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誇りの記憶

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佐賀藩の武士道教本である『葉隠』には、「武士道とは死ぬことと見つけたり」という有名な一節がある。
これは何も死ぬことを勧めているのではなく、武士たるものは公のため天下国家のためには死ぬ覚悟を持って日常事にあたれということだ。
志という字は「士の心」、つまり武士道精神を意味するもので、同邦万民のために自己を捨てて殉ずる心が本来の「志」なのである。
国家にはそれぞれ、そのナショナル・アイデンティティが存在しており、
英国にはアングロサクソンの騎士道があり、
米国にはピューリタニズムがある。
そしてどの国のナショナル・アイデンティティにも引けを取らない崇高な理念が日本の武士道であり、それ故にセオドアールーズベルトや李登輝元総統が絶賛したる所以である。

マルクス主義史観によって忠義報国といった概念を全否定する日本の左翼は、この民族的精神たる武士道を蔑めるために「人口的に武士なんてごく一部で大半は農民・町人であり関係ない。戦前戦中の帝国主義教育の産物だ」などと誹謗することが多い。
しかし江戸時代から寺子屋の先生は藩校で学んだ武士たちが勤めており、
その寺子屋は明治維新によって尋常小学校に発展している。
尋常小学校で明治時代の子供を教育したのは武士であり、それによって武士道精神は日本民族全体が共有する理念へと昇華したのだ。
そしてそれまで武士階級の心がけであった武士道が維新によって全国民に広がったことで、世界中が驚嘆するスピードで明治日本を世界六大強国の一つにまで推し上げていく原動力となった。

自衛隊の基となった警察予備隊編成のために戦後日本に滞在した米軍事顧問団幕僚長F・コワルスキー大佐は、「すべての日本人の心には武士道が生きている」と感嘆の言葉を述べているが、コワルスキーの会った日本人たちとは敗戦以前の教育を受けた人々である。
つまり精神とは職業の差異によって生まれるものではなく、教育によってのみ培われるものなのだ。

敗戦から六十年、GHQニューディラーの占領政策とマルクス主義勢力の「洗脳」を受け続けた今日の日本には、もはやこの武士道精神が喪われたかのように見える。
しかしあまりにも一方の端へ偏向した国民精神の基軸は、やがてバランスを取るために真ん中に戻ろうとする自浄作用をもたらせる。
まさに今その自浄作用は始まり出した。
映画『プライド』や『新しい歴史教科書』が話題を呼んだ平成十年頃が一つの分岐点となって、日本民族が目覚めた始めたように私は感じている。  

そしてそれを象徴するかのような素晴らしい言葉が平成の軍人の口から発せられた。平成十六年二月一日、北海道旭川市で行われた自衛隊壮行式典において、陸上自衛隊イラク派遣本隊隊長の番匠幸一郎一等陸佐は「武士道の国の自衛官らしく規律正しく堂々と取り組みます」と述べられた。
ニュースでこの言葉を耳にした私は、このとき深い感慨を覚えた。国連PKOの枠を超えて主権的国策の下に初めて海外の地を踏む自衛隊、その派遣隊隊長の口から「武士道」という言葉が出たことが、「日本もまだまだ捨てたもんじゃない。これから日本は変わっていく」と私を勇気付けてくれたのだ。

そしてその言葉が実行されたことは、二〇〇四年のシーアイランド・サミットでイラク暫定政権のヤワル大統領が「(各国派遣軍の中で)イラク国民が最も歓迎しているのは日本の自衛隊だ」と述べたことで実証された。

「武士道の国の軍隊」はその本分を全うしている。
本年、平成十六年は日露戦争開戦百周年にあたるが、実はこの日露戦争こそが数百年間続いた欧米白人国家による世界支配に終止符を打ち、万民族平等たる新世界を現出せしめた人類史上最も偉大なる戦いの出発点であった。  
祖国近現代史を省り見るに、日清・日露・大東亜戦争、この全てにおいて日本は自国よりも強大な国ばかりと戦った。
当時、清もロシアもアメリカも日本の何倍何十倍もの軍事力・人口・領土・資源を持つ大国であり、日本は悲壮な決意の下に背水の陣で戦ったのである。
対中従属と防衛力弱体化のために自虐史観を唱える左翼勢力は、日本の戦争をすべからく「侵略」だと喧伝してきたが、しかし自国よりも強大な国とばかり戦うような「侵略」など存在しないことは自明の理であろう。
イラクがクウェートに、中共がチベットに侵攻した如く、自国よりも弱い国を攻めるからこそ「侵略」が可能となるのだ。

弱肉強食の原理が世界公然の秩序であった時代、白人植民地支配の魔手が東亜に迫り来る中、日本はアジアを守るために先ずそれを妨害する清国と戦った。
当時、阿片戦争で英国に破れた清はそれを機に西欧列強に侵食され始め、そこで清は「東学党の乱」に乗じて朝鮮半島に出兵し、朝鮮の完全な属領化をもって国威復活を図ろうとしていた。
しかし朝鮮半島こそが地政学上における日本防衛の生命線であることを理解していた日本政府は、清に対して「朝鮮の独立維持」を求め、しかし清かそれを拒否したことにより明治二十七年日清戦争に至ったのである。
日本に領土欲などカケラもなかったことは、
日本の戦争の動機が朝鮮の独立を守るためであったことで裏付けられる。

