スポンサードリンク

政治メイン版 元ニートだめ男のブログ

元ニートだめ男が政治を語るブログ

スポンサードリンク

信頼を重視しすぎることが残酷を超えた残酷さを超える その3

スポンサードリンク

タイトル


信頼を重視しするという「信仰」を抱いた者は思考が停止し破滅を呼ぶ。





毎度のように誰も似たことを言ってない孤独理論を言います。



いつも載せてますが、まずはこれを見てください。



政治学者アレントは哀れみがテロリストの温床になり、残酷を超えた残酷を生み出すので「同情しない残酷さ」も大事と説きました。
http://ameblo.jp/ganbaredameomajide/entry-11799737607.html



そして、私は信頼を重視することは、それを信仰した国や人に混乱しか呼ばなくなるので「疑う強さを持て」と説きます。


なぜか。


疑うことは「守ること」と「成長」に繋がっているからです。


しかし、今は疑うことは悪とされています。信じることは本当に大事なのでしょうか。



これは「だめ男」で例えればわかりやすいかもしれない。と言っても私のことではありません。


女癖が悪い。ギャンブルもする。人に迷惑もかける。絵に描いたような「だめ男」を想像してみてください。


その男性と付き合ってる女性は何かあればもちろん問い詰めます。日々喧嘩もするでしょう。例えば浮気疑惑があったとします。


「浮気してたの?」


その時の男性のセリフに注意してほしいのですが


「俺を信じろ!」



と、ドラマのようなセリフを言う人こそ信じてはいけません。

かっこいいセリフだと思ったアホが引っ掛かりそうですが、私から見ればこのセリフを言う人は全てとは言いませんが、多くは非常に危険であり、私から見ても「だめ男」に分類される人です。




なぜか。




本当に浮気をしてない人だったら

「あの日は~をしていたから浮気をしていない」

と、浮気をしていない人ならほぼ間違いなく「具体例」を出します。



具体例を出せないほど追い詰められた人が言うのが「信じろ」です。



しかし、言葉そのものは非常にかっこよく聞こえたり、疑うのは良くないなと思うので、相手の思考が停止する。もしくは納得してしまう。



しかし、問題は解決していない。のがポイントです。



彼は一時的に逃げる事に成功しただけなのです。



例えばカルトと呼ばれるものも信じることが大事と言いますが、願いが成就しないのは「信仰心が足りないからだ」となる。



彼らは強烈に信じる様になる。では、人を信じる素敵な人になってるだろうか。


答えは否で、彼らが信じるのは「信じると決めた対象だけ」になり、その他の意見は信じなくなるのです



信じることが大事です。非常に素晴らしい言葉だと多くの人は思っている。しかし、私から見たらこれほど綺麗で素晴らしい言葉の裏に隠れた危険な言葉はない。



信じることが最優先されれば、あらゆる面で思考が停止するか正常に判断できなくなる。



例えばリンク先の荒れた教室の対策として、教師は終始信頼にばかりピントを合わせている。
http://ameblo.jp/ganbaredameomajide/entry-11891127322.html



これは今の日本の標準的な対応の仕方なので疑問に思う人は少ない。


でも、私から見れば重視されるのは信頼ではなく「正常に授業が行われること」であり、その対策として「具体案」を考えなければいけない。



信頼は対策の一個に過ぎず万能薬でもないのに、今の日本では万能薬の地位にいる。



さらに言うなら信頼とはこちら側の「一方的な」感情に過ぎない。



思いが届くはずと自己陶酔しても「相手」がソレに価値を見出さなければ聞いてもらうことすら出来なくなる。聞かない場合は改善するはずがない。


しかし、問題はそれだけではない。



信頼を重視してしまえば、その思いが届かないのも、改善しないのも、信頼が足りないせいだと思ってしまい物事の本質にたどり着かず思考停止状態になり混乱は増していくと考える。




