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政治メイン版 元ニートだめ男のブログ

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「国連=対日軍事同盟」です 

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国連は善なる中立的な存在ではありません。
大国が国益エゴを剥き出しにして駆け引きを繰り広げる闘争の場です。

 

 


そもそも「反日」をきっかけに集まったのに、日本のためになることなんかするわけがありません。
http://www.youtube.com/watch?v=pYtsgvEtmSg

 

 

 

 

日本のコメンテーターっていつも日本人に対して「感情的にならずに冷静に対処を」ってあるべき理想を押し付けるよね。「相互理解を」とかね。何度この手のセリフを聞いたかわからない。

 

 


彼らの言う「冷静になれ」は「何も感じるな」に等しい。
(むしろそのセリフは敵方である韓国に言うべき)
この場でコメンテーターが語るべき内容は、具体的に私達が何をするべきか、だ。
そこが一番難しいんだから。

 

 

 


国連信仰という愚かなる虚妄 -日米同時脱退で国連を解体せよ-http://ochimusya.at.webry.info/201011/article_3.html

日本が初めて国連安保理常任理事国入りの意向を公式に表明したのは、クリントン政権の時代である。

 


クリントンは安易にそれを支持する構えをみせたが、この時に米上院議会では共和党議員を中心にそれに反対する声が上がった。

 

 


一見すると共和党民主党の立場が逆転しているように見えるが、実は共和党の主張は「日本が普通の軍事行動ができる国になるまでは、日本の常任理事国入りを支持してはならない。それができないまま日本が常任理事国となると、世界を混乱させ日本自身も苦境に陥る」というもので、この主張は知日派のウィリアム・ロス共和党上院議員らが中心となり一九九三年七月に上院全会一致で決議された。

 

 

 


この決議は「日本が参加できないとする国際安保活動なしには、国連安保理は通常の機能を果たせない。日本は現在のままでは常任理事国の責任や義務を果たせない」とアピールしている。

 



つまり共和党は日本に対して、その能力も体制もない日本が背伸びして常任理事国入りを目指す前に、まず憲法改正海外へ戦闘派遣できる国軍創設が先だろうというメッセージを送ったのである。

 

 


これは実に的を得た原理原則ではないだろうか。


これについては一九九四年にマレーシアのマハティール首相も「日本の国連安保理常任理事国入りに賛成するが、(常任理事国入りするからには)日本は軍事的貢献をしなければならない」「日本が過去への反省のため、軍隊の国外派遣もできないというのは残念だ」とコメントしている。

 

 



ところが国際関係の現実を何も理解していない妄想平和主義者の河野洋平は、一九九五年四月に日本国外相として国連で「日本が常任理事国入りを果たした場合でも軍事行動には一切関与しない」と演説したのである。

 

 

 

 


救い難い阿呆というか何というか、河野は二年前の米国上院の決議さえも知らなかったのだろうか。この演説に共和党は「この一言で日本の常任理事国入りはさらに遠のいた。日本外相は正気か」(ロス上院議員)と唖然としたのであった。

 


国連研究の権威とされる英国人ジヤーナリストのローズマリー・ライターは自著『国連と世界秩序=失われたユートピア』の中で次のように述べている。

 

 


安保理は現実の世界を反映せねばならず、日本は現実の世界では大国だが、同時に軍事力行使に足かせを課された大国なのだ。戦後の憲法の制約や国民の感情が積極平和主義志向を強め、軍事力の集団的行使を困難にしている。日本は自国の軍隊が海外での戦闘に関与できるよう国内法も国民感情も変わるまでは、安保理常任理事国入りを考えるべきではないだろう」

 

 

 

 


要するに妄想平和主義の日本は国際社会の禁治産国であり、正常な国すなわち海外の戦争に派兵できる国になるまでは、世界の安全保障をコントロールする立場に立つべきではないということである。

 

 

 

 


つまり河野洋平の国連演説は「やはり日本は異常な国だ」という確信を諸外国に与えただけであったのだ。

 

 

 

 


一方、中共が日本の安保理常任理事国入りに反対するのは全く正反対の理由であり、日本が常任理事国入りすることで「正常な国」になろうとして軍事力を高め海外派兵を可とすることを怖れ、同時に日本の国際影響力を抑えたいと考えて、日本の常任理事国入りに反対している。

 

 



一九九七年四月、当時の小渕外相が安保理常任理事国との分担金不均衡の是正を国連に求めたところ、中共の国連代表は「常任理事国としての中国の地位はカネで買ったのではなく、第二次大戦での侵略に抗した努力への報酬なのだ」と主張し、「侵略を仕掛けた側(日本)からの分担金増額要求には応じられない」と反論した。
この中共代表の反論ほど国連の本質を示しているものはない。

 

 

 

 



国連とは先の大戦戦勝国が世界の実権を握るためだけに創設されたものなのだ。従って国連の中核たる常任安保理に敗戦国日本が入ることは、針の穴にラクダを通すような話なのである。

 

 

 

 

 


朝日新聞が社説に書いた「(国連は)大戦への反省から国際社会が平和のために創設した国際秩序維持機関」というのは、無知ゆえの誤報か意図的な情報操作かは知らないが、国連とは第二次大戦中の軍事同盟(連合国)がそのまま戦後も加盟国を増やしていっただけのものにすぎない。