現に明治二十九年(一八九六年)に朝鮮を訪れた英国のカーゾン卿は「朝鮮を日本が併合していれば、日本は混乱状態から新しい秩序を導き出せだのに、日本はそうしなかった。日本はこの気の狂った小さな舟(朝鮮)を極東の錨地につなぎ止めておく国際的な義務がある」と述べて、日清戦争後に日本が朝鮮併合を行わなかったことを「他国を気遣うあまりの失策」と批判しているぐらいである。

しかし日本がようやく清を倒してその独立を守った筈の朝鮮は、
その事大主義故に日本とロシアを両天秤に掛けて日本の足を引っ張り続け、
あげくには親ロシア派の一党が朝鮮国内にロシア軍を導入するに至った。
実は朝鮮という国はそれまで約二千五百年間に渡ってシナに直接支配されるか又は属国属領となって朝貢するか、そのどちらか以外の歴史はまったく存在せず「独立主権」という概念が稀薄であった。
そもそも朝鮮という国名自体が、高麗を倒した李成桂が一三九二年に宗主国の明に使者を派遣して命名してもらった国名だ。

地政学上、朝鮮のような半島国家は大陸国家と海洋国家のパワー・ポリティクスに巻き込まれる宿命を持つが、それ故に朝鮮では常に事大主義なる「強いほうの側につく」という民族精神が存在した。
従って当時朝鮮では三国干渉を見て「日本よりもロシアのほうが強い」と考えた勢力が、日本の同盟国としての独立維持よりもロシアの属国になることを選び、ロシア軍を大々的に国内に引き入れたということだ。
このままでは朝鮮は言うまでもなく満州もシナも東アジア全体がロシアの侵略の魔手に陥ち、日本の独立も危うくなる、そんな状勢の中で日本は孤軍奮闘ただ一国でアジアを守るためにロシアに戦いを挑んだ。
世界中が日本の敗戦を確信する中で歴史の女神は日本に微笑み、奇跡的な戦勝が日本におとずれた。
日本の二倍の陸軍と三倍の海軍を保有するロシアは、海でも陸でも日本軍に敗北した。こうして今から百年前のその日、日本は人類史に巨大な輝かしい足跡を刻んだ。
世界史上初めて有色人国家が白人国家に勝利したのである。
明治三十八年九月五日、この日に旧き世界は新しい世界へと変わった。
世界中の誰もが予想だにしなかった日露戦争のこの結末によって、その瞬間に白人の世界支配秩序は大きく揺らぎ、やがて大東亜戦争を以ってその白人の力による秩序は完全に崩壊することになる。

もし日本が日露戦争に敗けていれば、おそらく北海道はロシア領となり、朝鮮半島も満州もロシアに占領され、さらに東アジア制覇を目指すロシアはシナの黄河以北を領有し、ロシアがそうすればイギリスは揚子江をはさむシナ中部を占領、インドシナを植民地とするフランスも接するシナ南部を占領、出遅れたアメリカも当然シナに侵出し、かぐてシナは解体されてロシアを中心とする白人諸国に分割統治されていたことであろう。
そしてその結果、白人の世界支配は今もなお継続していたであろうことは推察するに易い。

日露戦争における日本の勝利は、全アジアの有色民族に大きな希望と自信を与え、植民地下の全ての国々から独立の志士たちが日本に集結するに至った。
日本はさながらアジア独立解放の本陣たる一大基地の様相を呈していたのだ。
シナからも年間数万人が日本に留学し、日本はその留学生たちを陸軍士官学校に受け入れている。
さらに日本陸軍はこれらシナ人留学生のために、中国語で軍事学を教える「振武学校」なるものまで設置した。
もし日本にシナ侵略の意図があったのならば、相手国の留学生に軍事学を教えるような馬鹿な真似はしない。
日本はシナが日本と共に白人植民地主義からアジアを護る友邦となってくれることを真摯に願ったのだ。

その願いはシナ側から幾多も裏切られたが、それでも日本は「日支親善」を唱えて日中共栄の夢を追った。
もし日本が本当にアジアを乱す元凶たる侵略国であったのならば、日本敗戦によってアジアは平和になった筈である。
しかし現実はどうか。東南アジアの独立戦争はともかく、シナでは国共内戦、朝鮮も南北内戦、ベトナムでも南北内戦、中印戦争、中越戦争、その他、枚挙するにキリがない。
ここから導き出される結論は一つ、日本はアジアの「秩序」であり、そしてアジア独立の「光」であったのだ。

