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元ニート不細工コミュ障だめ男が政治を語るブログ

日常記事は別ブログで書いています。ここは政治用にしました。

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励まされる言葉メモ

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励まされる言葉メモ

絶望や失意の時こそ過去の自分を反省する絶好のチャンスであり、またとない飛躍の時なのだ。
マッスル北村

他人を納得させる記録や結果よりも、たとえ自己満足と笑われようが自分で自分に心から「よくやった」とひとこと言える闘いこそ、まことの勝利であり人間としての自信と誇りを得て人生で最も大切な優しさや思いやりを身にまとう瞬間だと思う。
マッスル北村


人間たる者、自分への約束をやぶる者がもっともくだらぬ。
吉田松陰
 

 
武士の心懐は、いかに逆境に遭おうとも爽快でなければならぬ。
吉田松陰
 
何かを成し遂げようという気持ちが無ければ、世間のどこへ行っても頭角を現すことはない。
アンドリュー・カーネギー
 
前後を切断せよ、妄(みだ)りに過去に執着するなかれ、徒(いたず)らに将来に望みを属するなかれ、満身の力をこめて現在に働け。
夏目漱石

人生は必死に生きてこそ光を放つ。
織田信長

たった一人の人間でも、覚悟を決めれば状況を変えることが出来る。
アーマンド・ハマー

1日の終わりに、自分の可能性を決して諦めず、自分に期待を掛けて、明日の自分の理想像を思い描く。 努力を完遂する為に必要な理想像は、5年後でも10年後でもない、明日の自分です。
山口真由

ある大学でこんな授業があったという。 
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。
壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれでいっぱいになったか?」
 学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」
一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、
 いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。
「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、
 大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」
君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。
ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう。


自分が目指す清富に関してメモ用の言葉

貧乏は楽しいものだと他人に思わせるのはけしからぬ態度である。

貧乏に対してノスタルジアを感じたり、その中に自由を見出したりする人にはまだ会ったことがない。

名声や巨富は拘束を意味するなどといって貧乏人を説得することはだれにもできまい。

げんに私は富の中に何の拘束も発見しない。

それどころか、私はその中にたくさんの自由を発見するのである
チャップリン
 
 
社会が自分を裏切ったから自分はだめになった、などと言うのは口実に過ぎない。自分の教育に責任があるのは、まず自分であり、最終的に自分である。
曽野綾子
 
人生というのは魂の修行の場ではないかと考えている。

苦難は魂を純化、深化させるために与えられている試練であり、成功もその人間がどこまで謙虚でいられるかを試すものでしかない。
稲盛和夫

世界の大偉業の大半は、もはやこれで絶望かと思われた時に、それでも仕事をやり続けた人々の手によって成し遂げられた。
デール・カーネギー

なぜ、この人たちは働かないのかしら。
求めて職が得られないならば、そのときには、純粋に無報酬の行為でもよい。
拙(つたな)くても、努力するのが、正しいのではないのか。
太宰治
 
最も悪質な犯罪は貧困である。
バーナード・ショー

貧となり富となる。偶然にあらず、富も因て来る処あり、貧も因て来る処あり。人皆貨財は富者の処に集まると思へども然らず。節約なる処と勉強する所に集まるなり。
二宮尊徳
 
道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である。
二宮尊徳

貧困が犯罪の原因になるならば金持ちは犯罪を犯さないはずだ。しかし、金持ちでも更に多くの富を得るために犯罪を犯す。人間の欲望には限度がない。貧しい時も富める時も大事なのは心構えであり清く富むことができれば世の中を救う力になるはずだ。
だめ男

金持ちが出来ない人生の経験として貧困から学ぶことは沢山ある。貧困は偉大な教師だ。しかし、清貧のみを強要する考えは間違っている。飢えた人達が清貧を貫いたところで根本は解決しない。慈善活動には人間的、経済的な成長も伴い「自立」を目指すものにしなければ依存者を増やすだけになる。
だめ男
 
 
信頼することが大事だと言う人がいるが、虚言癖がある人。詐欺師。弱みに付け込もうとする人。無警戒の信頼に対して何か悪さを企んでいる人は必ずいる。だから信頼することも大事だと思うが、その信頼を向けても良い人なのか。そうでないのか。それを見極める目を身に着けるのは信頼すること以上に大事だと思う。その目をもって相手を支援する時、効果は最大限になり間違えれば悪が肥えるのだから。
だめ男

 

 
 
 
 