 

 

 

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 つまり戦勝国が戦後世界でもその統治を継続する目的で存続させているものであり、そもそも国際連合という言葉自体が誤訳であって、ユナイテッドーネーションズなる名称は戦時中から何も変わっておらず「連合国」のままなのである。

 

 

 

 


国連の事実上の創設者たるコーデルーハルは創設当時「四人の警察官(米英中ソ)が世界を監視し統治する」と述べており、そこにフランスが加わったということなのだが、この五力国だけが安保理の拒否権を持つのは旧国際連盟以上に不平等性の高い独善的システムである。
国連が事実上創設された日、つまり連合国が国連憲章に調印したのは、ヒトラーの後継者たる独デーニッツ政権が無条件降伏した後であることから、日本は国連としての連合国と交戦した唯一の国である。

 

 

 


これでは安保理常任理事国になるのが至難であるのは当然のことだ。

 

 



現在の国連安保理は、拒否権のある常任理事国五力国の他に、拒否権のない非常任理事国十力国で構成されており、非常任理事国は総会で選出されて二年間の任期で安保理に出席できる。

 


しかし拒否権がない以上は出席しても「反対」の意志を行使することができない。

 

 


つまり拒否権を持つ常任理事国になるということは、非常任理事国やそれ以外の国々の意見を超越して、世界の安全保障に決定を下す特権階級になるという重大な意味を持っており、つまるところ国連安保理とは集団的軍事行動を実施するための母体であるというのが国際常識なのだが、日本は妄想平和主義に固執する内閣法制局集団的自衛権保有するが行使はできない」という狂った憲法解釈を行っているため、その軍事行動には参加できない。

 

 

 


参加できない国が他国の集団的軍事行動を決定する常任理事国になれる筈がない。

 

 

 


また国運憲章第四十五条には「加盟国は、合同の国際的強制行動のため国内空軍割当部隊を直ちに利用に供することができるように保持しなければならない」とある。
この条項は実質的には常任理事国のみに対して適用されている。

 

 

 

しかも同四十三条三項には、加盟国は自国の憲法に従って同協定を批准すると規定されているが、交戦権禁止の妄想憲法国連憲章批准は完全に相反して矛盾する。

 

 

 


従って日本は先ずこの内閣法制局の欺瞳に満ちた憲法解釈を是正し、次いで憲法を改正して自衛隊を正式な国軍と位置付け、集団的軍事行動に参加できるようになった上で、安保理常任理事国入りを目指すのが道理である。
アーミテージなど共和党要人が「日本の常任安保理入りには憲法第九条改正が不可欠」と発言したのは、日米同盟を重視する共和党の「大人の立場」での日本へのアドバイスなのである。

 

 



さて国連安保埋がかつては米ソ対決の道具であり、そして現在は米英仏露中といった五力国の国益闘争の舞台と化している現状について、日本政府も野党も「国連は国際平和機構」であるかのような甘い甘い幻想を抱いているように私には見受けられる。

 

 



例えば二〇〇一年十二月、英仏両国はアフガニスタン戦費を全て日本に押しつけようと企みアフガニスタンに治安部隊を派遣しない国が派兵国の費用も全て負担する」という先例なき決議案を提出しようとした。

 

 


決議前夜に同案を見せられた佐藤行雄国連大使が奮走し、米ブッシユ政権の「加勢」を得てようやく阻止にこぎつけたが、国益闘争で日本を標的にするのは中共だけではないのだ。

 


そして実は国連がその創設以来、国際平和維持の機能を果たしたのは、一九五〇年の朝鮮戦争ただ1回きりである。それ以外は後にも先にも一度もない。

 

 

 


なぜ朝鮮戦争のときだけは有効に機能したのかといえば、当時の安保理常任理事国の席は米英仏ソ以外には中共ではなく国民党政権(台湾)が座っており、さらにソ連が「国連から国民党政権を追放して中国共産党政権と交替させよ」という提出議案が否決されたことに抗議して安保理出席をボイコットしていたからである。

 

 


つまり北朝鮮中共の共産軍が南侵し、国連がそれを軍事的に阻止しようとする安保理決議(一九五〇年六月二十七日)に対して、拒否権を行使する国がなかったからなのだ。

 


このアクシデント的な唯一のケースを除き、国連が世界の平和維持に役立ったことは以降ただの一度もない。

 

 


例えば一九五六年、ワルシャワ条約機構脱退と中立を宣言したハンガリーソ連軍が侵攻し、ハンガリーのナジ首相を反逆罪で処刑したハンガリー動乱でも、国連は手も足も出なかった。

 

 

 


また一九六八年、ソ連支配下からの独立を目指したチェコスロバキアに対してソ連軍はプラハに侵攻し、その占領は一九九〇年まで続いたが、国連はまったく動いていない。

 

 

 


つまりソ連にとって国連なんかは拒否権を使えばどうにでもなる玩具にすぎなかった。

 


