これ↓
私が見た死刑反対者は犯罪者の殺人は絶対に許さないとは言わず様々な意見で擁護し、国家による殺人は絶対に認めなかった。
果たしてそれは正しいのだろうか。
ドゥテルテ大統領と織田信長は厳罰化で劇的に治安を良くした実績があるが死刑に関する考えが変わるかもしれない記事の紹介。
妻を殺されたら死刑賛成派に回り
1人殺しても死刑にできるように法律を変えさせた
って本当ですか?
本当なら凄いですね
人権論者なんてそんなもんです
犯人(66)は山一証券との株取引で損をし、そのうらみから同証券での交渉相手だった岡村弁護士宅を訪ね、応対に出た夫人を用意したナイフで刺し殺した。
岡村弁護士は犯罪の被害者になって初めて「司法と被害者の距離を実感した」という。←俺が拡大しました。俺的注釈。人権派は美辞麗句を信じすぎて「綺麗事のいきつくところが破壊になる」のを認識できない。殺人者を調べたところ虐待をうけた子供だけでなく病的な過保護の子供も猟奇的な犯罪をすることがわかった。 と誰か言ったんだが名前忘れた。日本に限らず世界中で人権は安全や人命よりも重くなっている。人権が優先されるのではなく安全が優先されなければ平和がくるはずがないのに多くの人がソレを認識できないのだ。
男が捕まって裁判にかけられても、その言い逃れに被害者の岡村弁護士は一言も反論できず、「じっと唇をかんで」黙っているだけだった。「なぜ、ここまで被害者が捨て置かれるのか」
やっと法廷で証言する機会を得た岡村氏は「(犯人を)極刑にしていただきたい」と訴えた。被害者としては当然の思いだった。
そして昨年夏、東京地裁で判決が下された。「主文、被告人を無期懲役に処す」
彼の証言は聞き流された。というか、日本の法廷には長年積み上げられたパターンがあって、それに外れる、例えば被害者の声を反映するといったことはマニュアルにはなかった。
どういうパターンかというと、「一人殺しただけでは死刑にはしない」「判決は求刑の八掛け」「相手が少年ならうんと減刑して『更生して罪を償うように』と付け加える」「刑罰を厳しくしても犯罪は減らないというせりふも折に触れて挿入する」等々だ。
教養もいらない、常識もいらない。ただ司法試験をパスするだけで裁判官になれる日本の法曹界では、はっきりいって頭を使う判決は無理がある。
だから、こういう事件はこう、ああいうのはどうというパターンにはめこむ方式が最も無難な方策として取られてきた。
この判決も「一人殺しただけでは死刑にしない」慣例と、「判決は求刑の八掛け」に従った模範主文で、締めの言葉も何度も使われた「自分の犯した罪に向き合って生きるように」だった。「被害者の気持ち」を斟酌するパターンはもともとなかったのだ。
岡村氏は怒り、それは大きな波紋を呼んだ。なぜなら彼は一般人ではなく同じ司法試験を通った身内で、なにより人権に一番うるさい日弁連の元副会長だった。
これは過去にはなかった例で、それで裁判所も検察庁も考え直した。まず検察庁。求刑の八掛けで無期なら慣例通りだが、あえて控訴した。「身内が被害者の場合、一人殺しても死刑にしようではないか」というわけだ。
裁判所も思い直した。岡村弁護士の、殺された妻の遺影の法廷持ち込みを認めようじゃないか。
たとえばこの三月、山口県光市で起きた母子殺害事件の判決公判では、一般市民である夫が殺された二人の遺影を持ち込みたいというのを「被告に心理的な圧迫をかけるから」と禁止していた。日弁連の人権派弁護士の要求に沿ったしきたりによるものだ。
それが身内の弁護士が被害者になったとたん、コペルニクス的転換を示したわけだ。ブレイディと同じに、ヒトはその痛みが分かれば大きく変わるものである。
岡村弁護士は東京高裁での初公判で被告に向け遺影を高々と掲げた。そのおかげで光市の母子殺害事件控訴審でも、夫に「被告に見えないように」という条件で遺影を持ち込むことが認められた。大いなる進歩である。
腐ってやがる
要するに馬鹿なんだな
そして、判決の日。 検察側は死刑を求刑、岡村さんも、当然死刑を望んでいた。 しかし、判決は無期懲役。 納得のいかない判決だった。