悪人改善プログラムでも「信頼」の大事さを強烈に教えられる。彼らを信じることが大事ですと。



しかし、犯罪を行う場合、大別するとこの二つが引き金になると考える。それは「無理やりやる」か「信頼を得てからやる」だ。




信頼を得ることは犯罪を抑えるどころか、大きな引き金の一つである。




しかし、信頼を重視すれば「犯罪者が改善していなくても」信頼のせいに出来る。環境のせいにも出来る。


本当は信頼が大事なのでなく「再び犯罪が起きないことが大事」であり「犠牲者がでないことが大事」なのに。



犠牲者がでないことにピントが合えば、厳しさも必要になるし、他の具体案も出てくるはずだが今の日本ではそれが行われない。




平気で人を刺す人を「信じて解き放つ」のが正義なのである。











残念ながらこの世界には確実に「悪」がいる。悪がいるのだから備えは必要なはずだが、信頼はあらゆる備えを破壊する。




スパイがいても「疑うこと自体が悪」なのでスパイは自由に動きやすくなる。改善しない人がいても、信頼や環境のせいにして許すことができてしまう。

←クリック




信頼を重視することは悪を「意図せず」優遇してしまい、罪なき一般人が苦しむ世界が生まれる。




しかし、信頼を重視するのは危険すぎると思っているのだが理解者がいない。これを言えばなんと心の貧しい人でしょうと、こちらが「悪」になってしまう。



普通はどんな世界でも信頼を重視しない。


ある職人の方が「私の仕事に100点はありません。常に疑い改善の余地を探しています」と言った。


歴史に名を残した絵師の方も「職人に100点はない。生涯修行である」と言った。


製造でも、開発でも、建設でも、スポーツの世界でも、およそ思いつく多くの業界では


信頼することを重視するのではなく、信頼されるようになることを重視している。常に疑うからそれが改善点となり、あらゆる面が磨かれていく。



安易に信頼しないことは、身を守るだけでなく、あらゆる面で成長に繋がっている。



子育てだって自分の子供の可能性を信じているからこそ「愛を持って」厳しくする。



大した努力もせずに信頼を与えられ、厳しさを知らずに甘やかされて育った子供がどうなるか。その答えは推して知るべし。





その人の可能性を信じてるからこそ、容易に信じず「まだいけるハズ」と励ますのは、何も間違っているとは思わない。



表現がおかしいかもしれないけど


その人の可能性を信じているからこそ、容易に信じないようになるのではないだろうか。




それなのに、例えば罪人など、これからさらに成長していかなければならない対象に、過度の信頼を「最初から」与えるのは何の意味があるのだろう。




通常なら、成長した結果として信頼を得るはずなのに、最初から与えてしまえば、混乱しか呼ばないのも当然と思ってしまう。



頑張っているのに成果がでない人を信じ続けることと、頑張る気もなく、自制心もなく、破壊的な衝動を強める人を信じ続けることは、本質が全く違うことも多くの人がわかっていない。



後者の場合は、こちらが万事を尽くしても尚改善しないのなら、どこかで厳しくする姿勢や見捨てる残酷さも必要になる。そうしないと彼が改善しないだけでなく、周囲の人が「犠牲になるだけ」の状況が続いてしまう。



今の日本はスパイ天国でもあるし悪人天国でもある。彼らからあらゆるものを守るためにも疑いは必要なのに、疑うこと自体が「悪」になっている。



本来の悪は感情ではなく「行動」で悪意を示す側だと思うのだが。





私は信頼を重視するのは、百害あって一利ありと考える。その一利は、慈善を行う者の自己満足を満たすということであり、その他の利を見つけることができない。



他に何があるのだろうか。本当にわからない。




信頼を重視しすぎれば間違いなくイギリスのようになる。信頼することではなく、信頼できる人と付き合うのが大事なのに、信頼は傍若無人の人を次々と呼び寄せるようになってしまう。


イギリス終了してる…↓
http://majikichi.com/archives/8503931.html

平等を突き詰めれば世界はカオス化し終焉に向かう
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/34294463.html