そしてハンガリーチェコスロバキアソ連に占領されるに至った最大の原因は、両国が強い同盟国を持たなかったことに尽きる。国連総会は事実上ソ連支配下にあり、安保理は拒否権行使できるため、同盟国が存在しない以上は国際社会はハンガリーチェコスロバキアを見捨てるとソ連は読んでいた。そして事実その通りとなった。

 

 

 


このように朝鮮戦争以降は米ソの互いの拒否権行使合戦ソ連百五十回、米国六十八回)によって、国連安保理は単に両国が相手を罵倒するだけの政治宣伝の場と化していた。

 

 

 


そしてそれはソ連崩壊後も、米中の対立にロシアやフランスの思惑が絡んだ一層複雑な国益闘争の場となっただけで何も変わっていないのだ。

 

 

 


ところがこのような国連の実態をまったく知らずに、イラク戦争時に日本の野党は、小泉批判のために阿呆の一つ覚えのように「安保理決議がない」と国会で大騒ぎしていた。

 

 

 


日本を敵視する中共やロシアが拒否権を持つ安保理、仮に世界中が賛成しても常任理事国一力国の拒否で決議ができない安保理、そして旧戦勝国国益闘争の場でしかない安保理、このような馬鹿げたものに日本の国策判断を委ねようとする野党の感覚は平和ボケの極みである。
しかし小沢一郎氏までもが「国連中心の安全保障」を唱えているのが日本のあきれた現状なのだ。

 

 

 

 

 

なお国連の安保理決議のないままアメリカがイラクを攻撃を行ったことは、日本にとっては大いに喜ぶべき天恵であり、これほど有難いことはないのに野党はこれにも全く気付いていなかった。

 

 

 


つまり北朝鮮が核開発を続け日本への攻撃も十分有りうる時期に、たとえ中共やロシアが拒否権を発動したとしても、アメリカは安保理決議なしでも北朝鮮攻撃を行うのだということが、これで実証されたのである。

 

 


これは日本にとっては大きな抑止力を得たことになる。日本の立場からすれば、アメリカが安保理を無視してくれたことに感謝するべきなのに、無知か亡国的な党略か、民主党社民党他の野党は口をそろえて「安保理決議がない」と叫んでいたのだ。

 

 


民主党で安全保障の政策通を自認する前原誠司氏は国会質問で「アナン事務総長はイラク攻撃には正当性がないと言っている」と述べ、川口外相が「アナンは安保理の事務局長であって、安保理の判断をする権限はない」と答弁したところ、前原氏は「問題発言だ」と叫びアナンの言葉こそがまるで世界を裁く審判であるかのように、大げさにあきれたジェスチャーを見せていた。

 

 

 


ならば前原氏は、そして民主党は、仮にアナンが「日本は北朝鮮の核保有を認めなさい」と言えば喜んで従うのであろうか。

 

 


アナンがどう言ったとかいうレベルではなく、日本の国策、日本の安全保障についての論議は、国連など度外視して独白で考えるべきであることは言うまでもない。

 

 

 


このアナンが日本に対してどのようなスタンスでいるかをよく示しているエピソードがある。一九九九年九月、東ティモール独立に際して同国代表者グスマンを招いた安保理公開討議の際、東ティモール復興に世界最大の資金供出をする日本の代表が演説する時間をわざわざ見計らって、アナンとグスマンは昼食を取りに退席し、日本の代表は空席に向かって演説するハメになった。

 

 

 


要するにアナンにとっては日本など「自動金銭引出機でしかない」(波多野元国連大使)ということである。
 

 

 


民主党マニフェストには、その外交・安保政策の冒頭に「国連中心主義で世界の平和を守ります」と掲げられているが、国連中心主義が日本の国益にとって最悪の選択であることは、多少でも国連の実態を研究すれば明らかである。

 



二〇〇二年まで四年間に渡り日本代表国連大使を務めた佐藤行雄氏は、この国連中心主義という考え方について「理解の不足どころではなく大変な幻想」と断じておられ、「国連中心主義というのが、日本の国益に関わる問題についての判断を国連に委ねるということならば、危険きわまりない。日本には自国の利益のために国連を利用するという視点が欠けている国連を神聖化したような議論には心から危惧の念を覚える」と述べておられる。

 

 



大国が国益エゴを剥き出しにして駆け引きを繰り広げる闘争の場を神聖視して、国連中心主義を唱えるような人間は、いわばカルト宗教「国連真理教」の信者みたいなものだ。

 

 

 

 


イラク攻撃の賛否を問う国連議決の折、アメリカの票予測では非常任理事国たるギニアカメルーンの二力国の決定が結果を左右する状況であった。この二力国はフセイン政権と大差ない独裁国であり、世界秩序には何の責任も持てない零細国でもある。

 

 

 


アメリカはこの二力国に頭を下げ援助を与えてまで安保理決議を得る気はなく、既に存在していた国連決議一四四一号に準拠してイラク攻撃に踏み切った。

 


つまり民主党の掲げる国連中心主義、前原誠司の言う「安保理決議がないから違法」という考え方は、立場を日本に置き換えれば日本の安全保障をギニアとカルメーンに委ねるということと同義である。

 

 


この明白な構図さえも見えないのか、もしくはわざと見ないようにしているのか、「国連真理教」への狂信は日本を深く蝕んでいる。

 

