前も書いたけどこのままでは糖尿病になる気がする。
全く腹が減らないのだが、習慣だったり断りきれずに食べてしまうことが多々ある。
俺は本来超がつくほどの大食いなのだが、今はちょっと食べただけで物凄い疲れる。
今日は味噌汁一杯飲んだだけで物凄い疲れた。
体がだるくなって眠たくなる。
血液検査では糖尿にはなってないけど、体が食事を受け付けない。
そのかわり、空気がうまく、太陽もうまい。
太陽がうまいって頭おかしい表現ですが、イメージとしては元気がつまった液体が体に入る感じです。
光源ではなく液体のように感じます。味はもちろんないですが、元気がみなぎる感じが「うまい」って表現にあたる感じ。
しかし、太陽凝視は必須ではないと感じる。
体が冴えると、太陽凝視をしなくても、宇宙中にある力をもらえる感覚になる。
これはどこにでもある。
目の前に常に光が見えて、呼吸が物凄いゆっくりになってる。
この状態で口に何かいれると物凄い疲れる。
この感覚の時は、今まで生きてきた感覚と違うものになる。
台所に行った時に反射的に「死体が落ちてるぎゃあああああ」と思ったが、ただの牛すじだった。
口酸っぱく言ってるけど、俺は動物肉否定派ではないので機会があれば食べるのだが、グロに見えて仕方ない。うまいとも感じない。
肉は本来人間の食べ物ではなく、人間は肉を食べずに生きていける境地のようなものがある。はず。
植物は食べられる前提で育つので、食べられても怨念のようなものを感じない。でも、肉は怨念のようなものを感じる。
琥珀さんのブログにも披露宴だったかで肉を食べる人を見たら「わっ!肉を食べてる。凄い!」ってなった。みたいなものがあったけど、俺もそんな感じになる。
http://ryukohaku.blog55.fc2.com/
さっさと不食か小食になりたいけど、長年の習慣や周りの理解で達成は難しい。
けど、やるべき目標の一つなので達成目指すように。
平和主義者が平和を壊すってのを書いてるけど、本当は愛と調和さえあれば平和が訪れる世界であってほしいし、そうあるべきだと思う。
でも、今地球にいる人間の愚かさは、愛と調和を大事に思ってる人から見たら信じられないほどドス黒い。
このままでは心優しい人から痛い目を見る世界になる。それだけでなく、心優しい人が他の優しい人を痛い目に合わせ、それが平和と慈善だと思ってる人達が多くいる。
本人は痛い目に合わせてる自覚がないので、それは止まらない。
そういった現代の人間の特徴?に合わせて書いてるものだけど、この感覚になるとそれもどうでも良くなる。
これからカオスの世界になろうが、善人が痛い目を見ようが、それは全て自分たちの魂の選択の結果なのである。
そこから人は学び成長していくのだ。
そんな声に俺はふざけるなと逆らい、人間の愚かさを考慮した次の世代へ渡せる平和の記事を書き続けるけど、さえればさえるほど、どうでも良い感覚が強くなってしまう。
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不食関係
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