一九五七年に岸首相が訪印した際、インドのネルー首相は歓迎に集まった約三万人の群衆を前に「私の子供の頃に日露戦争というものがあった。その頃のロシアは世界一の陸軍国だった。世界中は、ちっぽけな日本なんかひとたまりもなく叩きつぶされると思っていた。アジア人は西洋人にはとてもかなわないと思っていたからだ。ところが戦争をしてみると、その日本が勝ったのだ。私は、自分たちだって決意と努力しだいではやれない筈がないと思うようになった。そのことが今日に至るまで私の一生をインド独立に捧げることになったのだ。私にそういう決意をさせたのは日本なのだ」と述べている。

もし日本という国が地球上になければ、この世界は今とは全く違う世界、「白人という半神と有色人種という家畜」だけが存在する差別と弾圧の世界であり続けたことは疑いようもない。

日露戦争後に日本が優先的権益を確保した満州という要所は、日本がロシアに対抗する上で不可欠の地であった。
しかし日本は満州国を単なる緩衝地帯だとは考えず、アジア諸民族のユートピアにする大理想の下、一九三二年~一九四五年にかけて当時の金額で総額百億円以上(当時の日本の国家予算は平均二十数億円)を注ぎ込み、五族協和の近代国家建設に全力を尽くした。
朝鮮半島でもそうしたように、日本の武士道精神は「弱きを助ける」ことにあったからだ。
満州国のシンボルでもあった満鉄「大陸特急あじあ号」は、大連~新京間の七百キロを八時間で疾駆する当時世界最速の列車であった。(現在この区間を走る中共の列車は十時間を要している。)

クーリッジ共和党大統領の意を受けて一九二八年に満州を視察した米モルガン財団は「満州はシナ全土で唯一の安定した地域である。日本人があってこそ、満州は不安定要素が消えて安定することが期待できる。日本の満州開発は中国人の利益となっている」との報告書を米国務省に提出しており、
また一九四五年四月に延安で開催された中国共産党第七次全国大会で毛沢東が「たとえ我々が全ての占拠地を喪失しても、満州さえあれば、それをもって中国革命の基礎を築くことができる」と述べて「満州だけは国民党軍の手に渡すな」と檄を飛ばしたことからも、その近代国家としての繁栄振りは伺い知れるであろう。

しかし日本が苦難の末にロシアのアジア制覇の野望を抑えて満州開発に努力を傾け始めた途端、次は英米がその満州を始め東アジアにその権益拡大の矛先を向け、一九三三年に米国で民主党ルーズベルト政権が発足すると、前任のフーバー共和党政権とは打ってかわって米政権は日本の満州権益に圧力を加え始めた。
そしてその欧米白人諸国のアジアにおける勢力圏・軍事拠点が東南アジア植民地諸国であった。
何が何でも日本を戦争に引きずりこみたいルーズベルトの対日「戦争挑発項目A~H」の順次実施は、日本にとって忍耐の限度を超える苛酷さを極め、以って日本は米国の圧力を打破し東南アジア諸国を欧米の支配下から解放独立せしめんが為、かの地にて欧米軍と干戈を交えたる所以である。
白人が世界を支配するスタンダードルールの中で、共産主義ソ連打倒を夢見たドイツ、そしてイタリア等のドイツの追随国だけが、白人国家として日本の味方についてくれた。
日独伊三国同盟を後の時代になって批判することは易いであろう。しかし当時の国際社会の中で日本に味方してくれる白人国家はドイツしかなかったという、日本の孤立的現実を忘れてはならない。
          
一九四〇年九月、日本軍は北部仏印に進駐。英国史家クリストファー・ソーン述べるところの「十五世紀のバスコ・ダ・ガマで始まった欧州人によるアジア支配に初めて亀裂を入れる」という大いなる快挙を成し、「アジアでの白人種の権威が失墜する」(英イーデン外相)と焦った英国は、仏ビシー政権を通じてドイツに日本を抑えるように依頼する。
植民地を手放す気などカケラもなかった英国は交戦中のドイツにまですがったが、ヒトラーは「日本は同盟国であり、ドイツの権益を侵さない行動を止める権利は我方にはない」とこれを一蹴。
かくて戦いが始まると、「小さい連中(日本軍)を速やかに追っ払う」と宣言した英マレー方面司令官パーシバル中将は、山下奉文中将率いる日本軍に速やかに追っ払われた。
マレー沖海戦で英戦艦プリンス・オブ・ウェールズが沈んだとき、同時に植民地帝国イギリスの国威も海の底へと沈み、チャーチルは「戦争の全期間を通じてこれほど衝撃を受けたことはなかった」(回顧録)と嘆泣した。
シンガポール陥落の日、仏亡命政権首班ド・ゴールはその日記に「白人帝国のアジア支配は終わった」と書き記している。
これまで数百年間に渡り白人が有色人種の血と涙と屍の上に築いてきた植民地帝国という世界秩序、その世界秩序がカラカラと音を立てて崩れていく衝撃が、欧米白人諸国の間を一迅の突風となって走り抜けた。
 
