私が尊敬している青汁王子がへずまの更生を願い
超一流の住まいを用意して
多くの人が見捨てても信頼をした結果
恩を仇で返したと言われる結末になりました。
私はこの結果を見て特に不思議に思うことはありません。
私のブログで何回か書いていますが
環境を用意してもらい
信頼をしめすことは
必ずしも良い結果になるとは限らず真逆の結果をもたらすこともあると思っています。
信頼されない自分が信頼される人間になるように
辛い環境を良い環境にしていくように
他人のせいにするのではなく自分の改善点にして自己成長をするような心を持った時に
言葉ではなく行動でそれをしめした時に
良い環境を用意すれば伸びることもあるとは思いますが。
全てを環境のせいにして、良い環境を用意して信頼をしめせば改善すると思っていた人が私の身近にもいましたが、今回の件を見てどう思うのだろうか。
真逆の意見でとても共感した岡本さんの意見もはっておきます
慈善について共感しているカーネギー氏の言葉
慈善を行い人に何かを与える人がまず考えなければならないのが、助けるべき人は、自分自身で努力している人に限るということである。p61
いたずらに慈善に走らず、価値のない人を助けないことも、価値のある人を助けるのと同じように必要なことなのである。何も確かめず、ただ言われるままに助力を与えることは、力を与えてはいけない人に力を与え、力を与えなくてはならない人を黙殺する結果になるだろう p62
貧しい人たちに生活のための資金を与えれば中略 彼らは力いっぱい働くだろうか?残念ながら人の性質は、そのようにはできていないのである。彼らはたちまちのうちに、汗を流して働くことを好まなくなり、怠惰に時を過ごし、わずかな収入を生活のためではなく飲酒や賭博に消費し、ただ援助の額の少ないことに不平を述べたてたりするようになるだけなのである。彼らを時代の波に乗り遅れた落伍者と哀れみ、富豪が大金を投じて、まじめに働く市民に改造しようとしても成功することはない。中略 最後には援助を与えた人の真意とまったく反対の結果になるのであるp67 68
偉人が好きで話しを読みあさってわかったことは、彼らは私よりも厳しく恵まれない家庭環境に育っていたことだった。
成功の決め手は自分の思いを貫くことだった。
P42 要約
関係ありそうな偉人の言葉と私自身の言葉を貼り付け
社会が自分を裏切ったから自分はだめになった、などと言うのは口実に過ぎない。自分の教育に責任があるのは、まず自分であり、最終的に自分である。
曽野綾子
なぜ、この人たちは働かないのかしら。
求めて職が得られないならば、そのときには、純粋に無報酬の行為でもよい。
拙(つたな)くても、努力するのが、正しいのではないのか。
太宰治
善行でも恨みを買うことがある
善行が良い結果を生むとは限らない
マキャベリ
ここから私が自分でメモっている自分を励ます言葉
貧困が犯罪の原因になるならば金持ちは犯罪を犯さないはずだ。しかし、金持ちでも更に多くの富を得るために犯罪を犯す。人間の欲望には限度がない。貧しい時も富める時も大事なのは心構えであり清く富むことができれば世の中を救う力になるはずだ。
だめ男
金持ちが出来ない人生の経験として貧困から学ぶことは沢山ある。貧困は偉大な教師だ。しかし、清貧のみを強要する考えは間違っている。飢えた人達が清貧を貫いたところで根本は解決しない。慈善活動には人間的、経済的な成長も伴い「自立」を目指すものにしなければ依存者を増やすだけになる。
だめ男
信頼することが大事だと言う人がいるが、虚言癖がある人。詐欺師。弱みに付け込もうとする人。無警戒の信頼に対して何か悪さをたくらんでいる人は必ずいる。だから信頼することも大事だと思うが、その信頼を向けても良い人なのか。そうでないのか。それを見極める目を身に着けるのは信頼すること以上に大事だと思う。その目をもって相手を支援する時、効果は最大限になり間違えれば悪が肥えるのだから。
だめ男
恵まれない状況は自分の意志を屈強にする試練、成長の機会と捉え、困難な状況でも平常心ですごせる強さと優しさを手に入れるように。
苦しさは自分を成長させるスパイスであり、それを乗り越える楽しさを意識すること。
辛さを乗り越え自分に一本の真が出来た時、辛さは幸せの道に変わる。成長の為に痛さを乗り越えていく覚悟を。
環境を変えろと不満を言う前に自分を変える努力を。自分の言葉に説得力を持たせるために必死の努力をして結果を残せる人間を目指す。
多くの偉人はその業績に注目が集まる。しかし、真に驚愕すべきはその人の志ではないだろうか。偉人達はその業績が革新的であればあるほど、当時の人から偏見の目で見られ、信頼されず、その環境は過酷なものだったはずだ。
しかし、彼らはその過酷な環境に負けない志を持っていたのである。信頼してくれる人が誰一人いない状態でも彼らは自分自身の夢が叶うと信じ続けた強い人達なのだ。
その強さの原動力こそ何が何でもやり遂げるという志であったと思う。彼らは不屈の精神で過酷な環境を切り開き信頼を勝ち得たのである。自分もそうありたい。
辛い環境は人を潰し人格も歪ませるかもしれない。だが逆境から生還した人はどうだろう。その成長度は驚愕するものになるのではないだろうか。環境のせいにせず自己を成長させる機会と考え乗り越えよう。今の繁栄は困難を克服しようと努力した人のおかげなのだ。困難に不満を言うだけの人にはなりたくない。
偶然成功することがあるかもしれないが成長に偶然はない。意図的に成長できる能力は人間だけに与えられた特権なのだ。それを生かさない人生はなんと勿体ないことか。成長を喜びに日々を感謝して生きよう。
科学が発展した現在、人間の能力は遺伝と環境に多大な影響を受けることがわかっている。では環境と遺伝に恵まれた人は必ず成功、成長するだろうか。逆はどうか。どんなに優れたものを与えられたとしても当人自身にその気がなければ期待した成果は出ないのではないだろうか。本当に優れた人物とは人々に何かしらのやる気や志しを伝えることのできる人であり、既に自分の志しを持ち行動している人だと思う。
現在の自分を作ったのは過去の環境であることは間違いない。環境は人を作るのだ。しかし、今の自分が駄目なことを過去のせいにして停滞するのか。駄目な自分からの脱却を目指し頑張っていくのかは過去の環境ではなくこれからの自分自身の問題のはず。
だめ男
自分の生き方が誰かの希望になるように頑張れ俺。
この記事が青汁王子に見てもらえる日がくるような頑張りを!
人のために尽くした犬と両手両足をなくしても国からの支援を受ければ甘えることが当たり前になると断り自立することにこだわった中村久子。
私が思う慈善についての過去記事
dameotokoseityou.hatenablog.com