 


国連をまるで神であるかのように崇拝している政治家や左派マスコミが主流を占める中で、田原総一朗氏もその一人である。

 

 


社会党を「心の故郷」と公言していた筋金入りの左翼である田原氏は「国連を無視した戦争は明らかに違法だ」とまで述べている。

 

 


ともあれ元来左翼の田原氏がそう言うのは別段不思議でもないのだが、実は保守の論客を自認する西部邁氏までもが「逼迫した危機に対する自衛であること、国連決議を経て国際的合意を得ること、少なくとも以上め二つを満たさなければ自衛戦争にはならない」と述べるほどに、日本の国連信仰の病は重いのだ。

 

 

 


西部氏の言うように国連決議が自衛戦争の条件となるのであれば、もしテポドンが突然日本に撃ち込まれてきても、国連安保理決議がないと日本は自衛戦争もできないことになる。

 

 

 


もし中共あたりが拒否権を使って決議ができなければ、日本は黙ってミサイルを撃ち込まれていなければならないというのであろうか。

 

 


これが国連を万能の神であるかのごとく信仰する国連中心主義の実態であり、結局のところはいくら保守を自称していても国連という戦勝国連合(戦後世界秩序)を絶対視する時点で、西部氏もまた日本の「戦後体制」の枠の中で生きる職業保守に過ぎないのであろう。

 

 

 

 


正統保守の立場として私は断じるが、自衛戦争を行うに際しては国連なんか全く何の関係もない。自衛戦争とは国家の自然権であり、日本自身がその戦いを自衛だと認識すればそれは自衛戦争であり、他国や旧戦勝国連合に「自衛戦争だと認めて下さい」などとお伺いを立てて決議をもらう必要など一切ないのだ。

 

 

 


日本にとっての自衛戦争の条件は「日本に逼迫した危機が到来したこと(又はその危機が迫っていること)」、
それだけである。

 

 

 

 


国連にお伺いを立てて決議をもらうと言う時点で、日本の主権も自立性も放棄したに等しく、その一方で「日本の自立」を唱える西部氏の主張は矛盾していると断ずるより他はない。

 


個人に正当防衛権が認められているように、国家の自衛権もまた国連や国際法を超える。

 

 


そして国連を超越するのは国益においても同じであり、
世界各国にとって国連とは国益のために「利用」する道具でしかない。

 

 

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それにも関わらず、例えば社民党の女性議員にいたっては「日本のスパイ取り締まりを国連に委ねよ」と狂った主張を行っていた。
私から見れば、議員の資質云々を言う前にもはや狂人であるとしか思えず、精神病院へ入院してもらうべきであろう。

 

 

 


国連に取り締まってもらうところのスパイを送りこんでいる中共やロシアが安保理常任理事国であり、各国の国益が対立するスパイのような問題で主権を自ら放棄して、一体どこの国のスパイを国連でどうしてほしいという主張をしているのか、まったく理解不能と言うより他はない。

 

 



朝日新聞は平成十五年三月十五日付の社説で「弱肉強食の争いを避け、法の支配に基く国際秩序を作っていく手段として人類が手にしたのが国連である」と、あまりに幼稚な国連賛美を行っているが、こんな非現実的な妄想を書き連ねた白痴新聞が大部数を誇るほど、日本人はかくも幼稚な民族になってしまったのか。

 

 



朝鮮戦争時に国連はその指揮下に入ったトルコ軍をわざと最前線に出し、そのせいでトルコ軍の死傷者は群を抜いて四万人以上にも達した。

 

 

 


これはトルコが第二次世界大戦で中立国であったことが唯一の理由である。

 

 


日露戦争により日本に対して好意を持つトルコは、その反ソ感情もあって本心では日独に付きたかったのだが、自国の軍事力に鑑みて中立を表明すると同時に連合国からの参戦要請も蹴った。

 

 

 


国連すなわち第二次大戦の連合国は、トルコにその仕返しをしたのだ。

「法の支配に基く国際秩序を作る手段として人類が手にした」だのと真っ赤な嘘もいいところであり、国連とは戦勝国の軍事同盟の「拡大版」でしかない。

 

 

 


朝日が何かにつけて引き合いに出していた永世中立国スイスは、二〇〇二年に加盟するまでの五十七年間ずっと国連に加盟していなかった。

 

 


いかなる国も敵・味方としない国是を持つスイスにとっては、一方を敵とする国連軍への参加もできず、米ソが互いに票取り合戦を繰り広げる中ではどちらに与して投票することもできず、さらに日独に対する「敵国条項」の残る軍事同盟たる国連に加入することは国是に反することだからでもある。

 

 


このスイスの理念を朝日は理解せずに、「スイスを見習え」と主張すると同時に国連賛美を続けてきたのである。

 

 

 


実はこの朝日をふくめて日本の左翼や親中派が「国連、国連」と騒ぐのは、ある特定の政治的意図をもっているからである。

 

 