その国力からして勝てる見込みの薄いことは百も承知の大東亜戦争、しかし日本は誇りを守るため悲壮なる決意の下、国家存亡を賭けてアジアの為に白人超大国連合に戦いを挑んだのだ。
自ら好きこのんで強大国に攻撃を仕掛ける「侵略」戦争など三千世界の何処にもなく、三度に渡る日本の戦争は全て孤高のアジア防衛戦であり、不屈の防共戦であり、そして同時に白人に虐げられてきた全ての有色民族を代表する「聖戦」であった。
それ故に当時を知る東南アジア指導者たちが日本に「謝罪無用」と述べる所以である。

もしも左翼の言うように日本に侵略の意図が有ったのならば、なぜ日本は占領下の各植民地を独立させ、もしくは独立させるための訓練や教育を施したのであろうか。
自虐史観病の患者たちが何を強弁しようとも、日本がアジアの植民地諸国を独立させたこと、その事実こそが全てを証しているではないか。
日本は本気で崇高なる「夢」を追い、そのために日本人は苦難に耐え血を流しアジアの「聖戦」を戦い抜いた。

大東亜会議においてインド独立仮政府首班チャンドラ・ボースは、「一九〇四年に日本がロシアとの戦いに決起して以来、日本には自由かつ繁栄に充ちたる新アジア建設のために指導的立場に立つ使命が生じた。それは歴史の必然である」と述べた。

然り、日本の戦いは侵略ではなく使命であった。

米国の歴史家J・トーランドは「大東亜共栄圏の思想は、西側の情報分析家が言うような茶番や狂言ではない。日本の指導の下で『普遍的兄弟愛』によるアジアの団結を宣言したこの政策は、白人によって搾取されてきたアジアを解放したいとする日本の理想主義によって産み出された」のであり、「日本の勝利はほとんどのアジア人を陶酔させ、一九四二年のシンガポール陥落は、西洋の支配から解放されたアジアの出現であり、東洋人すべてに誇りを与えることになった」と断じている。

そして最終的に戦いには敗れたが、日本のこの「夢」は叶った。

日本軍の占頷下において、一九四三年三月フィリピン独立、同年八月ビルマ独立、翌一九四四年三月インドシナ独立。インドネシアとマレーは終戦迄に独立は間に合わなかったが、日本は両国独立の基礎となるインドネシア独立義勇軍及びマレー興亜訓練所を設置し育成指導している。

また日本軍が編成させたインド国民軍は、悲惨な戦場となったインパール戦線を日本軍と共に戦い、インド独立の礎となった。
イギリスがこのインド国民軍を反乱軍だとして設けたる軍事裁判はインド全土に暴動を呼び起こし、その結果一九四七年インド独立、同軍事裁判のインド側主席弁護人パラデイ・デサイ博士は「インドの独立は日本のおかげで三十年早まった。インドのみならずビルマもインドネシアもベトナムも東亜諸民族はみな同じである」と宣した。

数百年の長きに渡り続いた白人の植民地支配、しかし日本は僅か三年足らずの占領期間に東南アジア諸民族に教育と訓練を施して独立を達成せしめた。

「第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た人々のために、偉大な歴史を残したと言わねばならない。その人々とは、日本の掲げた短命の理想である大東亜共栄圏に含まれていた国々の人々である。日本人が歴史上に示した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間考えられていたような不敗の半神ではないことを明らかに示したことにある」(A・トインビー)。

そしてこのアジア諸国の独立はやがてアフリカ諸国の独立を誘発せしめ、かくて人類史上における白人の植民地世界支配は永久に消滅するに至る。

常に強き故に立ち向かった日本の三度の戦争、それは正に「弱きを助け強きを挫く」という武士道精神の戦争であり、勝った戦いも敗れた戦いも共に我々日本民族の誇りであり、恥じるところなど些かたりとも無い偉大なる先人の歴史である。
英国の大哲学者ハーバード・スペンサーは「進歩とは偶然に起こるものではなく、必然として起こる。この巨大な動きは絶えず完成に向かいつつある。完全な発展と、より純粋な善へと向かいつつあるのだ」と述べているが、
この世には戦争によってしか実現しえない人類の「進歩」もまた存在しており、それは「話し合い」では決して変えることのできないものである。
日露戦争と大東亜戦争、それは人類が純粋な善に向かって進歩するための「必然」であった。
明治維新以来、果敢にも強大国に挑み続けたサムライの国は世界を変え、人類に大きな進歩を到来せしめたのだ。

 

 

かの時代、欧米植民地下にあったアジア諸国にとって日本は大いなる憧れであり、日本人自身もまた栄誉ある皇国臣民であることに誇りと自信を抱いていた。
大和民族自らの手で極東の小国を世界六大強国の一国にまで推し上げ国際的に名誉ある地位を築いたること、全ての有色民族を代表して白人超大国による世界支配の打破に挑み続けたること、その民族の誇りは戦後の自虐的日本人には想像も及ばぬものであろう。

そして国際情勢の変動に揺り動かされた日本が正に目覚めんとする現今、我々が祖国再生の為に先ず取り戻すべきもの、それはこの先人たちの「誇りの記憶」である。
日本を中共の属国化せしめようとする左翼自虐史観の汚れた泥を洗い流し、武士道が人類の歴史を変えたるその誇りこそを民族精神に取り戻すこと、それが新しい日本の夜明けを到来せしめ、世界秩序再編と米中冷戦の新世紀における真の民族精神の要となるのだ。

