ナポレオンヒルを読んだ だめ男の日記

不細工ニートだめ男が成長を目指すブログ。

オナ禁548日目

相変わらずオナ禁効果皆無。

 

 

 

というわけで女っけも皆無。

 

 

連休はいつも通りの孤独でした。

 

 

 

 

一日六回抜いていた猿の時のほうがモテモテ。

 

 

今は本当に人生で一番女っけがない。

 

 

 

 

 

でも、ここまで来たら何が何でも抜きません。

 

 

 

山の頂上を目指すことに意味があるのではなく、その道中でも得るものはあるはず。

 

 

我慢すること。自分を律することにピントを合わせます。

 

 

 

 

 

ちなみに今の体はコレ。

 

 

小食、不食が出来ていないのでいまだに痩せません。

 

 

 

 

ああ、体脂肪率15%は切りたい。

 

 

 

 

 ネットで理想の女性像を見つけたのですが

 

 

 

マジでダメ人間な俺が完璧超人なサイコパスな嫁と結婚した話

http://hattatu-matome.ldblog.jp/archives/48901107.html

 

 

一番の理想ポイントは

 

 

 

「俺にのみ優しくしてくれる」

 

 

 

 

この人が社交的で色々な男性と警戒心もなく遊ぶような人なら、家庭は絶対にうまくいっていない。

 

 

前も似たようなことを書いたことがありますが、自由を重んじる人は恐らく良い家庭を築けない。

 

結婚したとしても離婚したりするのではないだろうか。

 

 

 

なぜなら自由を重んじることは、我儘、自分勝手と紙一重だから。

 

 

 

だから破壊工作の中にも自由が入れられている。

 

 

 

 

家庭は父や母が自分の遊びたい欲求。様々な願望を押し殺し、家族のためを思い頑張っているからうまくいく。

 

 

 

自分より子供。自分より嫁。

 

 

恋人や旦那がいるのに男性と二人きりで遊ぶことに罪悪感もないどころか、それを当然と思っている人は俺の中では色々な疑問符がつく。

 

 

 

その人には警戒心の概念がないし、最も大事にしているのは家族でも恋人でもなく自分の楽しさなのだ。

 

 

 

滅私奉公に良い国、良い家庭作りのヒントがある。

 

 

でも、それを言えば束縛が。とか自由がない暮らし云々と俺が叩かれる。

 

 

 

 

ああ、自分だけに優しい女性に巡り合いたい。

 

 

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思った以上に色々なコメントがきたのでこちらに追加記事を書きます。これを返信とさせてください。

 

 

 

一部の例外を除き自由が嫌いな人間はいないと思います。

 

 

誰だって自由がいい。もちろん俺も。

 

 

 

 

 

 

 

仮に親密な女性がいたとして、相手が二人きりで遊ぶのに抵抗がない人、遊びたいと誘ってくるような人なら、遊んだり、飲んだり、その女性の部屋に行って遊びたいのは男性の本能だ。

 

 

 

 

仮に恋人のそういった行動を気にしない人がいるなら、そういったことには「無関心な人」なのだと思うし、お互いそういった価値観の一致があれば何も問題がない。

 

 

 

価値観の一致は何よりも大事だと思います。

 

 

 

 

 

 

価値観は人それぞれなのであくまで俺の意見としてここに載せますが、遊びたい本能に負けず「私は妻がいるから二人きりでは遊べません」と意図的に距離をとるような「強さ」を持つ人に憧れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

断られたら相手は不快感を持つかもしれないし、楽しい時間を自ら断るのだから「損」しかない。

 

 

 

 

 

 

その人が犠牲にして守ったのは、今そこにいない妻であり家庭であって、バレなければ何も問題はない。

 

 

 

 

 

でも、それに甘えることなく断れる強さを持つ人が、俺が考える優しい人です。優しい人は強い人。俺はそう思います。

 

 

 

 

 

自由は素晴らしい。それは間違いない。

 

 

 

でも、今の日本は自由よりも他者や子孫のことを考えた素晴らしい先人達のお陰で今がある。

 

 

 

 

例えば、日本に創立何年も経つ老舗があるのに、なぜ韓国にはそのような会社がないのか。

 

 

 

 

 

韓国では自分の家に大きな収入があれば、子供に店を継がせようとは思わない。

 

 

 

高度な教育を受けさせ、子供を社会的地位の高い職業に就かせそれを誇りにする。

 

 

 

 

 

それが悪いことだとは思わないけど、日本人は自分の願望を殺し、自由よりも何かを守ることを重視する生き方が出来ていたから老舗がある。

 

 

 

 

 

 

特攻隊もそう。

 

 

 

誰だって生きたい。でも、今いる家族のため、日本人のため、まだ見ぬ子孫の我々のためを思い、究極の自己犠牲をした結果、今の平和な日本がある。

 

世界から見たカミカゼ

 

日本兵の遺書が荒れた教室を救う

 

 

 

GHQは日本の規格外の強さ、道徳心の高さは家族制度にあると見抜いた。そこには今の時代の人が見れば不自由極まりない暮らしがあった。

 

 

 

 

父は圧倒的存在で威厳があり、子供も母も父を敬った。家族関係に明確な上下があり平等ではなかった。

 

 

家庭を守ることを第一とし、自由気ままに遊ぶことをしなかった。

 

 

 

 

 

 

不自由、不平等だった日本が、世界のどこよりも平和で自由な国を作っている。

 

 

 

それは家庭も恋愛も同じだと俺は思う。

 

 

 

自由は素晴らしい。しかし、それを重んじることは良い結果を生むとは限らない。

 

 

 

 

 

多くの人が過度の自由の行きつく先が破壊だとは気づかない。

 

 

 

 

気づかないから自由は「最高の破壊工作」としてこれからも使われ続ける。

 

 

 

 

 

俺は自由の行きつく先が破壊なら喜んで不自由を受け入れる。

 

 

 

 

しかし、それをするには自分にとって「居心地の良い何か」を捨てる強さと、周りに理解されず嫌われる勇気も必要なのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

追加

誰にでも優しい。についても書くことにします。

 

 

誰にでも優しい人は、俺が思う優しい人ではない人が多い。

 

 

 

本当に誰にでも優しいなら、不細工な人や嫌われるような人にも優しくできる。

 

 

 

でも、それをしているのではなく、あくまで自分にとって居心地の良い人にのみ優しい。

 

 

 

 

俺が見る誰にでも優しい人は、良い子でいたい人。周りの目を伺いながら周りに流される人。

 

 

つまり八方美人や優柔不断な人が多いような気がする。

 

 

 

 

それは良いことのように見えるが違う。

 

 

良い子でいたい人は、自分の心を押し殺していたり、自分で判断できなかったりする人がいる。

 

 

だから判断基準が周りになる。

 

 

 

その行きつく先は何か。

 

 

 

 

良い子ではなく都合の良い子になったり、周りに気をつかって生きるので、どうしようもない窮屈さに苦しんだりする。

 

 

 

自分で判断する強さがないから、人の顔を伺って生きるようになる。

 

 

 

全てがそうなるとは言いませんが、それに近いものにいきつくと思う。

 

 

 

 

誰にでも優しい人は優しい人じゃない。無意識に人を傷つけられる人だ。って呟いていた人がいたのですが、俺もそうだと思います。

 

 

 

 

恋人が他の異性と自分が接するように接していたら、パートナーは傷つくと思う。

 

 

 

自分を律し、適度な距離をとれる克己心と、嫌われる勇気は大事だなあと思います。

 

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