岡村さんはかつての自分の姿を思い出した。 それまで岡村さんは、被告に求刑より軽い判決が下されたときは、弁護士としての満足感を感じていた。
そこに、悲惨な被害者いたことなど、考えもしなかったのだ。
愛する妻を亡くした絶望、40年近く打ち込んできた弁護士という仕事に対する自責の念。 岡村さんは、大きな二つの十字架を背負うことになったのである。そんなある日のこと、妻の友人から手紙が届いた。 そこには、生前のエピソードが書かれていた。 それは地域の集まりでの出来事だった。 眞苗さんは、自己紹介で「私の趣味は主人です」と言ったという。 妻の笑顔が胸に浮かんだ。 そして、岡村さんは、こんな辛い思いを誰にもさせてはいけないと決意した。
事件から3年、岡村さんは70歳で犯罪被害者の会、通称「あすの会」を設立。 たくさんの犯罪被害者の前で自らの思いを発信。 あすの会の会員は日に日に増えていった。そして、司法制度の改革を目指し、政治家や役人への働きかけをスタートさせた。 岡村さんが最初に訴えたのは、犯罪被害者の権利。 これまで、傍聴席で見守るしかなかった犯罪被害者が、法廷の柵の中に入り、裁判に参加できる制度を提案した。しかし、専門家達から予想以上の反対意見がでた。 実は、今から23年前、最高裁で裁判の在り方をしめすある判決が下されていた。 その判決で、「裁判は国の秩序を守るためのものであって、被害者のためのものではない」と名言。 それ以来、法廷は検察と被告が争い、裁判官が判決を下す場であって、そこに被害者の居場所が無いというのが、司法の世界の常識となっていた。

そこで岡村さんは、被害者が裁判に参加できる制度が確立されているドイツを訪問。 その実情を自分の目で確かめることにした。 そして、被害者が参加して裁判が失敗することはないという確信を得た。
新制度成立の確かな手応えを感じた岡村さんは、更なる行動に出た。 署名活動を始めたのだ。 犯罪被害者のための裁判の実現を専門家ではなく、直接国民に訴えた。 その地道な運動の輪は徐々に大きくなり、署名活動は全国に広がっていった。
そして、1年半にわたる署名活動で、実に55万に及ぶ署名が集まったのだ。 それらを携え、岡村さん達が向かったのは、首相官邸。 小泉総理大臣(当時)の元に直接訪問し、犯罪被害者の現状を懸命に訴えた。 すると、小泉総理は犯罪被害者の権利回復に付いて取り組むことを約束、大きな一歩だった。だが、専門家達からは尚も反対意見が相次いだ。 深夜に及ぶ会議資料の作成。 反対意見の多い会議へのストレス。 70歳であすの会を立ち上げ、岡村さんはすでに76歳、体力的には限界に達していた。 だが、立ち止まる訳にはいかなかった。
岡村さんは、会議で自分の思いをぶつけた。 そして、1年にも及ぶ検討会は終わった。 これを元に、政治の方針となる計画案が作成される。内閣府から基本計画案が送られてきた。 そこには、法廷への参加も被害者への保証も全て盛り込まれていた。 さらに、「裁判は被害者のためにもある」とはっきり書かれていた。 最高裁の判例を覆す言葉だった。
そして、2007年6月20日。
いくつかの修正が加えた後、被害者が裁判に参加できる制度など、岡村さんの思いが盛り込まれた法案が圧倒的多数で可決された。 それは、日本の裁判の在り方が変わった瞬間。 眞苗さんの事件から実に10年が経過していた。

http://www.fujitv.co.jp/unb/contents/131031_2.html
これよむと司法関係者はみな反対してるな
政治家のほうがまともな判断をしたわけか
権力側は自分たち権力者の行いは正義だから特別扱いしろってかwww
俺が嫌な思いしたから死刑賛成
死刑基準がどんどん緩くなるわけか
とか番組やって美談にしてたな
最初から善人だった人より誉められるパターン
犯罪者が減って一番困るのは弁護士
身内が殺られたら誰だって考えることは同じ
元スレ死刑反対派の弁護士が妻を殺されたら死刑賛成派に回り1人殺しても死刑にできるように法律を変えさせたって本当ですか?
