、恐るべき事態も起きている。
中1の時に4歳下の少女への殺人未遂を「なかったこと」にした学校関係者。 15歳の時の殺人に対して2年弱の医療少年院でお茶を濁した少年法関係者。 先天性異常をなきものとして、30歳時の殺意を否定した刑事司法関係者。
関係者全員がそのときどきの「現在」に関心があるだけで近い未来に同じことが繰り返される危険性についてあまりにも無頓着かつ無責任なのである。
日本の刑事裁判では、
「正常」な犯罪者には厳罰を、
「若干ヘン」な犯罪者には神経耗弱や心神喪失を適用し、
「かなり異常」な犯罪者は存在しないことになっている。
動機が不可解は通り魔殺人は無罪にしてよい、ということになっている。
例えば、22歳による5人殺しは、「異常」であり「了解不可能」とされしたがって「心神喪失」の可能性が高いゆえ不起訴となる。
心神喪失で無罪というのが必要であれば、必ず刑事治療処遇施設があるべきなのに、日本にはそれがない。
精神病は簡単に治らないのをわかっていることなのに、
殺人しても無罪になって数ヶ月で出所し通常の生活を再開する…
予防も治療もいいかげん。まさに野放し。
精神障害殺人者のうち、およそ85%が不起訴となっていて、再び犯人が近所を歩いている可能性が高い 。
そしてしばらく精神病院に入り退院してから再び同じ犯罪を犯す者が後を断たないのだ。
欧米先進国では精神異常の殺人者が不起訴が放免されることなど、絶対にありえない。
知恵遅れだろうが麻薬幻覚患者だろうが犯罪者は犯罪者であり、凶悪犯罪を犯した者は生涯病棟に拘禁するべきである。
いわゆる「言葉狩り」に反対する立場なので敢えて頭のおかしい人間のことをキチガイと呼ぶが、 日本がこんなに「キチガイに優しい国」となってしまったのも、
左翼の「人権屋」勢力が「加害者の人権」なるものを騒ぎ立て続けたその結果である。
「成人の事例でも、とりわけいわゆる『通り魔事件』のような犯罪では、最近では加害者に精神障害の疑いがあるというだけで、その後の報道は差し止め状態になり、事件は闇に葬られるというのが通例」(産経新聞)
という状況に日本はあるのだ。
キチガイを「差別せよ」と言っているのではない。
社会から隔離して「区別せよ」と言っているのだ。
左翼の「人権屋」はそれを「差別」だと言い、政治家も左派マスコミの批判を怖れて尻込みする。
しかし何故キチガイを正常人と「区別」するとそれが「差別」ということになるのか。
その根底にあるのはマルクスに由来する悪平等主義 ←クリック に他ならない。
平成17年から「心神喪失者等医療観察法」が施行される。
これは凶悪犯罪を行った心神喪失・耗弱者が専門医療施設を退所した後も「治療的な保護観察」を行うというものだ。
同法制定について精神医学者の小田晋博士は、
「およそ社会から犯罪を減らそうということに反対したい人たちがいて、人権を口実にして、『保安処分反対運動』を行ってきて、この法律の制定を長年にわたって防げてきた。この法律の制定にあたっても、反対対論に譲歩し、妥協しなければならなかったために法律はかなり弱いものになっていることは否めない。」と述べておられる。
しかも同法実施は法務省ではなく厚生労働省が「医療福祉行政」として行うことになっている。
何とキチガイの凶悪犯罪者に与えられるのは「刑罰」ではなく「福祉」なのだ。
実は厚生労働省には共産党系組合員が多いのだが、同法制定施行にあたって厚生省は狂った基準を設けている。
キチガイ凶悪犯の医療施設収容期間を「平均一年六ヶ月程度とする」という基準だ。
これについて小田晋博士も
「本法の対象となるのは、殺人、放火、強姦など重大犯罪者である。 それが一年六ヶ月で出所してくるというのでは、
精神障害は犯罪に対する自由通行証を得ることになる」
と述べておられる。
マルクス主義的悪平等主義を信奉する左翼の「人権屋」はキチガイ再犯者に殺されても本望だろう。
しかしその被害を国民全体にまで及ぼそうとすることは絶対に許されない。
収容が一年六ヶ月で十分だと一体誰が決めたのか。
国会で十分に審議されたのか。
キチガイの殺人者が一年六ヶ月で街に放たれる社会、つまらない偽善は抜きにしてそんな社会に暮らしたいと思うような日本人はどれだけ存在するであろうか。
普段信じる事が大事だと言ってるあなたの隣に、善悪の判断がつかない、人を殺した実績があるこういった人が来ても、きっと仲良くしましょうと言えるだろう。手を取りあえるのだろう。
これを言うだけでなく「実行」できなければおかしな話しである。
いつも言ってる綺麗事を言うだけなら簡単の意味がわかってもらえるだろうか。
言うだけでなくそれを行使し、改善を求め、なお悪意の刃が変わらないなら「どうしても」それ以外が必要な時がある。
でも、今はそれがない。ならどうするか。彼らを信じて解き放つのだ。これが解決なのである。
私は悪人も救われる存在だと思っているが、それ以上に罪のない善良な一般人を救いたいのである。
救うべきは「改善する気のある悪人」であり、快楽で人を殺すような人は救う対象ではなく、警戒と恐怖の対象以外の何ものでもない。