日本を狙う中朝の核ミサイル、今や秒読みとなった北朝鮮Xデイ、米中軍事衝突の発火点となるであろう台湾情勢、そして世界新秩序建設への参画を日本に強く求める米共和党。
今や日本はこれ以上妄想平和主義に浸る時間は一刻たりとも残されていない。

新たなる高度国防国家建設、そして再び世界に冠たる道義国家の地位を築き、名誉ある有色民族解放の旗「日の丸」を万天下に堂々と翻さんが為、我々は先人達の光輝ある「誇りの記憶」を取り戻す民族的作業に着手しなければならないのだ。
「誇りの記憶」、それはすなわち武士道精神と言い換えることもできよう。冒頭で述べた番匠一等陸佐の言葉に私か感慨を覚えたる所以である。

さて日本の戦後体制が悪とみなして徹底的に封印してきたものの中の一つに「選民意識」がある。
しかし米英などアングロサクソンにはキリスト教十字軍に代表される選民意識があり、ユダヤ民族も強烈な選民意識を持ち、それはイスラムも同様である。
中共にも大中華思想という選民意識があり、世界のスーパーパワーとなる国家民族には必ずこの意識が存在している。
それもその筈で、自らの民族と国家に強い自信を持てない国民が多数を占めるような国が、生き馬の目を抜く国際社会で台頭できる訳がないのである。

日本で選民意識が封圧されるに至った発端はGHQによる神道政策であり、
以後マルキスト日本弱体化のために選民意識を目の敵にし「軍国主義の代名詞」として喧伝し、今や森首相が「日本は天皇陛下を中心とする神の国」と言っただけで狂ったかのような袋叩きに合う始末である。  

しかし選民意識とは国家と民族に誇りを与え、国家を隆盛繁栄させるための源泉に他ならないのだ。
その誇りがないから土下座外交も平気になる。


国際的に行われた「世界青年意識調査」では、
「自国の国民であることに誇りを持っているか」という設問に対して「はい」と答えた日本人は調査対象国中で最下位であった。
フィリピンやタイなど日本より貧しい国々よりもはるかに低かったのだ。
まさに日教組・全数が執拗に自虐史観を子供たちに刷り込み続けた結果が見事なまでに現われている。
さらに「自国に役立つことであれば、自分自身の利益を犠牲にすることができるか」に対しては、「はい」と答えた日本人は僅か十三%であるのに比べて、アメリカは七十%、中共は六十五%であった。

次代を荷なう青少年が日本人であることに全く誇りを持っておらず、
国益よりも私益を優先する者が八十七%もいるという、
こんな国が今後も発展を続けられるであろうか。


青少年たちが誇りを失ったその結果は、「その場が楽しければよい」という享楽主義が広がり、麻薬と性病が蔓延し、少年犯罪が激増し、定職に就かないフリーターが激増するにも至った。

「誇りを失った国家は滅ぶ」と述べたのはランケだが、
日本の教育はその誇りを奪い続けることに力点が置かれてきた。

「日本は世界最古の王朝たる天皇家を裁き、アジアを導く使命を待った神国、世界に日の出づる国である」という選民意識、
この明治維新以来大東亜戦争終結に至るまでの先人が持ちえた選民意識すなわち誇りこそが、日本を短期間で大国に押し上げアジア解放を導き得たる所以である。

なお私は若者たちに与えてやれる選民意識として、戦前戦中の伝統的なものに加えて、ここでもう一つ科学的に裏付けされたものを呈示しておきたいと思う。
ノーベル物理学賞を受けた米スタンフォード大学教授W・B・ショックレー博士の学派に連なる、高名な優生学者にチャールズ・マレー博士という人物がいる。
このマレーは一九九四年に「ザ・ベル・カーブ」理論という論文を米優生学会に発表し、IQテストを含む各種試験の点数分布の客観的統計数値に基づき、
「人間の知能には人種間で差がある」と科学的に論証した。
「ザ・ベル・カーブ」理論では「黒人種は白人種に知能で劣る。しかし白人種よりも黄色人種のほうが優れており、黄色人種の中では日本人がひときわ群を抜いて一位であり、日本人を唯一上回っているのがユダヤ人である」と結論付けており、
優生学の分野で世界一進んでいるといわれる米シカゴ大学もこの理論を支持すると表明している。

マレーの理論は膨大な統計に基づく実証主義的なものであった為に、それに反論するだけの根拠を持つ者も存在しえなかった。

一九三〇~四〇年頃に優生学が世界一進んでいたのはドイツだが、ゲルマン民族至上主義者のヒトラーがユダヤ民族を敵視したのは、このユダヤ人の優秀さに危険性を感じたからに他ならない。
現在ユダヤ民族は世界の金融・エネルギー・マスメディアを事実上支配しているが、次の「新しい世界」でそのユダヤ民族に替わりうるのは日本民族だけだということが優生学においても立証されたのである。