犯罪を環境のせいにして犯罪者の権利を守ろうとする人達
精神科医小田晋先生の著作より
・・・・・・・以下過去記事・・・・・・・・・・・
「秩序破壊型」の言論が出てくるのは、とにかく少年非行を環境のせいにしてしまい、本人の責任はなるたけ問わない、という発想の結果であると思われる。
しかし、こういう形の保護主義は果たして正しいだろうか。
こういう考え方の背後には1970年代、全共闘時代の
1.犯罪、苛め、不登校等の教育病理、社会病理は現体制の矛盾に発しており、革命以外に解決の方法はなく、それを個人の責任に帰するのは間違いである。
2、それどころか、犯罪者、非行少年、精神障害者ホームレスなどの反社会的エネルギーこそが体制内化した労働者、農民に代わって革命の原動力となるーという新左翼、過激派の発想が存在する。
(中略)その中で培われた社会に対する「加虐の快感」は、尾を引いて「社会解体促進同盟」(略)
「犯罪者応援団」とでも言う他ないような動向になって、国家、司法、精神医療、教育、家庭などおよそその邪魔になりそうな制度全般を麻痺させその機能を失わせようとしているのである。
その動向が今、最も先鋭に打ち寄せているのが教育の領域だと言える。
「人権」「保護」の主張は、場合によってはその美名の下に犯罪、非行に対する社会の抑制力を消滅させようとするものにすぎないのであり「隠された動機」の存在を読み取ることが出来るのである。
(中略)
実際、全共闘運動は、日本に革命を起こすことには失敗したが、社会を破壊することにはある程度、成功した。
この成功体験による快感、攻撃衝動の充足が彼等の言論の大きな特徴に為っている。
だからこそ、全共闘世代及びその影響を受けたより若い世代の「人権派」の主張は一貫して
「建設」「構築」よりも「破壊」「攻撃」に強く傾斜している。
1970年代以来、彼等は精神医療や矯正のシステム、警察組織の効力を弱めよう破壊しようとしてきた。
また、それぞれ、部分的には一理ありそうな代用監獄制度への反対、保安処分反対、管理教育反対を唱え、子供の権利を擁護すると言いながら、
結果的にはいじめっ子のような加害者の人権だけに加担している。
(引用終了=小田晋)
*小田晋氏の昔の著作の中の一部分ですがここで注目したいのは、
全共闘世代の基本的理念は、全ての反社会的行為が、現体制の責任であるかのようにマスコミを使って世論を誘導する、ということ、
従って犯罪は個人の責任に帰するのではなく社会(現体制)が負うべきである、ということ、
だから現体制、現制度そのものを破壊すべきである、ということ。
こうしてみれば彼等の考え方そのものはその1970年当時からいささかも変わっていない、と思えます。
彼等の目的は結局ただ、ひとつ、
「革命」なのです。
暴力革命はこの日本ではもはや無理。
それで官僚や教職についたり政治家になったりして、内部からの破壊を長年に渡って続けてきた。
ウカウカしてる間にいつのまにか社会の中枢にはそのような革命をあきらめない勢力が増殖していった。
政治家、マスコミ、官僚それこそ三位一体になって国民などおかまいなし、自分等の理想である
共産主義、社会主義国家を築く為長年に渡り活動をやめなかったのです。
(略~)
小田晋氏の慧眼には敬服します。
こうして著書などで危険を指摘されていましたがテレビに出てくる精神科医はほとんど御用学者。
反日サヨク色の強い人が重用されますので小田先生の正論は、広くは行き渡りませんでした。
残念です。
(以上2009年の自筆記事より
時代に会わない部分は削除)
立法者にしろ、革命家にしろ、平等と自由を同時に約束する者は、空想家か、さもなくば詐欺師だ。 (ゲーテ)
ここ最近、先進国では次々と死刑を廃止しようという動きがさかんである。
イギリスを筆頭にヨーロッパのほとんどは廃止しており、ロシアやオーストラリアなど、死刑廃止論者たちの声は確実に世界に広がりつつある。
しかし、
死刑が犯罪を防ぐといった研究結果が多数出ている
ことはどこのメディアも報道しない。
そして死刑復活を望む声が移民政策に苦しむ欧州からあがってきているのも報道されない。
実際に殺人者を死刑にすることは、殺人を減らす働きがあるのかどうかという研究もなされていた。
そしてその答えは「YES」と出たそうだ。
一人の殺人者を死刑にすることによって、3~18人の命を助けることができたかもしれないという結果が出ている。
当然この結果に反論者たちは少なからずショックを受け、データそのものに懐疑的ではある。
しかしながら、おもしろいのは、このデータを出した教授も死刑反論者だったようで、彼のセリフが非常に印象的であった。
「死刑にはそりゃ反対さ。だが結果は、死刑が殺人を予防すると出ている。これをどうしたらいいのかね?隠すのかね?」
当然同様の研究は今までにもなされていて、多少の数の差はあるものの、同じく死刑による別の殺人の減少の効果をあげている。
今までに出た結果として以下の例がある。
・一つに死刑に対し、平均18の殺人を妨げる効果があがる(全国を対象にしたエモリー大学の教授による2003年の研究)
・イリノイ州での2000年の死刑一時廃止により、4年で150の殺人を誘発したとヒューストン大学の教授が2006年発表