非武装中立論」を主張した社会党の石橋書記長は、「日本の安全保障を国連へ委ねよ」とも主張していた。つまり日本の左翼陣営は、自衛隊解体や日本安保解消を唱えると同時に、それによって国民に安全保障の不安を抱かせない戦略として、代案としての口実に「国連に安全保障を委ねればいい」という政治的思惑のある主張を行い、意図的に「国連信仰」「国連幻想」を創出してきたのである。

 

 


つまり国連信仰、国連中心主義とは、ソ連中共の対日侵攻支援のために、実は国連など何の役にも立たないことを百も承知の上で、日本の安全保障を消滅させる口実に用いられてきたものにすぎないのだ。

 

 

 

 

 


ところが日教組や左翼マスコミによる国連賛美プロパガンダの「毒」が今や保守の政治家や識者にまで回ってしまい、小沢一郎氏や西部邁氏までが「国連真理教」の信者になってしまったということだ。

 

 


しかし、第一次夫戦敗戦後のドイツが押しつけられたロカルノ安保体制を想起してみれば、それがいかに愚かな幻想かが理解できるであろう。

 

 


ロカルノ安保体制とは、一九二五年にスイスのロカルノで七力国が調印した条約に由来し、創設予定中の国際連盟にドイツの安全保障を委ねるというものであった。

 

 

 


しかし敗戦ドイツ(ワイマール共和国)は、利害の対立する多国間の間で結果的に自衛の自由を奪われ、勿論国際連盟が助けてくれるわけもなく、かくて周辺諸国にドイツ領土を侵食侵略されていったのだ。

 

 


そして結局、ロカルノ安保体制をふくむペルサイユ条約打破を掲げたヒトラーが、強力な軍事力をもってそれらを破棄するまでは、ドイツは事実上自衛権のない状態だったのである。

 

 


このロカルノ安保体制(国際連盟による安全保障)のせいで次々と領土を奪われ続けたドイツには、国民の間に膨大なフラストレーションが留まり、その国民世論を背景にナチス政権は一気に失地回復に動き出し、結果その領土返還を拒んだポーランドなど周辺国と戦争に至った。

 

 


そしてそれに英仏が介入したというのが欧州戦開戦の実情なのである。国連なんかに自国の安全を委ねるということは、このロカルノ安保体制と同じことなのだ。

 

 


何よりも大切なのは、自国は自国で守るという決意とそのために必要な軍事力であり、それを日本に保持させたいと望んでいるのが米国共和党であり、それを保持させまいとして歴史カードを使って日本を脅しているのが中共なのだ。

 

 

 

 


このように左翼が「非武装中立」とセットにして掲げた「国連中心主義」が日本国民に愚かなる国連幻想を植えつけてしまい、国連が役足たずであるどころか、いかに世界にとって「有害」な存在かという冷静な視点は完全に失われている。

 

 

 


しかし実は国連ほどにいかがわしいものはないのだ。その実例を幾つかご紹介しておこう。

 

 


まず国連が人権を守る機関なんかではないということ、
そして現在の国連がいかに中共のコントロール下に入っているか
という実例は、そのチベットに対する一連の対応が露呈している。

 

 


国連は中共によるチベット侵攻併合を放置したのみならず、チベット人口の五分の一にあたる百三十万人近くが殺されても何も介入しようとしなかった。

 

 


それどころか例えば一九九三年に国連の世界人権会議で、ダライ・ラマ中共によるチベット人弾圧の実態を訴えようと演説の時間を求めたところ、中共の根回しにより国連はダライ・ラマの演説を禁止した。

 

 

 


また英国の会社が国連から編纂の外注を受けた『国連五十年史』の原稿に、ダライ・ラマの人権宣言の発言を引用したところ、これまた中共の根回しにより国連はこの部分を削除させている。

 



かつて国連はソ連出先機関と化していた実状にあったが、今や国連は中共の御用機関になり下がっており、国連への影響力はアメリカよりも中共のほうが優っているのだ。

 

 

 

また国連のいかがわしさは、その乱発する国連賞や表彰を金で売っている実状にもよく現われている。

 

 


例えば創価学会は国連に累計数十億円もの寄附を行い、その見返りに池田大作は「国連平和賞」「国連栄誉表彰」「国連事務総長表彰」「国連人権賞」などを贈られている。(ちなみに一九九八年の「国連平和賞」の価格は十六万ドルとのことである。)

 

 

 


池田大作が国連から賞を贈られるほど世界平和や人権に貢献したなどとは、創価学会員を除いて誰も納得できるものではない筈だ。

 

 


国連の賞や表彰には「値段がついている」というのは、事情通の間では公知の事実であり、国連なんて金さえ貰えれば文鮮明にでも麻原彰晃にでも賞を贈りかねないぐらいなのである。

 



そして国連のいかがわしさの極め付けとなるのは、
その年間予算約十三億ドルの使途がまっく不透明に決定されているという事実である。

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国連の予算をどのように配分するかを決めるのはACABQ(国連行財政問題諮問委員会)だが、このACABQの予算審議のプロセスは非公開とされていて、どの国に対しても伏せちれている。

 

 


さらにACABQの委員長(任期は三年間)は、何とも不可解なことに一九七五年以降ずっと現在に至るまで二十八年間に渡りC・エムセソというタンザニア人が独占しているのだ。

 

 