私はこの「ザ・ベル・カーブ」理論と伝統的選民意識をセットにして子供たちに教えていくことこそ、日本人に自信と誇りを復活させるための教育の柱となることを提唱したい。
それは必ず民族的な強さとなって次代の日本をつくる。

さて戦後日本人がその誇りを、武士道精神を喪失して幾久しい年月が流れたが、その恥を恥とも思わない民族精神の堕落をまさに象徴せしめるのが、二〇〇二年五月八日に起きた瀋陽の日本領事館での主権侵害事件ではないだろうか。

ご存知のように同領事館に庇護を求めて駆けこんだ北朝鮮人の五人の家族を追って、中共人民解放軍の軍事警察がウィーン条約を無視して強制侵入し、領事館員たちは誰もそれを阻止しなかったどころか軍事警察官の落とした帽子まで拾ってやったという、あの国辱的事件である。
北朝鮮難民による駆け込みは、それまでも米国・ドイツ・カナダ・スペイン等の大使館や国連事務所で行われているが、中共がこれを追って侵大したことは一度もない。
また瀋陽の事件と同じ日に同地の米大使館にも駆け込みが行われたが、中共はこれを黙認している。
事件の後日に発生した韓国大使館への駆け込みでも、侵入しようとした中共軍事警察を同大使館員が体を張って阻止しており、つまり中共に存外公館を置く全ての国の中で日本だけが侵入され、また侵入を許したのだ。
かつては奉天と呼ばれた満州国の跡地で起きたこの事件により、
中共が日本をとことんなめている姿
そして日本が中共にとことん媚びへつらっているその姿が、NGOが撮影したビデオの公開により世界中の国に配信放送された。
日本の国威は地に堕ちたのである。

国際条約上で日本の主権範囲とされる領事館への中共兵士の強制侵入は、
軍歌の一節を借りればまさに「いま暴民の靴先に踏みにじられて神州の国威危うく堕ちんとす」という状況であり、侵入を許すか否かに日本の国家の誇りと名誉の全てが賭かっていたと言っても過言ではない。

ところが事後に外務省は中共に不利な事実を全て隠蔽し、
さらに中江要介元中国大使は平成十五年八月の朝日新聞で「日本はとにかく事を荒立てるな。一番けしからんのはビデオで撮影したこと。こんな事件が起きるのは北朝鮮が貧しいからなので、日本は北朝鮮へ大々的に援助を与えよ」という主旨の論文を載せ、中共を一言も非難しないのみならず、これにこじつけて北朝鮮への援助を唱える始末であった。

この日本の姿には武士道精神も国家民族の誇りのカケラもない。
ひたすら強大国中共に媚びへつらう卑屈な事大主義の屑、
それ以外のどんな姿もそこには見えてこない。

 
実はこの瀋陽事件とよく似た事件が戦前の日本に対して起こったことがある。

それは一九一三年、メキシコで軍事クーデターが発生し、大統領が殺害され、その夫人と子供たちが日本公使館へ駆け込み助けを求めた事件である。
メキシコ公使であった堀口九萬一氏は、このとき公使館の表玄関に日の丸の旗を敷いて自らも立ちふさがり、押し寄せる武装革命軍の群れに対して
「彼女たちを捕まえるというならば、私を殺し日本国旗を踏んで館内へ入るがよい。日本と戦争する覚悟でやれ」と一喝し、
掘口公使の気迫に負けた革命軍は引き下がっていった。
さらに堀口公使はクーデターの総司揮官に単身面会し、
「懐に入った窮鳥は殺させない。それが日本の武士道だ」と日本のことわざを紹介して談判し、
大統領妻子の身の安全を総指揮官に保証させるに至っている。

まさにこの堀口公使の行動こそが武士道精神であり、後世に継承されるべき「誇りの記憶」ではないだろうか。

李登輝氏は「中国人が日本人を籠絡するのは簡単だ。日本人は武士道精神を失い、国家が漂流しているからだ」と述べておられるが、
戦前戦中の偉大なる時代を薄汚れた自虐史観で塗りつぶしたことで、
堀口公使が武士道精神を示して祖国日本に誇りの歴史を残してくれた足跡は忘却され、ついに瀋陽事件のごとき国辱の極みにまで日本民族の精神は地に堕ち果てたのである。
人類がこの地球という星の覇者となりえたのは、他の動物にはない尊厳の感情、すなわち誇りというものを持ち得たからに他ならない。他の動物は誇りのために自らを犠牲にする行動は絶対に取らないのだ。

例えば自衛官二名が殉職した平成十一年八月の埼玉県入門川河川敷の航空自衛隊練習機墜落事故だが、この自衛官二名は、機体の故障発覚時に機を捨てて脱出していれば死なずに済んだのに、そうすれば機体が民家上に墜落することになるため、死を覚悟して無人の河川敷まで操縦し続けた結果、殉職するに至っている。
この自衛官二人は、民間人を死傷させて自らは生き残るという恥辱にまみれるよりも、誇り高き死を選んだのだ。
この二人は英雄であり、教科書で教えるべき人間の精神の気高さを示す「武士」である。