・死刑を早期に執行することは、殺人を減少させる効果を強固なものにする。2.75年早めることによって、殺人を一つ防ぐことができる。(2004年のエモリー大学の教授の研究による)
2005年には米国では16,692もの過失でない殺人事件があり、そのうち死刑執行されたのは60件だそうだ。
人命を尊重するという道徳的な理由で死刑を反論する人が多いが、この研究結果が正しいということになれば、この道徳そのものが揺り動かされてくるのではないだろうか。
殺人犯を一人救ってやるために、数人死ぬという結果が出るとなると・・・
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犯罪性は遺伝するのか
オランダのある家系では犯罪を犯す全ての人がMAOA(モノアミン酸化酵素A)の欠落する遺伝子疾患を持っていた。
オランダの遺伝学者のハン・ブルーナー博士の論文。
https://first-genetic-testing.com/character/crime.html
教育ですべてが変わると思っている慈善者、偽善者に問いかけたくなる内容ではないか。
以下、過去記事。
「犯罪者の子どもは所詮、犯罪者なのだろうか」
海外では「サイコパスと遺伝」についての驚くべき研究結果も発表されている。
イギリスで、1994年から3年間に生まれた5000組の双子の子どもたちを対象に、反社会的な傾向の遺伝率調査が行なわれた。
それによると、「冷淡で無感情」といった性格を持つ子どもの遺伝率は30%で、残りの70%は環境の影響だとされた。
次いで研究者は、教師などから「矯正不可能」と評された、きわめて高い反社会性を持つ子どもだけを抽出してみた。
その結果は、衝撃的なものだった。
犯罪心理学でサイコパスに分類されるような子どもの場合、その遺伝率は81%で、環境の影響は2割弱しかなかった。しかもその環境は、子育てではなく友だち関係のような「非共有環境」の影響とされた。
もちろん、あくまでもイギリスでの一研究結果に過ぎず、また犯罪全般ではなく「サイコパス」に限っての話である点は忘れてはならない。安易に「犯罪と遺伝」を結びつけるのは許されないことだろう 。
しかし、昨今、何不自由なく育ったにもかかわらず、異常な殺人や誘拐などをおこなった「少年」「少女」のニュースがよく伝えられる。
恵まれた環境で、教育熱心な親に育てられたのに、理解しがたい残酷な事件を起こす若者の「動機」については、多くの場合、納得のいく説明はなされないままだ。
(以下略)
※全てを環境のせいにする勢力の理論では恵まれた環境に育ち愛情を注がれた子供は犯罪を犯さないはずである。しかし、例外も存在しているのだ。
http://www.dailyshincho.jp/article/2016/05120520/?all=1
政治学者のハンナアレントは自らが迫害され亡命された経験も踏まえ、正義 革命 全体主義について鋭い考察を行っている。
彼女は社会主義と人権思想がテロリズムの温床になることを見抜いた。
弱者に対する同情、虐げられたものに対するあわれみが野蛮を生み出すメカニズムを明らかにした。
徳の源泉と考えられていた憐みは、残酷さそのものよりも残酷になる能力を持っていることを証明している。
哀れみのための、人間に対する愛のため、非人道的人間になれとの言葉を残す。
日本の治安が劇的に良くなったのは信長が迷惑をかける側を容赦なく死罪にし一般市民を守り経済の流れを良くしたからだった。海外から来た人が日本の治安の良さに驚いていたが、見せしめなどの非人道的な行為が犯罪を減らしていたのではと考える人もいた。
反戦運動家の正体http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/38130300.html
同記事によると、今年2月、女性は寒さで凍える男を見かけ、親切心から男を自宅に招き、サンドイッチや温かいお茶を振る舞ったという。
数時間後、ある程度食事が済んだところで、女性が男に「そろそろ寝るからお帰りください」と伝えると、男は激怒。女性の意識がなくなるまで殴り続けたという。
女性は意識を取り戻した後、自力で病院に行ったが、片目は破裂してあごの骨も骨折していることが分かった
。目は治療のしようがなく、摘出を余儀なくされたそうだ。女性はパニック発作に苦しむ日々を送っており、「もう誰にも親切にはしたくない」と同記事のインタビューで話している。
このニュースが世界に広がると、ネット上では「ひどすぎる。女性は恩を仇で返された」「ホームレスに親切にしてはいけないと学んだ」「知らない人は家に招いてはいけない」などの声が寄せられた。
https://metro.co.uk/2019/04/30/woman-lost-eye-homeless-man-invited-get-warm-beat-9355923/
切り捨てが正しいという見本
発達障害とか多いからな
感情が抑えられんヤツとか多いわ
頭おかしいんちゃう
こいつは迂闊なだけで善人やろ
ほんこれ
綺麗事だけで教育するとこうなる
これだろうな
ホームレスを助けた優しい家族がホームレスに殺される
彼のことを助けたいと考えた奥さんはその足で彼を車に乗せホステルへ連れていき宿泊場所とともに食事を世話した。