刑法第三十九条は私に言わせれば狂人犯罪者保護法であり、即時廃止するべき愚法である。
弱きを助け強きをくじくのが正義のヒーローなのに、今は弱きを殺したらもう見ない。悪いものこそ救いましょうというわけのわからない世界。
同情するのは実際に傷を負った人にすべきでは?と、言っても今の仕組みに染まった人には通じない。
治安が悪化しないならいい。
困らない人が増えないなら今の仕組みでもいい。
でも、今の仕組みはあまりに悪に優しすぎて、それが逆に悪を増やしていると思えて仕方ないのである。
私は悪いことをした人が注意され、被害を受けた人が「大丈夫」と声をかけてもらえるのが正常な世界だと思っている。
これに異論を唱えるものはいないだろう。
しかし、この真逆を教えられ、実行しているのが今の日本の仕組みなのだ。教育の崩壊と司法の崩壊は繋がっている。
マザーテレサは慈善は身近からと言った。
私は法律の問題も全く同じだと思う。
「身近な人」を殺されたほうの身にもなってみろと言いたい。
悪を注意出来ないどころか悪を信用しようと言い続ける「現代の正論」が日本を壊していく。
憲法信者は周辺国が日本を殺せと言ってる中でも、日本が軍を持ち相手を攻撃することを心配し、私達が攻撃される心配をしていない。
犯罪が起きたら何か事情があったのかと殺した人を心配し、心と体に傷をおった人には何の支援もない。
親は子育てで心配が募るだろう。どうやったら我が子をいじめない良い子に育てることができるのか。いじめから身を守る子供にできるのか。
残念ながらその心配は今の日本では解消されない。
日本をあらゆる面で非武装にしようとして考えられた9条は、敵と味方を上記に見られるようにごく自然に逆転させることに成功しただけでなく、あらゆる面で日本を強くする要素を排除することにも成功している。
理論武装が出来ないだけでなく、現在の私達は心の教育で子供達の心を強くし、いじめない、いじめられない子供をつくる教育を「学校で」うけさせることができない。
敵を信じる「味方」が日本の心の教育は残酷だとして封印しているからである。
彼らは敵と味方の区別ができない。なぜなら悪業を行う者は世の中の被害者であり、みんなで彼らを助けるべきだと思っている。
ドラえもんの道具の中で最恐、最凶の道具に「悪魔のパスポート」をあげる人がいる。
些細な犯罪から凶悪な犯罪まで許されてしまう道具なのだが、これが発行されれば世の中が狂うのは誰でもわかる。
しかし、これは既に誕生し世の中の仕組みに組み込まれている。
それを発行するのは「同情と思いやり」を重視し、思考が停止したお花畑と、国家転覆を狙う連中である。
憲法9条の目的は、偽平和主義を信じたお花畑日本人が、敵を招き入れ味方を苦しめる思想を平和主義だと信じて行い内部を破壊。
そして、外からは敵が攻め放題になる図式を作り日本を弱体化。占領。洗脳することにある。
世界をあっと言わせた日本人より抜粋。黄 文雄(元外国人から見た日本の視点は鋭い)
○たとえ万国が平和を望んだとしても、一国だけでもその気がなければそれだけで平和を守ることはできない。
○平和運動こそ戦争を防ぐどころか、戦争の誘因になる危険性がある。
○日本における無抵抗平和主義は日本弱体化のための姦計、侵略者の野望を助長するだけのものだ。
○平和主義は生存権の放棄につながるものであり、平和を得たとしてもそれは「奴隷の平和」でしかない。
○日本の平和主義者は敵と味方の区別がほとんどできないため、隣国で行われている人権侵害に対しては「対岸の火事」扱いである。
○戦争と平和は隣り合わせであり、戦争の備えがなければ平和は無力である。
日本人がお花畑から目覚めることが、教育や犯罪などの問題も劇的に改善すると私は確信している。
しかし、善意でそれらを行い、綺麗な言葉しか言わない彼らは、それが破滅に繋がるとは気づかない。
本物の善意に包まれた、思いやり溢れた綺麗な言葉は、確かに何一つ悪い要素はないように思える。だからこそ彼らに我々の言葉は届かない。
しかし、ただ一点だけ問題がある。
それで効果が出るのは人によるという概念がない。今は無差別にそれを行っている。
不当行為には断固抗議せよ
周りと協調して生きることは非常に大切なことである。
しかし、それは正当な相手に対してである。
不当な相手、不当な行為に対しては断固抗議しよう。
自分さえ我慢すれば・・・の姿勢が一番よくない。
その低姿勢が、相手の攻撃心をさらに助長させる。
ユダヤ式交渉術」より転載
人殺しを許す慈悲は人殺しを育てるに等しい。
シェイクスピア
悪い人間に親切をすると二度ひどい目にあう。金を失って、しかも感謝されない。テオグニス
盗人に追い銭
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/38852961.html
思いやりのある人は脳の構造が違う。
http://ameblo.jp/ganbaredameomajide/entry-11934835535.html