ナポレオンヒルを読んだ だめ男の日記

不細工ニートだめ男が成長を目指すブログ。

スピ系の人に。【自論】悪を裁くは悪はありえない。

今から書くものは特定の個人に対して書くものではありません。

 

 

 

 

スピ系の人達のブログを見ると

 

「悪を裁くが悪」

 

のような書き込みをよく見ます。

 

 

 

 

 

 

 

俺はこの理論を絶対に支持しません。

 

 

この理論を盲目的に信じればこの世は確実にカオスに向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の子供が悪いことをしたら躾(しつけ)のために叱ることもあります。

 

 

 

 

 

子供にとって何が良いか悪いかを学ぶことは重要なことであり、人に迷惑をかける行為をした時など、叱ったりするのは当たり前のようにあることですよね。

 

 

 

 

 

 

例えば、自分の子供が大人になった時、女性を己の欲求のはけ口にレイ〇しても許せますか。

 

 

 

可愛いペットを虐待して遊ぶような人はどうでしょう。

 

 

 

 

 

ここで、悪を裁くが悪の価値観を持ち込んだらどうなるでしょうか。

 

 

 

 

 

これを放棄すれば「甘やかし」になり、将来自立できない子供になったり、何かしらの良くないことが起きることは察しがつくと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

異常に治安が悪化した地帯を無法地帯と言います。

 

 

 

法による裁きのない地帯も無法地帯と言いますが、悪が好き勝手やっている地域も無法地帯と言うのです。

 

 

 

 

法による裁きの無い地帯。裁くに裁けない地帯。

 

 

悪を裁くのをやめた地域が実際に存在していますが、ここに平和が来ると思う人がいますでしょうか。

 

 

 

 

もしいるとしたらその人の頭は狂っていると思います。

 

 

 

 

 

理想はどうであれ、悪を裁くのをやめた地域には平和の真逆の結果が来るのです。

 

 

 

 

 

 

 

いくら綺麗ごとを言ったところでこの世は法の裁き、何かしらの罰則があるから秩序が保たれているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

全てに表裏一体があり光と闇、陰と陽、悪と善があります。

 

 

 

 

 

全てに意味があり、悪には悪の役割があります。

 

 

 

 

 

ここで悪は辛いことも含み表現しますが、例えば充実したと思える日々、最高の幸せなどは、多くの場合苦労の後にやってきます。

 

 

 

幸せだけなら達成感というものはなくなります。

 

 

 

 

また、自分の心(魂)を成長させる観点から見ると、悪がいることで自分が磨かれていくのです。

 

 

 

 

 

 

 

何不自由なく甘やかされて育った子供は幸せに見えるかもしれない。

 

 

でも、その子は将来「自立」出来ないほど色々な面で弱い人間になりかねない。

 

 

 

 

 

成長の観点から見た場合、良いことだけではダメなのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子供のために親は躾のために何が良いことか悪いことかを教えます。

 

 

そして、悪いことと判断すれば子供に自分なりの裁きを下しています。

 

 

 

 

 

 

 

今の人類も何が良いことか悪いことか学び、時として裁きが必要な時期に来ています。

 

 

 

 

 

 

 

悪を裁くのを放棄したり、悪には悪の役割があると達観しすぎた考えをこの世に持ち込めば、この世は狂い多くの犠牲者が生まれます。

 

 

 

 

それを止めるためにはスピ系の考えに偏りすぎてはダメだし、優しさだけでもダメだと俺は考えます。

 

 

 

叱ることも愛の行為の一つだと俺は思いますが、行き過ぎた行為には叱るでは足りないこともあるのです。

 

 

 

参考

死刑が殺人を防ぐという研究結果が出ました

 

ここ最近、先進国では次々と死刑を廃止しようという動きがさかんである。 

イギリスを筆頭にヨーロッパのほとんどは廃止しており、ロシアやオーストラリアなど、死刑廃止論者たちの声は確実に世界に広がりつつある。 

 


その裏で、実際に殺人者を死刑にすることは、殺人を減らす働きがあるのかどうかという研究もなされていた。 

そしてその答えは「YES」と出たそうだ。 

一人の殺人者を死刑にすることによって、3~18人の命を助けることができたかもしれないという結果が出ている。 


当然この結果に反論者たちは少なからずショックを受け、データそのものに懐疑的ではある。 

 


しかしながら、おもしろいのは、このデータを出した教授も死刑反論者だったようで、彼のセリフが非常に印象的であった。 

 



「死刑にはそりゃ反対さ。だが結果は、死刑が殺人を予防すると出ている。これをどうしたらいいのかね?隠すのかね?」 
 

 


当然同様の研究は今までにもなされていて、多少の数の差はあるものの、同じく死刑による別の殺人の減少の効果をあげている。 

 



今までに出た結果として以下の例がある。 

 

 

 


・一つに死刑に対し、平均18の殺人を妨げる効果があがる(全国を対象にしたエモリー大学の教授による2003年の研究) 
・イリノイ州での2000年の死刑一時廃止により、4年で150の殺人を誘発したとヒューストン大学の教授が2006年発表 
・死刑を早期に執行することは、殺人を減少させる効果を強固なものにする。2.75年早めることによって、殺人を一つ防ぐことができる。(2004年のエモリー大学の教授の研究による) 
2005年には米国では16,692もの過失でない殺人事件があり、そのうち死刑執行されたのは60件だそうだ。 

 

 

 


人命を尊重するという道徳的な理由で死刑を反論する人が多いが、この研究結果が正しいということになれば、この道徳そのものが揺り動かされてくるのではないだろうか。 

 

 


殺人犯を一人救ってやるために、数人死ぬという結果が出るとなると・・・ 

 

 

 

 

悪を裁かず助けたことでより多くの人が「死ぬ」のではなく「殺されていく」のである。

 

 

 

 

 

 

 

自分の子供を惨たらしく殺された時に「悪には悪の役割があるから裁くな」と言えたら本物だ。

 

 

 

 

 

 

でも、そんな人は存在しないのではないだろうか。

 

人権派()死刑反対の弁護士が妻を殺されたら死刑賛成派に変わり法律を変えた話し