偉人が環境のせいに警告を鳴らす
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あなた自身とあなたの現状を哀れに思うことは、単にエネルギーの無駄遣いだというだけではなく、人間が持ちうる最悪の習慣である。
環境だけで人間の幸不幸が決まるのではないことは、明らかだ。幸福だとか不幸だとかいう気持ちのあり方は、こうした環境をどのように受け止めるかによって決定される。
自分の欠点ばかり気になり出したら、そんな劣等感を直してくれる人間はこの世に一人しかいない。つまりあなた自身だ。
幸福になりたければ、やれ恩を返せだの恩知らずだのと言わないで、人に尽くす喜びだけを生き甲斐にしようではないか。
気のふさいだ馬を見たことがあるか?
しょげかえった小鳥を見たことがあるか?
馬や小鳥が不幸にならないのは、仲間に「いいかっこう」を見せようとしないからだ。
私たちの疲労は仕事によって生じたのではなく、悩み、挫折、後悔が原因となっていることが多い。
幸福への道はただ一つしか無い。それは我々の意思の力ではどうにもならない事柄について悩む事をやめることにある。
一年前にあなたが悩んでいた事柄を思い出していただきたい。どうやってそれを切り抜けただろうか。
そうした悩み事ばかり気にかけて、エネルギーを浪費しなかったろうか。結局そうした悩みは、ほとんどが取り越し苦労だったのではないか?
眠れなければ、床の中でくよくよしていないで、起き上がって何かをすればよい。疲れるのは心配するからだ。眠れないからではない。
ほとんど気の遠くなるほど多くの悩みや、隠れた緊張の数々は、何百万人もの人々が、自分に向いた、心から打ち込んで実力を発揮できる仕事が見出せず、それどころか、嫌いな仕事で生活の糧を得ていることに起因している。
私の言い方は、行く手をさえぎる不幸に対してことごとく頭を下げろと主張しているように聞こえるだろうか?
断じてそうではない!それでは単なる運命論ではないか。
事態を好転させるチャンスがある限りたたかうべきだ!
けれども、常識で判断してもはや万事休すとなれば、「悪あがきをしたり逆転を望んだりしない」ことが正気の沙汰というものだ。