自分の言葉メモ
三倍集中、三倍の速度、無限大のやる気。
 
瞬時の気持ちの切り替えを意識。
 
恵まれない状況は自分の意志を屈強にする試練、成長の機会と捉え、困難な状況でも平常心ですごせる強さと優しさを手に入れるように。

苦しさは自分を成長させるスパイスであり、それを乗り越える楽しさを意識すること。
辛さを乗り越え自分に一本の真が出来た時、辛さは幸せの道に変わる。成長の為に痛さを乗り越えていく覚悟を。
 
周りに流されず感謝と目的意識を持って成長を。
 
努力に休日なんてない。努力の本質は周りが怠けている時、眠っている時、困難がある時、そんな時こそいかに頑張れるかにあるのだと思う。
 
環境を変えろと不満を言う前に自分を変える努力を。自分の言葉に説得力を持たせるために必死の努力をして結果を残せる人間を目指す。
 
多くの偉人はその業績に注目が集まる。しかし、真に驚愕すべきはその人の志ではないだろうか。偉人達はその業績が革新的であればあるほど、当時の人から偏見の目で見られ、信頼されず、その環境は過酷なものだったはずだ。
 
しかし、彼らはその過酷な環境に負けない志を持っていたのである。信頼してくれる人が誰一人いない状態でも彼らは自分自身の夢が叶うと信じ続けた強い人達なのだ。
 
その強さの原動力こそ何が何でもやり遂げるという志であったと思う。彼らは不屈の精神で過酷な環境を切り開き信頼を勝ち得たのである。自分もそうありたい。
 
辛い環境は人を潰し人格も歪ませるかもしれない。だが逆境から生還した人はどうだろう。その成長度は驚愕するものになるのではないだろうか。環境のせいにせず自己を成長させる機会と考え乗り越えよう。今の繁栄は困難を克服しようと努力した人のおかげなのだ。困難に不満を言うだけの人にはなりたくない。
 
偶然成功することがあるかもしれないが成長に偶然はない。意図的に成長できる能力は人間だけに与えられた特権なのだ。それを生かさない人生はなんと勿体ないことか。成長を喜びに日々を感謝して生きよう。


科学が発展した現在、人間の能力は遺伝と環境に多大な影響を受けることがわかっている。では環境と遺伝に恵まれた人は必ず成功、成長するだろうか。逆はどうか。どんなに優れたものを与えられたとしても当人自身にその気がなければ期待した成果は出ないのではないだろうか。本当に優れた人物とは人々に何かしらのやる気や志しを伝えることのできる人であり、既に自分の志しを持ち行動している人だと思う。
 

現在の自分を作ったのは過去の環境であることは間違いない。環境は人を作るのだ。しかし、今の自分が駄目なことを過去のせいにして停滞するのか。駄目な自分からの脱却を目指し頑張っていくのかは過去の環境ではなくこれからの自分自身の問題のはず。

 
自分の不遇を嘆いていても意味がない。体型や生き方は努力でカッコよく出来るはずだ。努力で向上できるスキルは沢山あるのにそれすらせずにただ嘆く生き方こそ不細工ではないか。


 人間が変わる方法は3つしかないと言う人がいる。

1番目は時間配分を変える。2番目は住む場所を変える。3番目はつきあう人を変える。 

この3つの要素でしか人間は変わらない。

最も無意味なのは、『決意を新たにする』こと。

なるほどと思う自分とそれじゃだめだと思う自分がいる。

なぜなら子供や極度の貧困に苦しむ人は自らの意志で環境を変え人脈を変えることができないのだ。

環境に左右されずできること。それは考えを変える。決意するだと思う。

それが無意味ではないことを証明するために自分の決意に負けない頑張りしろ俺。

 
自分の食欲や体型すらコントロールできない俺に理想の人生を送る力があるとは思えない。目の前の辛さや欲望に打ち勝ちそれを毎日続けた結果人生は理想に近づくのではないだろうか。
 

何かを得ようとするなら得ようとする目標にあった自己犠牲が必要だ。遊びたい。楽したい。食いたいなんて言っている場合じゃないんだ。
 
今、神に願おうとしていることは必死に努力しても叶えられないものなのか。もし、何の努力もせずに願っているならそれは願いじゃない。ねだりだ。

とんでもない困難が来ている今、こう発想を切り替え乗り越えようとしている。成功者や金持ちは周りから攻撃されないだろうか。否。仮に最高の人格者だとしても僻みや妬みなど一方的な感情でいくらでも攻撃の的にされてしまう。だから、成功や成長の階段を登る時は自分の心も鍛えながら登らなければならないのだ。

結果的に得られる目標は達成できないかもしれないが、今するべき行動目標は自分の意志で達成できる。誘惑に負けず毎日を進むように。
 
妥協する一日より全力で生きる一日を意識。



自分の生き方が誰かの希望になるように頑張れ俺。