そしてバーリーの「僕にはただ、誰か手を差し伸べてくれる人とチャンスが必要なんです」という言葉に応えウィルキンソンさんは自分の事業の一つで彼を4月から雇うことにした。
しかしバーリーがドラッグをやり始めたため、ウィルキンソンさんは9月に彼を解雇した。
再びバーリーがホームレスとなったと知った家族は、もう一度支援しストリートに戻さないために彼を見つけ、アパートを用意した。1月にはフルタイムの仕事も見つかったので、家族で喜んだ。
家族とバーリーは何度もディナーを供にした。バーリーから奥さんに「私が持つことの無かったお母さんへ」と書いたカードを贈ったこともあった。
今年の2月にもバーリーとウィルキンソン家は食事を供にし、カレーを食べビールを飲んだ。
その食事から1ヶ月後、次に家族と会ったバーリーは殺人鬼となり家族を襲った。早朝ウィルキンソンさん宅に侵入したバーリーは寝ている奥さんと13歳の息子を数十回ナイフで刺し殺害。
犬の散歩から戻ったウィルキンソンさんも8度刺され重体となったが、97針を縫う手術の末一命はとりとめた。
バーリーは逮捕され拘禁されたが動機について何も語らなかった。
事件については得意気に語り、唯一の後悔はウィルキンソンさんを殺せなかったことだと語った。
ウィルキンソンさんは、「犯行の理由は再び職を失いアパートを追い出されたことだと思う」と語った。
審問では、動機はバーリーの携帯電話契約を家族が解約したことによるものである可能性がある、とされた。
バーリーは母親とその叔父の間の子供であり、境界性人格障害者であった。幼少の頃に母親と父親を亡くし、クラスでは病的なクラスメイトの家族への発言のために嫌われていた。
バーリーは問題児であり、14歳で学校を退学、20もの前科を持っている。
バリー(24)

奥さん

ウィルキンソンさんと娘

ウィルキンソンさん宅

http://www.dailymail.co.uk/news/article-4943744/Homeless-man-admits-mother-son-murder.html
そら8回刺されても生き残りますわ
こういう特権階級が居なければホームレスになんてなってないし
なるぞ
こんなことされたら内心屈辱まみれに決まっとるやん
おわり
クズに手を差し伸べるなら薬やろうが何しようが一生面倒見る覚悟を持たんと
昔の人は賢いわぁ
使い方間違ってる定期
だからって殺したらアカンけどな
別記事
http://sirabee.com/2019/08/16/20162143903/
オーストラリアのシドニーで暮らしていた女(20)が、昨年11月に運転していたところ、車の故障に気付き困り果てた。
車を停め道端で動揺している様子だった女を見た親切な男性(36)が「なら僕が確認してあげましょう」と申し出て修理を手伝ったというが、女は男性に対し感謝するどころか数々の嘘をでっちあげ、男性の人生を台無しにした。
(中略)
通報され身元を特定された男性は逮捕され、刑務所で過ごすはめに。冤罪であることが証明できるまでの苦しみは相当なものだったといい、この逮捕がきっかけとなり愛する妻子にも去られ、仕事まで失ったという。
しかしその後に防犯映像を見せられた女は「暴行被害など受けていないではありませんか」と問い詰められ、「あれは嘘だったんです」と自供。しかし嘘をついた理由については明かしていない。
■「善意を捨てる」と語った男性
その女がこのほど同冤罪事件につき有罪であると認め、今後については各メディアに「少なくとも数か月間の刑務所暮らしが待っている」と伝えられた。
その一方で、恩を仇で返された男性は、「いつだって僕は人助けをしてきましたが、もうしません」「僕は全てを失ってしまった」「あの女には、死ぬまで悩み苦しんでもらいたい」と語っている。
韓国の子育て観「人様にどんどん迷惑をかけろ。そして勝て」
http://awabi.open2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1395309839/
外交や歴史観で問題を抱える日韓関係。子育て、人間関係、歴史認識などで生じる夫婦間の「壁」とは。
一見、似ている日本人と韓国人。だが、「そこが双方誤解のもと。日本と韓国は社会のつくりが全く違う」と話すのは太田厚志さん(54)だ。韓国人女性と結婚、妻の出身地・大邱(テグ)広域市で約25年暮らし、日本語などを学生に教えてきた。現在は永進(ヨンジン)専門大学・外国人主任講師。太田さんは語る──。
韓国で暮らし始めたときは戸惑いました。人間関係のあり方が日本とあまりに違うから。日本人はまず「なごやかな雰囲気」を作ろうとする。ところが韓国人はそうじゃない。むしろそれに生理的に反発する。相手の立場を察することもない。空気など読まない。個人と個人のぶつかり合いです。
家での子どもの教育も、日本人だと、子どもにまず教えるのは「人様に迷惑をかけるな」。でも韓国は違う。うちは大家族で、姑が、私の子どもを含む孫たちを教育しましたが、
「家族は一体だ。家族には忠誠を尽くせ。でも一歩外に出たら他人にいくら迷惑をかけてもいい。どこまでも自分を主張し、堂々と、自分のやりたいことを貫け。そして勝ちなさい」