つまりエムセリは改選のたびに十回も委員長に当選しているわけだが、それほどまでに信頼されている人物かと思いきや、不正疑惑の絶えない「黒い人物」なのである。

 

 

 

 


エムセリはアフリカ諸国へ金をバラまいてバックアップを取りつけており、アメリカがこのエムセリの異常な長期独裁と国連予算私物化を非難して「予算審議を公開にせよ」と要求すると、何とエムセリは報復のためにACABQからアメリカ人の委員をはずしてしまった。

 

 

 


日本が莫大な金額の国民の血税を注ぎこんで財政を支えている国連とは、実は金権疑惑まみれの一人のアフリカ人が全ての予算配分を独断で決め続けている機関なのである。

 

 

 


一九九四年に国連創設以来初めて会計監査が行われたが、監査責任者C・パシケの報告書には「国連が世界で最も腐敗している機構だという結論に達した。これほどまでに、日常から詐欺行為が横行している公共団体は、他にはあるまい」と記されている。

 

 

 


これでは共和党が「新国連」を望むのも当たりまえのことではないだろうか。

国連の第一回総会が聞かれた一九四六年に国連の職員数は約一千二百名であった。それがその後年々増え続け現在では国連本部・傘下機関・関連機関を合わせると合計五万二千名強、さらにそれに加えて臨時職員が常時一万人ぐらいはいる。

 

 

 


ちなみにこの内、日本人職員は僅か百名程にすぎない。増え続ける国連職員数について、一九九二年にガリ事務総長自らがワシントンーポスト紙に「国連職員の約半分がまったく何の役にも立っていない」と率直に認めている。

 

 

 


この国連職員は「世界で最高額の公務員給与を払う国の水準に合わせた待遇を受ける」とされており、そのために国連の通常予算の七割が職員の給与と経費に充当されている。

 

 

 


つまり日米など先進国からの職員を除く大半の国連職員、とりわけアフリカやアジアあたりの国から来た職員にとっては、本国では到底望むべくもない高給が支給されているのだ。

 

 

 

 


そのために国連は「世界のために国連が何をするか」ということよりも、職員への高給支給を続けるために「国連自体が今後も存続すること」がその第一目的になっている。

 

 


平和とか人権とかよりも、とにかく国連が存続してさえいればそれで良いのであって、これはアナンも例外ではない。

 

 



国連が賞や表彰を売るのも金が目的であるように、中共の言いなりになってチベットを見捨てるのも実は金が目的である。

 

 

 


中共は分担金が僅か1.5%であるのをいいことに、国連の幹部に莫大な賄賂をバラまいており、とりわけアフリカ出身の幹部職員で中共から金を貰っていない人間は一人もいないともいわれている。

 

 


日本の官僚は高給を取るためだけの天下り先に不要な特殊法人を多く設立してきたが、今や国連はこの日本の特殊法人と何ら変わらないのだ。

 

 


もし国連が明日に消滅しても、それで困るのはこの五万四千人の国連職員だけであり、それ以外には世界中の誰一人として困る人間は存在しない。

 

 


一九八四年に米ヘリテージ財団共和党系)は『国連なき世界』という膨大かつ大規模な研究報告書を公表し、「世界は国連がないほうがより良い場所になることが、国連の過去の記録の検証により示された」と結論付けており、ノーベル経済学賞受賞の「世界の賢人」ことM・フリードマンは、国連を「馬鹿げた機関だ」と非難し「一日も早く解体すべし」と唱えている。

 

 



また雑誌「諸君」で元国連大使の波多野敬雄氏が「日本よ、国連幻想から目覚めてくれ」という論文を寄せて、国連がいかに無力な存在であるかを述べておられるが、波多野氏や佐藤元国連大使など国連の実状を誰よけもよく知る人物の言葉にもっと耳を傾けるべきである。

 

 

 


国連大使のお二人が揃って「国連中心主義は幻想だ」と指摘しておられることを政治家は重く受けとめて、国連の実態を冷静に検証するべきなのである。

 

 

 


波多野氏は「国連にとって、いままでのように金は出すが口は出さない、という都合のいい国は世界中見渡しても(日本以外には)他にはない」と述べておられるが、先の大戦戦勝国だけが特権を持ち、日本に対する敵国条項も今だに削除されず、しかも世界第二位の分担金をむしり取られるだけで何のメリットもない国連など、日本にとっては忌わしき有害無益の存在でしかないのだ。

 

 

 

 

 


この敵国条項国連憲章五三条及び百七条)とは、日本やドイツなど先の大戦の敵国であった国に対しては、どの国も安保理にはかることなく好き勝手に攻撃しても良いという規定である。

 

 

 

 


敵国名としては日独伊とその同盟国であったハンガリールーマニアブルガリアフィンランドが挙げられており、国連憲章第五十三条二項では敵国の定義として「第二次世界大戦中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用する」と規定している。

 

 


そのため哀れにもフィンランドなんかは、ソ連のドサクサまぎれの侵略に対して防衛戦を戦っただけなのに「敵国」の中に入れられてしまっているのだ。

 

 

 


この敵国条項が存在するかぎり、
国連は今でも日本を敵国と規定する軍事同盟なのである。

 

