スポンサードリンク

政治メイン版 元ニートだめ男のブログ

元ニートだめ男が政治を語るブログ

スポンサードリンク

【自論】予言に100%はありえない

スポンサードリンク

過去現在にいたるまで様々な預言者がいましたが、どんなに優れた預言者でも100%あてた人はいないはずです。




そして、これからも100%あてる人は出てこないはずです。




絶対にそうだと確信を持って言えます。



詳しく書きませんが、それは神の作ったこの世の仕組み的に絶対にそうなる。




この世の大まかな設計図があり、この世はそれに沿って流れるプログラムやホログラムのような側面を持っている。



未来の設計図もあるが、その設計図は「必ずそうならなければならない」という絶対的な強制力を持たない。



そこには自由度がある。




ただし、その人の能力で的中率は変わるし、なりやすい未来とそうでない未来がある。




わかりやすい例では、包丁で手術をするドクターフリッツという医師が理解しやすいかもしれない。





正しくはフリッツ医師の霊が憑依した人が包丁を持って手術をするのだが、憑依した人は一人ではない。



現在で五人目なのである。





彼らはその霊から人を治す力だけでなく、憑依された自分の死因と死ぬ日時も具体的に教わる。






その霊の予言通り四人は交通事故や殺害など、安らかとは言えない死を迎えているのだが、その予言が外れた人がいる。それが五代目なのだ。






彼も先代と同じように霊から死に様と日時まで教えられているが、その予言は外れて今も生きている。




予言に100%はない。それは今までの予言者を見ても間違いない。



でも、多くの人はそう考えない。




予言に翻弄され運命論者になりがちだ。



悲観はだめで楽観は良いという風潮がある。




でも、未来は良くなるはずと思って楽観的にいた時に、絶望の未来が来たらどうなるだろう。



運命論者のその人は、楽観主義から一転し、そんなはずではと神をも恨む憎しみの権化になりかねない。






何度も書いているけど、絶望の中でも希望を見れる強さを持つ人と、絶望があってもそれを見て見ぬふりをする傍観者では本質が全く違う。




運命論者になってしまっては、自分を成長させようと思う原動力も失いかねない。





運命に身を任せて生きようとする人。どんな未来があっても運命を自分の手で切り開こうとする人。





文字にすると小さな違いのように見えても、両者の生き方や思考は、大きな違いになるはず。




そして、今の地球に必要な人は、どんな未来が待っていても運命を切り開こうとする強さを持つ人なのだと思う。




俺はだめ男なのでもちろんそんな人ではないですが、そんな人になりたいなとは思います。



俺から見たヒトラーの予言クリック





成功哲学 ブログランキングへ

食は運命を左右する―現代語訳『相法極意修身録』/たまいらぼ
¥1,620
Amazon.co.jp