と教えました。徹底した個人主義です。人間同士の一体感など求めない。目指すのは、欲望の渦である現実社会で、あの手この手で生き抜いて成功すること。自由主義なんです。一方で、韓国社会は脱線行為をしてしまった人間には寛容です。黙って放っといてくれる。
※AERA 2014年3月24日号より抜粋
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140320-00000011-sasahi-kr
妻をめとらば韓国人!?」より
「思いやり」という言葉
一学期が終わって日本人学校に通っている娘が通知表をもらってきました。担任の先生の所見欄を見ると、娘は「思いやりがあり・・・」と書かれています。 韓国人の妻は、「ここのところ、よくわからないから全部韓国語に訳してみて」といいます。 私は困りました。
というのは以前、日本に長く住んでいる韓国人の友人から「韓国語に絶対訳せない日本語があるんだけど何だか知っているかい?」とたずねられた事があるのです。
それがまさにこの “思いやり” だったのです。
※だめ男メモ。在韓の人に聞いたら本当に思いやりがなかった。
辞書を見ると韓国語で「同情する事」「推測すること」などとなっています。 しかし、これでは “思いやり” という言葉に含まれた深い気持ちは表現できません。 結論から言ってしまえば韓国人は “思いやる” ということをしません。 そういう言葉がないということは、そういう気持ちも、そういう行為もないことになります。
小さい時から、家庭教育、学校教育、社会教育の中で “思いやり” に類したことは全く教育されていないのです。
韓国では幼稚園でも小学校でも、日本のように「皆と仲良く」とか「他人に迷惑をかけるな」という教育を一切やりません。反対に、一貫して強調されているのは「一番になれ」「他人に勝て」という事です。
父親の仕事の都合で、日本の幼稚園や小学校で何年間か学んだ韓国の子が,韓国へ帰ってから何事かにつけ同級生たちに遅れをとって困るという話もよくききます。他人を思いやったりしているうちに何でも先を越されてしまうそうです。こうなると韓国社会への復帰は容易ではありません。
私が韓国で娘たちといっしょに公園へ行くとよく目にする光景があります。それは例えばブランコの前で子どもたちが順番を待っているところへ、子どもを連れたお母さんなり、おばあさんなりがやってきます。
すると並んで待っている子はおろか、ブランコに乗っている子も引きずり降ろしてその大人の連れて来た子がブランコに乗ってしまうのです。 その他の子どもたちもそれをまたごく当然の事として受け止めているのです。
良い悪いは別にして、これが韓国人の行動パターンの原型です。自分の事しか考えないのです。他人の事を思いやったり、他人への迷惑を気にするのはバカげたことなのです。我が家でも夫婦喧嘩をする原因のほとんどは,私が他人の事を心配したり,親切にしてあげたり,思いやったりすることから始まります。
妻に言わせればすべてよけいな事なのです。「そんなひまがあったら,なぜもっと私の事を考えてくれないの」というわけです。日本人と韓国人は似たように見えてもこれほど違う民族なのです。
呉善花(元韓国人)
一般の韓国人は日本人をお金としかみていない。ゆえに無条件に「こちらを助けてくれるでしょう」というスタンスでくる。
しかも、助ければ感謝の気持ちをもたれるかというと、そうでもない。
逆に、小さな援助では「私の価値はこれしかないのか」と、さらに怒ってくるほどだ。日本人は、汗も流さないでタダで助けてもらうことはみっともないと感じる。
だが韓国人は、汗をかかないでタダで助けてもらえれば、それは自分に力があるからだと考える。これは政治も同じで、韓国人は、日本が韓国を助ければ「助けるほどの価値がこちらにある」「助けないとあなたが困るからだ」と考える。
だから助けたとしても絶対に感謝を表明しない。
謝罪も同じで、心を込めて謝るといったことは通用せず、「では、その気持ちを金で表せ」と言ってくる。そしていったん助けたら一生、お金を出し続けなければいけない。
キムワンスプさんが書いた著書 親日家のための弁明
日本人の皆さん、こんなことをした朝鮮人を許せますか?
面倒を見てあげた朝鮮人孤児に惨殺された日本人一家
私は生粋の韓国人だ。でも,韓国人というものがあまりにも情けなく,えいっと殺してしまいたいときがある。なぜ日本の蛮行は暴くのに,自分たちの汚い利己心と低劣な鍋根性には目をつぶるのか?日帝時代,朝鮮に移り住んだ日本人の中には,明らかに立派な人々も多かった。ところが,和夫一家殺害事件のように,韓国人は自分たちの間違いを,日本がやったから俺たちもやったんだというふうに弁明し,事件を矮小化,隠蔽しようと躍起になっている。和夫の亡骸は,釜山に大切に移葬され,毎年,日本人の墓参りが絶えない。以下は,和夫夫婦が死んだ日,ふだん彼から深い恩を受けていた金ソンス君が見聞きしたことを記録した証言だ。事件当時,金ソンス君も加害者だったが,殺害行為には同調しなかったそうだ。
その日,まさに万歳の声とともに,太極旗が波のように風になびきつつ,朝鮮人の世がやって来た。育て,東京帝国大学に留学までさせたAの主導下に,彼の家で教育を受け,育ち,成人した青神は,自分が受けるべき朝鮮人の愛を横取りしたと,和夫君に嫉妬したのか? 彼がわが子のように年たちが,斧と鍬,スコップを手に,和夫のもとに押しかけた。そのとき現場にいた金ソンス君は,次のように証言している。