 

 


つまり例えば中共が「尖閣諸島問題は日本の侵略だ」という口実で、核ミサイルで脅しつつ人民解放軍を日本本土へ侵攻させても国連憲章には違反しておらず、さらに安保理で拒否権を行使されれば、日本を救うための国連軍が編成されることもない。

 

 

 


この敵国条項がある以上、もし日米安保がなければ、今頃日本はソ連中共の領土になっていたことは確実なのである。

 

 



現在、国連の分担金は各国のGNPに比例して決められており、アメリカが22%、日本が19.5%を負担しているが、核も保有する残りの安保理常任理事国四力国は、英5.5%、仏6.4%、中1.5%、露1.2%となっており、この四力国の合計額よりも日本は5%も多く分担金を払わさせられている。

 

 

 


常任理事国以外の先進国の分担金を見ても、例えば韓国は1.85%、オーストラリアは1.62%、カナダは2.55%、イスラエルは0.41%といったところであり、日本だけが突出した額になっている。

 

 

 


金額でいえば、国連の通常予算は近年は年間約十三億ドルであり、日本はその内の二億六千万ドルを負担しているが、米国を除く常任理事国四力国の合計は約一億八千万ドルにすぎない。なおアメリカのGNPは日本の約二倍強であることから、本来アメリカが割り当てられる分担金は約40%にならなければおかしいのだが、アメリカの分担金は日本と3%弱しか変わらない22%である。

 

 


これには理由があり、国連に強い不満を持つアメリカの要求で、分担金の上限が二〇〇一年以降22%に引き下げられたからだ。(アメリカは上限を20%にするように現在も要求中である。)

 

 


しかしアメリカは国連最重要機関たる安保理常任理事国ポストがあるために、22%の高額分担でもまだ救いはあるが、日本には何もない。

 

 



しかも日本が国連に対して支払わさせられているのは、この分担金だけではない。

 

 


国連には通常予算以外に近年急増しているPKO(国連平和維持活動)予算があり年間三十億ドルぐらいに達しているが、この分担率も通常予算分担金と同じ算出法が採用されており、日本はPKO予算の19%以上、金額にして年間六億ドル近くを払っている。

 

 


アメリカは共和党の猛反対でPKO予算分担を拒否しているが、日本は馬鹿みたいに毎年全額をきっちり払っているのだ。

 

 

 


そして日本の「国連信仰」の実害は、これらの義務経費分担額以上に「自発的な拠出金」、つまり国連への献金を阿呆みたいに支払い続けていることにも現われている。

 

 


一体何か悲しくてここまで金をむしり取られた上に、さらにまだ自発的な「献金」までしなければいけないのであろうか。

 

 


この「献金」はユネスコやUNDP(国連開発計画)などの国連関連機関の予算に充てられているが、日本はこの「自発的な」拠出金に何と十一億ドルも出した年があるぐらいだ。

 



こうして現在、日本は国連と国連関連機関全ての予算総額の半分近くを一国で負担しているのに、それでも「敵国」と規定され何の権限もなく、いわば日本は国際社会のタカリに合っているようなものなのだ。

 

 


波多野元国連大使「(国連にとって日本は)自動金銭引出機でしかない」と述べられたのは、まさに国連と日本の関係の核心を指摘したる言葉である。

 



それなのに日本人の愚かな「国連信仰」は仲々覚めないのだ。

 

 


9.11テロを受けて日本が制定したテロ対策法の正式名称は、「平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法」というものである。

 

 

 


落語の「じゅげむ」じゃあるまいし異様に長ったらしく、しかも「人道的措置」などとくだらない言い訳をしているのはともかく、「国際連合」という言葉が二度も登場していることが日本の愚かな国連信仰を象徴している。

 

 


「同盟国アメリカが攻撃を受けた、日本人の犠牲者も出た、日本がテロの標的になるかもしれない、だから日本はテロと闘う」、それが本来の主旨である筈の法であり、この法の名称は単純に「テロ対策特別措置法」でよいのに、あまりにもくどく国連を強調するこの長ったらしい名称にこそ、日本の病根が現れている。

 

 

 

 

 


日本に核ミサイルの照準を向けている中共安保理の拒否権を持つ国連に、そしてロシアに小さな島四つさえ返還させられない国連に、日本は一体何を期待できるというのか。

 

 

 


いや実は期待するどころの話ではなく、国連は中共の「日本弱体化」戦略に加担する機関でもあるのだ。

 

 

 

 


国連が現在中共のコントロール下に入りつつあることは前述した通りだが、その影響が様々な方面に発生し始めており、日本が莫大な金を注ぎ込んでいる国連とその関連機関は完全な「反目」機関と化しつつあるのが実状なのである。

 

 


その事例を挙げていけばキリがないので一例だけ紹介する。

 

 


東京の青山通りに面した一等地に建てられた巨大なピラミッド型十四階建ての豪華なビルをご存知であろうか。国連の関連機関の一つである国連大学というもので、その建設から運営予算から一切合切を日本が負担しており、現在でも日本は年間約三千八百万ドルを毎年一国で負担している。

 

 


