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元ニート不細工コミュ障だめ男が政治を語るブログ

日常記事は別ブログで書いています。ここは政治用にしました。

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いじめっ子を助けいじめはなかったとする教師達 命の教育はなぜ効果がないのか

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いじめをなかったとし被害者よりも加害者を庇う教師達。

 

 

いじめの詳細を書いてから自殺をしてもいじめはなかったとする教師がいたり、いじめのメモを捨てる教師がいるのはなぜだろうか。 

 

 

 

旭川女子中学生いじめ凍死事件が起きたので過去記事アップ。

 

旭川女子中学生いじめ凍死事件

 

 

 

旭川の自死を強要されて川に飛び込んだ14歳少女を見て警察に通報した人が死んでるのだが

 

 

以下、過去記事。

 

 

 

 

 

 

 

 

佐世保で悲惨な事件が起きた。


最近の教師達の指導は甘い。 




こういう事件があると教師は「○○君の死を無駄にしないでみんなでがんばろう」「罪を憎んで人を憎まず」と呼びかける。 



「二度とこのような事件がなくなりますように」という市民運動もある。 



しかし数年後にまた似たような暴行事件が起きてしまう。 



先生らや市民活動家に「悪に対しては毅然と対処する」「悪いことをしたら罰を受ける」という視点がない。 



「何か対策していたのか?」と先生に問うと、「アンケートをとったが生徒が書かないからわからなかった。指導には限界があります」と腰が引けた事を言う。 



悪に対しては毅然と闘わなくてはならないのに、指導や監督が甘い。 



子供がグレたりイジメが増える原因は、こういった大人の甘さや頼りなさにあると思う。 



大平光代が「だから、あなたも生きぬいて」の中で壮絶いじめ体験を語っていた。 



彼女の周囲の大人は誰ひとり頼りにならなかった。先生も事の深刻さを理解せずにただニコニコしているだけ。親も先生も医者も含めみんな甘い。


見て見ぬふり。傍観者でいるのが平和と勘違いしている。悪と対峙する方法がわからない。悪とも思っていない。私達がお花畑と言ってる状況そのもの。  




大人全部が彼女の思いを全く無視して勝手に決めつけて我慢を押しつける。正論を言うだけ。



正論を言うだけなら簡単。どんな時でも正論や綺麗事さえ言っていれば自己の心と加害者の心は救われる。でも被害者は痛い思いをする場合もある。



悪を見極め悪の対処を考えないといけないのに、全てが綺麗事で対処される。対処できれば御の字だが、対処できない痛みは被害者にくる。
 




生徒に興味が薄くて真剣に向き合おうとせず事なかれ主義で何も対処しない先生。何がどうなったのか真相を追求せずに体面だけを取繕う。いじめた生徒に対してもせいぜい「こらっ」で終わり。 



いじめた相手と形ばかりの握手をさせて「これで、仲直りや。よかったよかった」と一人納得する先生がいたりする。 


なんと無神経なんだろう。 


で「あいつチクった」でますますいじめは悪化する。 



不良少年自身も、「未成年だからどうせたいした罪にはならない」とわかっており、少年法に守られている、という事にあぐらをかいている。 


きれい事だけをいくら教えても無駄なのだ。 


もっと実情を踏まえた現実的な対処の仕方を教えるべき。 


それから、少年法には重大な欠陥がある。保護しすぎることで更正のチャンスを奪っている。 


加害の罪に対して罰も与えられていない。少年院には被害者への謝罪や贖罪をうながすためのプログラムや方法がない。被害者が、かけがいのない個人だということも意識されていない。 



少年を守ろうとする弁護士が登場し、「まずは更正して、心の歪みを正し、事の重大さを理解させ、真に反省させる。これが最大の償い」 「子供のプライバシーを守れ」だのを叫び、 「育ちが悪く不幸な子だったから、未成年だったから、アルコールのせいで正常な判断ができなかったから、更正と社会復帰を優先するべき」などなど、 被害者側の人間の気持ちを全く無視した意見を交わす。 



裁判所も犯罪者に制裁など加えない。むしろ裁判所は犯罪者を救う。罪を犯した人間に更正するチャンスを与える、と言う。

 



管理や指導や矯正が必要な場合もあっても、加害少年の保護者にも、そのような措置は行われていない。 



元々DQN家庭なので、開き直ったりするパターンもあるという。 


加害少年は被害者遺族の「怒り、悲しみ、苦しみ、恨み」などの心情を知らないまま、社会に舞い戻ってくる。 


これでは被害者の傷は癒えない。被害者は少年の成長の踏み台でしかないのか? 