和夫氏は,日帝時代によく見られた,慶尚道地方の日本人地主だった。地主とはいうものの,和夫の家族は日本政府の朝鮮移住政策にしたがって,乗り気ではなかった朝鮮生活を始めたものだ。公務員だった和夫は,政府の命令にしたがって仕方なく朝鮮へ赴任したのだ。そのころの日本は,一種の軍事独裁体制で,政府の命令に従わなければすぐに売国奴として排斥されそうな雰囲気があったという。
当時,朝鮮にいた日本人地主のなかには,朝鮮人の小作人たちから,法の規定以上の小作料を取り立てる,怪しからぬ人々もいたが,ふだんから人情味の厚かった和夫は,小作料を収穫全体の十分の一とし,村人たちを家族のようにみなして喜びも悲しみもともにした。自分たちの生活が困らなかったので,総督府の法令にしたがって,やむをえず受け取らなければならない最小限の小作料だけをとったのだった。
貧しい小作人が食料がないと泣きつけば,喜んで食べるものを分けてやったし,村で誰かの葬礼があれば,家族総出で駆けつけ,食事の支度はもちろん,自ら慟哭して,悲しみを分かちあうこともあった。このように,和夫は人間への温かい愛情をもった,真の人間だった。
また,和夫は近くに行き場のない孤児がいると,連れ帰って面倒を見ていたが,その数は,一人,二人と増え,四,五年たつといつのまにか私設孤児院規模にまで増えてしまった。けれども,和夫夫婦はこれら孤児たちを家族のように愛し,自ら喜んで彼らの父,母を称した。和夫の家族は,ふだん,このように朝鮮人を愛し,日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。しかし,彼らは,日本の天皇が降伏宣言をした1945年8月15日,自分たちが育てた朝鮮人孤児たちにより,凄惨に殺害されたのだ。
その日,まさに万歳の声とともに,太極旗が波のように風になびきつつ,朝鮮人の世がやって来た。育て,東京帝国大学に留学までさせたAの主導下に,彼の家で教育を受け,育ち,成人した青神は,自分が受けるべき朝鮮人の愛を横取りしたと,和夫君に嫉妬したのか?彼がわが子のように年たちが,斧と鍬,スコップを手に,和夫のもとに押しかけた。そのとき現場にいた金ソンス君は,次のように証言している。
和夫:(穏やかな目で)なんでこんなことを,子どもたちよ。
A:チョッパリ! 日本へ失せろ,失せちまえ。
和夫:(怒ったような声で)私が,お前たちにどんな間違いをしたというんだ。お前たち,みなが私の息子だ。私はこの家の家長であり,お前たちの親だ。お前たちの祖国が解放されたことは,私もふだんから待ち望んできたことだ。踊りでも踊りたい気分の日に,なんだって凶器をもって私の所に詰めかけたりするんだ。私は決してお前たちをそんなふうに教育したおぼえはない。(涙を流しながら)ほんとうに悲しいことだ。朝鮮の息子たちよ。私が愛を傾け,育ててきた結果は,つまるところ日本人と朝鮮人は融和できないということなのか。お前たちが望むなら,帰ってやるわ。
A:意味深長な目配せをBに送る(財産をすっかり処分して帰ったら,おれたちはどうやって食っていくんだ?)
B:死ね,チョッパリ,シッパルノマ。
間髪入れず鍬が,和夫の後頭部に振り下ろされたのと同時に,数多くのスコップと斧が彼の体をずたずたに引き裂きはじめた。このとき,和夫の妻が我慢できずに飛び出してきた。それまで黙っていたCは,和夫の妻を見て,彼女の長い髪をつかみ,庭の奥まったところに引きずっていった。そしてなんと13人がかりで,ほんの一週間前までお母さんとして恭しく仕えていた彼女を,強姦しはじめた。(金ソンス君は,この期に及んで自分が止めに入ったら,自分も殺されただろうと言った)。強姦に耐えられなかった彼女は,行為の途中で死亡し,Dは,ふだんお母さんと呼んでいた彼女の全身を滅多刺しにするだけでは足りず,内臓をひきずり出して,まき散らした。
和夫には,一人の幼い娘がいた。ふだん模範的でいい子だったヒミコさんは,放課後,家に帰ってきて,両親の身に起こった惨状を見,気が触れてしまった。ヒミコが何日間も慟哭する声に,近隣住民たちは眠れなかったそうだ。その後,孤児になったヒミコは,食べ物を乞おうと,その付近をさまよったが,朝鮮人は誰一人彼女に目もくれず,知らないふりをした。結局,彼女は9日後,村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見された。当時,ヒミコは小学校6年生の幼子だった。和夫の財産は,勇猛で愛国心に燃えたつ朝鮮の青年たちの手にそっくり渡り,この事件は村人たちの沈黙の中,しだいに忘れられて行った。
女性を助けた結果「性的暴行を受けた」この嘘により妻子、仕事、全てを失った男性「いつだって僕は人助けをしてきましたが、もうしません」
http://sirabee.com/2019/08/16/20162143903/
オーストラリアのシドニーで暮らしていた女(20)が、昨年11月に運転していたところ、車の故障に気付き困り果てた。