たった一つの生命は人間誰しも惜しいものであり、家族を残して人生半ばで死にたい筈もない。おそらく彼らは墜落までの瞬間、私たちには想像もつかない苦悩と葛藤の時間を過ごしたことであろう。
しかし彼らはエゴイズムに生きるよりも、民間人の生命を守り、そして自らの名誉と自衛隊全軍の名誉を守るために、そのたった一つの生命を捨てたのだ。

この誇り高き精神は他のいかなる動物も有さない崇高なものであり、それ故に人類はこの星の覇者となれたのである。

人類の住み分けの単位は国家であり、地球市民だのといったフレーズは所詮は言葉遊びに過ぎない。
そしてその国家群の中で、この誇り高き精神性を重んじる国家だけがブロックを征し、やがては世界のリーダーたる資格を得るのだ。


しかし戦後日本人の多くはその誇りを「右翼的、軍国主義的」だと言って否定した。

もし日本がその誇り高き民族精神を今も維持しているのならば、民間人を守るために生命を捧げたこの自衛官二名の気高き誇りを国家の誇りとして共有し、国民葬をもってその志に応えたことであろう。

弱肉強食の戦火が絶え間ない世界の中で、
ひたすら反省謝罪して祖国を罵倒し、大金をバラまき続けて感謝もされず、
ひたすら「護憲」のアホダラ経を唱えながら「どうぞ平和を」とお祈りする国。
核ミサイルを向けられても防御する術もなく「一発目が落ちるのは仕方ない」と野党第一党が平然と言い放ち、
日本人拉致を知りながら二十年以上も黙殺し、
TVでニユースキャスターが「拉致されたのは日本が朝鮮人強制連行をきちんと償わないからだ」と宣う国。

果たしてこんな国に「誇りを持て、愛国心を持て、国を護れ」と政府は若者たちに説けるのであろうか。

国家が国民を守らない以上、国民も国家を守らない。「謝罪、反省、償い」の掛け声だけが世に踊る中で、光輝ある祖国近現代史を全て悪だと教えられた若者たちに「日本に誇りを持て」と言っても一体何に対して誇りを持てるであろうか。

国民全員が号泣した「あの八月十五日」、
その日から日本は占領憲法で打撃的防衛力と交戦権を捨て、
国旗国歌は「侵略のシンボル」、防衛力増強は「軍国主義化」、愛国心は「右翼的」、国家は「悪」、国家の近現代史も「悪」、日本はひたすら「悪の侵略国」、そう考えることが「平和的」だと信じ込まされてきた。

日本に核の照準を向ける近隣軍事大国から「反省が足りない、靖國へ行くな」と怒鳴りつけられ、戦勝国連合の遺物から今だに「敵国」だと条項に規定され、それでもひたすらに国民が汗して働き納めた血税をこの近隣軍事大国と戦勝国連合に献上し続けてきた。

なめられ馬鹿にされ主権を侵され内政に干渉され、さらに同胞を拉致され領土を侵され、いくら謝っても「謝罪が足りない」と言われて日の丸を公然と焼き捨てられてきた。

日本人のくせに「もっともっと反省と謝罪を」とわめき続ける異常な輩が国中に溢れ、恫喝する近隣軍事大国に媚びて友邦台湾を足蹴にし、国民固有の参政権を外国人にまで与えようとし、国家の主権も尊厳も国益も国民の利益さえも何もかも投げ打って、日本は中共と朝鮮に媚びて媚びて媚び続けてきたのだ。

かつてアジア、アフリカ、南米、世界中を植民地に収めて収奪と弾圧を数百年間も行ってきた欧米諸国が一度たりとも謝罪など行わない中で、日本だけがひたすら土下座外交を続けてきたが、いくら謝っても永久に「許しの日」は来ない。
日本を「許す」と言えば、日本から金を巻きあげる口実、日本を政治的にも軍事的にも弱体化させるカードがなくなってしまうからだ。

そもそも許しを乞うべきことを日本は何もしていない。

這いつくばって謝って謝って金を差し出し、国家の誇りを土足で踏みにじられ、小突かれ回され、馬鹿にされ続けた惨めな惨めな六十年間、それがこの「戦後体制」に他ならない。
この「戦後体制」をまだこれからも続けるつもりか。

バブルが崩壊し経済力まで急落し、年間三万人が生活苦で自殺する世相の中、屈辱と自虐と虚無が平成日本を覆い尽くしている。
次代を荷なう若者たちに、この国は日本人としての誇り、夢、ロマン、希望を何か与えてやったことがあるか。

かつて明治維新で開国した日本が飛びこんでいった「世界」は、
「キリスト教徒でなければ人間にあらず、白人でなければ人間にあらず」という価値感に基き、欧米白人諸国が非白人国を片っ端から支配下に置き、殺戮と略奪と弾圧を繰り広げている悪夢のような「世界」であった。