疑う強さを持たないと日本は終わる。警戒心は全ての生物にある必須の感情である。これが悪になっている今がおかしいのに誰も気づかない。




疑われるのは誰でもいい気はしない。しかし、素晴らしい人格があればそこまで疑われるはずがない。信頼できる人格があるなら、疑いは絶対に晴れるようになっている。




過度に疑われるのは、自分がまだ未熟か、自分が信頼されない「何か」をやってしまっている。




信頼を取り戻すためにも、自分は成長するのだと決意し、自己研磨しないといけないはずなのに、最初から信頼を与えてしまえば成長の機会を壊すだけだ。



例え疑われていても、それに負けず成長を心掛け、人に優しくし、成長を続けることができれば自然と信頼は手に入るのはないだろうか。



信頼とは本来与えて貰うものではなく、自分で掴み取るものではないだろうか




と、ここまで書いても理解されない。綺麗な響きの信頼は守備力も攻撃力も最強すぎて私には太刀打ちできない。



9条に染まった業界以外で信頼を重視する人達を客観的に見れば、その危険性や曖昧さがわかると思うのだが、GHQの作った偽平和主義に染まった人に声は届かない。




信頼を重視するのは、思考停止をもたらし、脇が甘く、詰めが甘い状態を作っているだけなのになぜ誰も気づかない。このままではますます国が混乱していくだけである。





※ここで言う信頼は過度な信頼です。ご了承下さい。

━─━─━─

「命の教育」なぜ効果がないのか←クリック

コメントから抜粋


守る事と揉み消す事は違うって、まだ気づいていないんでしょうかね。殺人は子供のやったことだからと済まされる問題ではありません。それに高校生であれば人格もほぼ形成されていますし、その時点で問題を起こす人間が更生できるとは甚だ思えません。工場で不良品を弾くように、人間の不良品だって取り除かなければなりません。こういう体制は中国で腐った肉をナゲットに使うのと変わりありませんよ。




そんなことをいっても信じることが大事だと言うのが今の仕組みです。まったくわかってもらえません。俺のまわりは理解者皆無です。論破は不可能だと思ってます。何を知っても信じることが大事で返せますから。人間に不良品なんていないんですよ。殺すのが楽しい人だって不良品じゃなくて殺すのが大好きなひとりの人なんです。←オイオイ




論破不可能でしょうか?人情に訴えかけるのではなく人としての道理を優先すれば、未成年であろうと罪を犯した者は裁きを受けるのが当然と言えます。どちらか一方に加担するのは公平とは言えません。不良品を必要以上に信用したから同じ過ちが繰り返されているのでしょう?


━─━

結婚詐欺被害の話題で中国人「騙される方が悪い、日本人は弱すぎ」










http://crx7601.com/archives/40673054.html

マキャベリの言葉

貧しい兵士にとって最大の報酬は、丸腰の何もできない金持ちの男だ。


権力を持った人々の間でも、最近に与えた恩恵によって、以前の怨念が消えるなどと思う人がいたならば、その人は取り返しのつかない誤りを犯すことになる。


自らの安全を自らの力によって守る意思を持たない場合、いかなる国家といえども、独立と平和を期待することはできない。※個人でも同じ。信頼を防衛と勘違いしてはいけない。信頼は防衛の真逆の無防備である。

ヒトラーの言葉
自己をあらゆる武器で守ろうとしない制度は、事実上自己を放棄している。

テロは同程度のテロで対抗しない限り必ず成功する。
(現在日本は見えないテロを仕掛けられている)

犯罪者の言葉 
人の命なんてアリやゴキブリと同じやんか。けど僕の命だけは大切や。酒鬼薔薇聖斗 

聞いたか?お前らのガキ8人分合わせてたった俺一人分の価値しかない命やったんや。宅間守 

人間?うん、それは俺にとって何でもなかった。ただの、白紙だった。ヘンリー・リー・ルーカス 

やめたかったが無理だった。他になんのスリルも喜びもなかったんだ。デニス・ニルセン 

私が人間を殺すのは、詩人が詩を詠うのと同じだ。 H.H.ホームズ

僕は人間の生と死を支配したかった。地球上から人間一人減ったからといってどうだというんだい?。テッド・バンディ 


S君の分まで長生きしたいです 。栃木リンチ殺人事件・主犯の少年 

玄関の鍵が開いてるのは、『やってもいい』の合図だ。リチャード・チェイス 

俺は精神異常やない。道徳と善悪をわきまえんだけや。梅川昭美 

悪いと思って行われる犯罪は存在しないのです 。
永山則夫 



こういった人たちが下手したら二年で出てきます。信頼が大事ですか?

本来なら再び犯罪が起きないのが大事なのではないですか。

信頼にピントが合いすぎた人はそれすらわからなくなるのです。


今の世の中は勧善懲悪、信賞必罰、油断大敵の真逆です。



宋襄之仁の意味を検索してみましょう。

━─━

信頼を重視するのは形を変えた無防備平和主義(国民見殺し主義、自滅主義)に他ならない。備えを持たないことがどれだけ危険を呼ぶのか。改善の真逆になるのか。その恐ろしさに誰も気づかないのです。だめ男。