遺族は、少年法という理不尽なカーテンのせいで、どんな少年にどのように殺されたのかその後はどうなったのか、事件の背景もわからぬままという事が多い。 



今の少年法には重大な欠陥があり、少年の健全な育成を阻んでいる。 


善悪の判断能力に欠け、無責任に権利ばかりを主張する人間を作っているだけ。 


少年犯罪の当事者の現状は、加害者は法に守られ、被害者は法外に置かれる。 


警察は未成年に対する配慮をし、裁判所も弁護士も少年を庇おうとする。 


よってたかって「なかったこと」にしようとしている。 


マスコミも事件の真相を掘り下げない。 


少年が犯した事件ということで、少年は刑務所には行かない。少年院でも更正せず罪の意識もない。反省していない。嘘もつく。 


民事訴訟はあるが、自己破産すれば逃げられる。払わなくても罰せられない。 


加害者側の親の誠意のない態度にも傷つく。 


「関係ありません。子供のしたことですから」と謝罪もない。 


世論も冷酷だ。 


子供を殺された親に対して悲しみにじっと耐えながら秘して物言わぬ像を求める。 


場合によっては「加害者も大変だ」と同情もする。 


「復讐してやりたいのか?金が欲しいのか?」「早く忘れて」「もう生き返ってこないんだからいつまでも…」と遺族を責める人もいる。 


被害者遺族はどれだけ無念なことだろう。気力やお金が続かなくて裁判するのも大変らしい。被害者は殺され損だ。 


「いかにして同様の被害が出ることを防げるか」というのも難題だ。 
結論を言うと防げない。 


実際の人間の中には、犯罪を繰返す全く更正しない悪人がいるから。 

そして社会の仕組みも法律もそういう現実に対応していない。更生しない人間がいるとは認めたくない。悪を見ようとしない仕組みがある。
 

少年法では、現状にあった裁きができない。このような悪法は改正するべきである。 


そもそも少年法がここまで被害者を置き去りにするのはなぜなのか。 


それは少年法のベースに「強者としての国家権力VS弱者としての少年」という構図があるからだ。 
裁判官と検察官が一緒になると少年は追いつめられ、冤罪も増えるといった類の、「国家権力に対する不信感をベースにした反対論」だ。 



イジメはないとする教師を最近よく聞くようになった。


「イジメは無い」とすれば対応する手間が省けるから。 



先生は忙しくて面倒くさいから見て見ぬフリをしたのか。 

違う。 

9条を守るとか君が代反対には教師生命をかけるのだから、 面倒くさがりではない。 


イジメの対応も、国家間の対応のまずさも、根底にある思想は同じなのだ。 


彼らには「悪いことをしたら罰を受ける」「悪に対しては毅然と闘わなくてはならない。」「優しさではなく厳しさで守れる安全がある」という視点が欠けている。 



しかし教育現場は「人権、平和、平等」「9条を守ろう。戦争反対」こんな類いの空言を言うばかりで、悪に対する闘い方を教えてはいない。 

「暴力はいけない。私は暴力しない平和主義者です」 

こういう事を言う人は確かに立派に見える。 

でも騙されてはいけない。 

9条を守る気はあっても人命を守る気はないのだ。 

例えば暴力をふるってくる人がいて、彼らはどうするかというと、何もしない。 

助けない。いじめも見て見ぬフリだ。 

いじめが発覚した時も教師は、『そんなんどうでもいいから』『君が我慢したら丸く収まるから』と言ったそうだから。 


kyouku


教師の対応と弁護士の対応は根本は同じところにいきつく。

 

 

なぜなら悪と戦わない無抵抗主義を教えた9条を崇拝しているから。


いざとなったら死ねばいい。立派に思えるこの言葉。




しかし、殺人者も人を殺すが無抵抗主義も等しく人を殺す思考なのを多くの人がわかっていない。

守れるものを守らないのは、形を変えて人を殺している。これを受け入れてるのだから、形を変えて「罪なき人に」平和のために痛みを強要してしまう。


見て見ぬふりをする。悪と対峙しない。悪を見ない。綺麗なことだけ見続ける。その考えが日本を根本から壊していく。


やめてくださいの叫びを無視して犯され、痛いと叫びながら血を流す。「話し合い」「伝え」「お願い」しても無駄だった結果犯罪が起きていることも考えもしない。




人道的な話し合いが通じない相手だからこそ犯罪が起き、そのターゲットになっている人こそ、善良な信頼おける人なのに。


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日教組がどのような組織か。

 

ここにメモとして記しておく。

━─━─━─━─━─

http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/141.html 引用先

「日教組とは何か?」

 

  日教組(にっきょうそ)というのは、日本教職員組合の略で、 日本最大の教職員労働組合である。 



これは民主党の支持団体で、合法的に多額の『献金』を行っている。 

 

 


また、日教組の教師のほとんどは理念的には民主党、共産党、社民党を支持すると言われている(正確には全教が共産党系列だが現場ではほぼ同一視されている)。 

 

 

 