車を停め道端で動揺している様子だった女を見た親切な男性(36)が「なら僕が確認してあげましょう」と申し出て修理を手伝ったというが、女は男性に対し感謝するどころか数々の嘘をでっちあげ、男性の人生を台無しにした。
(中略)
通報され身元を特定された男性は逮捕され、刑務所で過ごすはめに。冤罪であることが証明できるまでの苦しみは相当なものだったといい、この逮捕がきっかけとなり愛する妻子にも去られ、仕事まで失ったという。
しかしその後に防犯映像を見せられた女は「暴行被害など受けていないではありませんか」と問い詰められ、「あれは嘘だったんです」と自供。しかし嘘をついた理由については明かしていない。
■「善意を捨てる」と語った男性
その女がこのほど同冤罪事件につき有罪であると認め、今後については各メディアに「少なくとも数か月間の刑務所暮らしが待っている」と伝えられた。
その一方で、恩を仇で返された男性は、「いつだって僕は人助けをしてきましたが、もうしません」「僕は全てを失ってしまった」「あの女には、死ぬまで悩み苦しんでもらいたい」と語っている。
すぐに信頼するお人よしは利用できる。バカである。を教える国々。
西アフリカの民話
草原でワニが火に取り囲まれ、困っていた。
通りかかった人間が、ワニを助けて袋に入れて背に担ぎ、湖まで運んでやる。
袋からワニを出すと、ワニは人間に「腹が空いているからお前をこれから食べる」という。
人間はワニに、「助けてやったのだから、感謝して食べないでくれ」と頼む。そこで、ワニは、湖に水を飲みに来たロバたちに意見をきく。
ロバたちは、我々は人間を助けて人の乗り物となったり荷物を運んだりしてやるが、感謝をされたことがないと言う。
日頃使役してきた動物たちに責められ、窮地に立った人間を、ただひとり、ウサギが助けてくれる。
知恵者のウサギが、「この袋はずいぶんと小さすぎる。人間は、本当にこの袋に入れてワニをここまで運んできたのか。
ワニは、もう一度袋に入ってみてくれないか」とワニを欺くのである。
そこで、再びワニが袋に入って見せると、ワニは人間に撲殺され、食用とされることになった。
ワニの入った袋を背負った人間が村に帰ると、子が病に伏せっていた。
助けるにはワニの血とウサギの肉が要る。ちょうどワニはウサギの知恵をのおかげで袋に入れて持ちかえっている。
あとはウサギである。
助けてくれたウサギが、ほら、そこにいる…。
━─━─━─━─━─
中国ではお人よしはバカだと教えている。
出典:東郭先生とオオカミ
非常に固い性格の東郭先生という書生がいた。ある日、東郭先生は袋を背負い、中山国という地に向かっていたが、傷を負った一匹のオオカミが彼の前に現れ、「旦那さま、わたしは猟師に追われていおり、猟師の矢にうたれ死にかけています。わたしを救うため貴方のその袋に入れては頂けないでしょうか。このご恩は将来必ずやお返しします」と願い出た。
もちろんオオカミは人間に害を加える動物であることを東郭先生も知っている。
しかし目の前にいるこの傷を負ったオオカミを可哀相に思い必ず助けてあげようと答え袋に入れた。
まもなくオオカミを見失った猟師がやってきて、「オオカミを見なかったかいと東郭さんに聞く。「見ませんでしたよ」と東郭さんがこれに答えた。
猟師はその言葉を信用してしまい、ほかの方向へと追っていった。
狼は猟師の遠ざかる足音を確認し、「お願いします、わたしを外に出して、逃がしてくださいまし」と再び願った。
心のやさしい東郭先生は狼の言葉に惑わされ、狼を袋から外に出してやった。
ところが、狼は外に出るなり「旦那さまは善事をしてわたしの命を助けて下さった。いま、わたしは非常におなかを空かしているので、もう一度善事をしてあなたを食べさせてくださいな」と東郭先生に吼えて襲いかかった。
東郭先生は狼と戦いながら、「恩を仇で返すなんて!」と叫び続けた。このとき、鋤を持った一人の農民が通りかかったので、東郭先生はその農民を引きとめ、自分が狼を助けたが、オオカミは恩を仇で返し、自分を食べようとした経過を話した。
だがオオカミは一切否定した。しばらく考え込んでいた農民は「貴方たちの言葉は、とちらも信じられません。こんな小さな袋にこの大きな狼が入るとは思えない。この目で確かめたいので、もう一度やって見せてください」と言い出した。
これに狼は同意し、またさっきと同じく横になり、体を縮め、またも東郭先生に縄で縛らせ、もう一度袋に入ったとたんに、農民は袋の口も堅く縛り
「このようなケモノは自分の本性を変えることはない、貴方は狼に慈悲を施すなんて、バカなことをしたね」
と東郭先生にいい、鋤を振り下ろして狼を殴り殺してしまった。
ここでやっと気付いた東郭先生は、自分の命を助けてくれた農民に心から感謝した。
別の話し
ライオン(獅子)とロバとキツネが狩りに出かけた。たくさん獲物が取れたので分配する事になり、ロバが3匹に平等に分けたところ、ライオンはこれに怒ってロバを食べてしまった。
そしてキツネに再度分配を命じた。キツネは心得て、大部分をライオンのものとして、自分はわずかな物を取っただけだった。今度は満足したライオンが、なぜこのように分けたのかと聞くと、キツネは答えた。「ロバの運命が、私にこの分けかたを教えてくれました。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/獅子の分け前