明治日本に与えられた選択肢は僅かに二つ、
一つは奴隷としての平和と生存を選ぶこと、
もう一つは武士道国家としてその「世界」に立ち向かうための富国強兵。

かくて白人の世界秩序を打破するため、日本は誇り高きサムライの国として歴史の光と影の中を疾駆した。

全てが正しかったわけではない、しかしそこには壮大なる夢と理想があり、民族のロマン、勇気と果敢な行動力が存在していた。かの時代の日本民族の勇気と誇りはもはや消滅したのであろうか。

否、明治に憧れ京都霊山護国神社の坂本龍馬の墓に参る若者たちは後を断たないのだ。彼らはこの日本に何を求めているのだろうか。
祖国日本が世界の歴史をダイナミックに揺り動かしていった「戦前」という時代。栄光もあれば挫折もあり、雄飛もあれば屈辱もあり、決して豊かではなかったものの民族の精神に熱き想いが躍動していた時代。
そんな時代がこの日本には確かにあった。

「反戦平和」という妄想と汚らわしい自虐史観、
それと引き換えに「誇りの記憶」を封殺され、
今なお卑屈と恥辱にのたうち回り続ける戦後日本こそが不幸な時代なのだ。

しかし自浄作用は始まった。いま日本は興亡の分岐点にある。

こんな国をつくってしまった私たちが、この国の未来を背負う若者たちに誇りと勇気を取り戻してやることができれば、私たちの子や孫たちは再びこの国を大いなる歴史の舞台に引き上げてくれることであろう。

「誇りの中に生き、誇りのために死ね」と説く武士道が、
そしてこの極東の小さなサムライの国が、百年前の日露戦争を出発点として全世界を変えるに至ったその歴史、その正しき再評価を広めることこそが、再び私たち日本民族に失われた誇りを取り戻すための唯一の道である。

勇気とロマンと自信に満ちた武士道の国、
そんな国をもう一度私たちの手で取り戻そうではないか。

 

 

外国人が見た日本。貧しいが高貴である。
 

安政元年11月4日(1854、12、23) 安政大地震

ペリー提督の記述

 

地震によって生じた災禍にも拘はらず、日本人の特性たる反撥力が表はれていた。その特性はよく彼等の精力を証するものであった。彼等は落胆せず、不幸に泣かず、男らしく仕事にとりかかり、意気阻喪することも殆どないやうであった

 『ペルリ提督日本遠征記』四 土屋喬雄・玉城肇訳 岩波文庫

 

 

1866年 横浜大火

 

日本人はいつに変わらぬ陽気さ暢気さを保っていた。不幸に襲われたことをいつまでも嘆いて時間を無駄にしたりしなかった。持ち物すべてを失ったにもかかわらずである。

日本人の性格中、異彩を放つのが、不幸や廃墟を前にして発揮される勇気と沈着である。

 『江戸幕末滞在記』 エドゥアルド・スエンソン


 

 

 

1876年 東京大火

 

日本人とは驚嘆すべき国民である!今日午後、火災があってから36時間たつかたたぬかに、はや現場ではせいぜい板小屋と称すべき程度のものではあるが、千戸以上の家屋が、まるで地から生えたように立ち並んでいる。

 『ベルツの日記』 エルブィン・フォン・ベルツ

 

 

大正12年9月1日(1923年) 関東大震災

 

地震の日の夜、私が東京と横浜の間を長時間歩いているとき、あるいは生存者たちが群れ集まった巨大な野営地で過ごした数日間、私は不平一つ聞かなかった。

廃墟の下に埋もれた犠牲者たちの声も「助けてくれ!こっちだ」というような差し迫った叫び声ではなかった。「お願いします」という慎ましい懇願の声だった。

 『朝日の中の黒い鳥』 ポール・クローデル

 


 

1943年秋 パリの夜会に招かれたおりのスピーチ


 

私がどうしても滅びてほしくない一つの民族がある。それは日本人だ。あれほど古い文明をそのままに今に伝えている民族は他にはない。日本の近代における発展、それは大変目覚ましいが、不思議ではない。日本は太古から文明を積み重ねてきたからこそ、明治に入り欧米の文化を急速に輸入しても発展できたのだ。どの民族もこれだけ急な発展をするだけの資質はない。しかし、日本にはその資質があるのだ。古くから文明を積み上げてきたからこそ資格がある。彼らは貧しい。しかし、高貴である。  ポール・クローデル(1868~1955)

 

ヨーロッパ人と異なり、彼等は悲嘆や不平、あるいは窮状を語っても、感情に走らない。(略)決して自分の苦労や不幸や悲嘆を口にしない。(略)彼等は常に強い勇気と明快な表情を示し、自らの苦労については一言も触れないが、あるいは何も感ぜず、少しも気にかけていないかのような態度で、ただ一言それに触れて、あとは一笑に附してしまうだけである。 

 『日本巡察記』 アレッサンドロ・ブァリニャーノ(1579年)




 

彼らは誇りが高く面目を重んずるので、名誉に関することで簡単に生命をすてることもいとわない。同様に、自分の保護と援助の下に身をおいている者のためには、無造作に、わが生命を賭ける。

彼らは死に臨んで決然とした態度を示して冷静な気持をあらわすのである。

   『日本教会史』 ジョアン・ロドリゲス(1500年代末)

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