日教組は基本的には左翼寄りで、中国を有利にする働きを持っている。 

民主党についてはここでは省略するが、先ほどの朝日新聞のあたりを参考にして頂きたい。極端に簡単に言えば『中国寄り』という意味である。 




この日教組というものは、その名の通り『日本の教育』に大きな影響力を持っているのだが、どのような方針を持っているのだろうか。 

まず、日教組の『教師の倫理要綱』に「我々は科学的真理(マルクス主義)に従って行動する」とあるように、組合思想の根本には旧ソ連を理想とするマルクス主義(階級闘争イデオロギー)がある。 

 

 


しかも、そのマルクス主義とは国際共産党組織から出された指令に沿い、資本主義に対立する概念としての社会主義思想ではなく「資本主義社会を打倒して社会主義国家を樹立するための革命理念」という側面が強い。 


事象例を挙げると、日教組による「過去の日本を卑しめる偏向教育」は戦後生れの人々を「反日日本人」に仕立て上げている。 

 

 


国家に反逆するのが当たり前で、悪である国は何が何でも潰すべし、という誤った価値観で1960年代、全学連による学生運動が盛り上がった。 

 

 


そしてそれを理念も知らぬまま「古き良き時代」として肯定している。 

これらをできるだけ単純化して箇条書きすると、 

 

  • 資本主義に対する革命思想である。
  • 日本(資本主義)が中国やソ連の国家体制を脅かさぬよう教育、誘導する。
  • 日本国内において日本を弱体化させ、可能なら社会主義国家にする。
  • 国家権力と敵対することを是とする。
  • 自虐史観、東京裁判史観を是とする。
  • 教育現場で間接的に特定の政党を支持する(教育基本法8条2項で禁じられている)


もっと簡単に例示すると、 
 

  • 「日本を愛する」と言うと、それを右翼的だとし『視野の狭いナショナリズム』と言い換える。
  • 「親や先祖、先人を尊敬する」と言うと、それを短絡的だとし『右翼的で歴史から目を逸らしている』と言う。
  • 「国旗・国歌・靖国をどう思うかは自分で判断する」と言うと、それを馬鹿にし『暗に、日本は尊敬できる国ではない』と自虐を推奨する。
  • 「慰安婦の問題は解決した」と言うと、合法な上に解決済みなのを隠して、『反省しない日本の対応に被害者は今も苦しんでる』と嘘をつく。
  • 「東京裁判は間違っていた」と言うと、歴史を否定するな、と論理を摩り替え『罪を認めないのは恥ずかしいこと』と教育する。

━─━─━─━─━─

 

犯罪を環境のせいにして犯罪者の権利を守ろうとする人達

精神科医小田晋先生の著作より


・・・・・・・以下過去記事・・・・・・・・・・・



「秩序破壊型」の言論が出てくるのは、とにかく少年非行を環境のせいにしてしまい、本人の責任はなるたけ問わない、という発想の結果であると思われる。

 

しかし、こういう形の保護主義は果たして正しいだろうか。

 

 

こういう考え方の背後には1970年代、全共闘時代の

 

 

 

 

1.犯罪、苛め、不登校等の教育病理、社会病理は現体制の矛盾に発しており、革命以外に解決の方法はなく、それを個人の責任に帰するのは間違いである。

 

 

 

 

2、それどころか、犯罪者、非行少年、精神障害者ホームレスなどの反社会的エネルギーこそが体制内化した労働者、農民に代わって革命の原動力となるーという新左翼、過激派の発想が存在する。  

 

 

 

(中略)その中で培われた社会に対する「加虐の快感」は、尾を引いて「社会解体促進同盟」(略)

 

 

 

「犯罪者応援団」とでも言う他ないような動向になって、国家、司法、精神医療、教育、家庭などおよそその邪魔になりそうな制度全般を麻痺させその機能を失わせようとしているのである。

 

その動向が今、最も先鋭に打ち寄せているのが教育の領域だと言える。

 

 

「人権」「保護」の主張は、場合によってはその美名の下に犯罪、非行に対する社会の抑制力を消滅させようとするものにすぎないのであり「隠された動機」の存在を読み取ることが出来るのである。

 

 

 

(中略)

 

実際、全共闘運動は、日本に革命を起こすことには失敗したが、社会を破壊することにはある程度、成功した。

 

この成功体験による快感、攻撃衝動の充足が彼等の言論の大きな特徴に為っている。

 

 

だからこそ、全共闘世代及びその影響を受けたより若い世代の「人権派」の主張は一貫して

 

「建設」「構築」よりも「破壊」「攻撃」に強く傾斜している。

 

 

1970年代以来、彼等は精神医療や矯正のシステム、警察組織の効力を弱めよう破壊しようとしてきた。

 

また、それぞれ、部分的には一理ありそうな代用監獄制度への反対、保安処分反対、管理教育反対を唱え、子供の権利を擁護すると言いながら、

 

 

結果的にはいじめっ子のような加害者の人権だけに加担している。

 

(引用終了=小田晋)

 



 

 

 

 

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