大学とはいっても学生はおらず単なる研究機関的なものだが、実はこの国連大学反日主義を掲げる反政府左翼勢力に事実上占拠されており、世界へ向けて「日本の戦争犯罪」なるものをアピールする拠点になっているのだ。

 

 

 


これは同大学開設から十三年間も副学長を務めた武者小路公秀が、北朝鮮の主体(チュチュ)思想を信奉し金親子を崇拝する人物であったことにも由来する。

 

 

 

 


そのため元々国連大学北朝鮮擁護ばかりに力を入れてきたわけだが、
近年中共の意を受けた左翼政治勢力国連の名前を反日史観プロパガンダに利用
しようと、この国連大学に活動の拠点を置いている。

 

 

 

 

 

 


あの「クマラスワミ報告」へと至る「従軍慰安婦強制連行(軍事的性奴隷)」なるものも、この国連大学から国連人権委員会に持ち込まれたものである。

 

 

 

 


つまり日本政府はその狂信的国連信仰が故に、反政府活動に大金を与え続けているということだ。

 

 


私は日本のこの国連幻想に憑りつかれた姿を見るにつけ、片想いのマゾヒスト男がタチの悪い水商売女に貢ぎ続けて歓心を買おうとしている光景を想起する。

 

 

 


勿論いくら貢ぎ続けてもその女がマトモに交際してくれることはありえず、金を夕力られるだけである。周囲の友人が「あの女はあきらめて、性格の良い新しい女を見つけなさい」と忠告しても馬鹿なマゾヒスト男は聞く耳を持だない。そして「恋は盲目」ならばまだしも、日本の場合は「自虐は盲目」なのだから、もはやそこには何の救いもない。

 

 

 


日本はいつになったら国連というタチの悪いタカリ屋の「正体」に気がつくのであろうか。日本にとっては国連なんて一日も早く解体するべき対象なのである。

 

 

 


日本の描くべき国家戦略とは、米国と共に国連同時脱退をもって国連を破産崩壊させ、日本が最初から安保理常任理事国となる日米英主導の新国連創設を進めることにある。

 

 

 


国連関連予算総額の半分近くを出している日本には、その気になれば国連を瞬時にして崩壊せしめる力が有るのだ。日本は自ら積極的に米国共和党政権に対し「一緒に国連をつぶして、第三世代の国連を創設しよう」と提案するべきなのである。

 

 

 



そもそも国連の法的根拠が成立した日、つまり国連に加盟する五十力国が国連憲章に署名した日は、一九四五年六月二十六日、つまり連合国サンフランシスコ会議においてである。

 

 

 

 


日本降伏前のこの日に同会議主宰国の米英ソ仏中が招請した国は、「同会議開催までに日独など枢軸国側に対して宣戦布告した国」という前提条件に当てはまる国だけだ。

 

 

 

 


ドイツはすでに降伏していた為に、事実上「枢軸国側」とは即ち日本一国を指す。そのために勝ち馬に乗ろうとして、日本と実際に一度も交戦していない国、日本と何の利害対立もない国、あげくには日本と親しかった国や共闘していた国まで、これらの国々がことごとく駆け込みで対日宣戦布告を行うこととなり、自称「対日宣戦国」は一気に五十力国にも急増したのである。

 

 

 


その中には一般の日本人が名前を知らないような国まで多数含まれており、日本に宣戦布告しなかった国は、占頷下のドイツとその同盟国を除けば、永世中立国スイスや親日国トルコなど僅かな国だけである。

 

 

 


従って中立を表明したスイスやトルコなんかは同会議に招かれていない。

 


すなわち国連とは、日本に対して宣戦布告した国が集まった対日軍事同盟なのである。

 

 

 

 

 

 



小室直樹博士は国際連盟がユニバーサルな機関であったのに対し、国際連合は対日軍事同盟が欺瞳的粉飾を重ねてユニバーサルな機関のようにともかくも見せてきたにすぎない」と述べておられる。

 

 

 


一体何か嬉しくて対日軍事同盟の延長でしかないシロモノを、日本人が讃美し絶対視しなければならないのか。
この成り立ちの一事をもってしても、どの国よりも日本は国連を否定するに十分足る理由があると言えよう。日本の「国連中心主義者」は、このような事実を果たして知っているのであろうか。

 

 

 


日本が一国だけで全予算総額の半分近くを払わさせられるのは、対日軍事同盟が日本に対して与えている「制裁」なのだ。国連とは昔も今も変わることなく日本の敵なのである。

 

 

 


ソ連の対日侵攻を支援する「非武装中立論」を理論補強するため、そのカモフラージュとして生まれ落ちた国連中心主義という幻想。

 

 

 


それは無知無学な政治家とマスコミによって喧伝され続け、その幻想のルーツを知りもしない国民の問に蔓延し続けている。

 

 


日本が自虐史観妄想平和主義から目覚め、国連こそが中共と並ぶ「打倒するべき対象」であることに国民の多くが気付く日が一日でも早く到来することを私は念願する。

 

 

 

 


「百害あって一利なし」という言葉は、まさに日本にとっての国連を指す言葉に他ならない。
そして日本のみならず世界にとっても国連がないほうが「より良い場所」になることは確かなことなのだ。

 

 

 

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