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ナポレオンヒル 成功哲学をニートだめ男が試した結果…

元ニートだめ男が自己実現のために始めたブログ。ナポレオンヒルプログラムや成功哲学で実際に人生が変わるのか。実際に試したら人生が変わっていき誰かのためにと思いブログを再開。ニートから超ホワイト企業に就職。オナ猿からオナ禁1000日達成。超大食いから一日一食達成で数年→さらに超小食、不食目指し中。日本や世界に興味を持ってもらいたいので政治や時事がメインになっていますが日常も近々アップしていきます。ブログ内で紹介している商品リンクはAmazonや楽天のリンク先になっております。

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韓国人とうまく付き合う方法

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韓国人は日本人を、情がなくよそよそしく感じるという。 
日本人の親しき中にも礼義ありの、つかず離れずの関係が韓国人には理解できない。 
韓国の人間関係は、「ねっとりとした密着」か、「敵対するような疎遠か」のどちらかの態度しか許されない。 

韓国人の親友同士は、まるで我が家のように互いの家を足しげく往来するのが普通。 
韓国にとっての親友とは、どんな秘密も隠すことなくさらけ出し合い、 
「あなたの物は私のもの、私の物はあなたのもの」 
「親しき仲には礼儀なし」という距離のない関係を実際の行為で示し合い、 
激しく燃える熱い感情の行き交いをし合う間柄。 
日本人は親友といってもそこまではしないのが普通。 

韓国人は親しくなると、日本人が気にならない距離を埋めようする。 
例えばある韓国人女子留学生は次のように語った。 
日本に来て二年目ようやく友人になれそうな日本女性とめぐり合った。さらに親しくなりたかったので、自分に映る相手の性格を欠点まで含めて腹蔵なく思いつくままに話したという。すると相手は黙ってじっと聞き入り、反論もせずにただただうなずくばかりであったので、「そんなに私のこと考えていてくれたのね」という風情に見えた。彼女は喜ばれたと思いすっかり有頂天になった。 
「正直に話してよかった。これでもっと親しくなれる」と、彼女は確信したそうである。 
ところが翌朝、通学途中の電車で一緒になっても、その日本女性は彼女を見て見ぬふりをする。近寄ろうとすると顔さえそむける。 
日本人ならそうだろうなとわかる場面である。 
ところがこれは彼女にとって一大ショックであった。せっかく相手を自分がどう思っているのか、包み隠さず率直に、情をこめて話したのに、亀裂が広がってしまった。日本人は本当に人情のない、わけの分からない民族だ。と、こうなるわけである。 
日本人にとってこの行為は押し付けがましく無遠慮に見える。心の中までぐいぐいを入り込んでくる韓国人には正直うんざりする。 

また、韓国では相手に徹底的に迷惑をかけるということが、友人関係を保つ秘訣だ。 
教室で友人に消しゴムを借りるのに、いちいち尋ねてはいけない。 
また、友人どうしでは、約束時間ぴったりに約束場所に行くと、 
「時間に遅れるのを許さないほど情のない関係なの、あたしたちは?」とかえって怒られてしまう。 
韓国での夫婦は一心同体だ。 
日本人は親しき仲にも礼儀ありで、夫婦の間でも「ありがとう」や「ごめんね」を連発する。 
韓国人にはこれが水臭く見える。 
日本人と結婚した韓国人は、日本人パートナーの「互いのプライバシーを尊重しようとする態度」が、相手との距離を感じてしまうのだそうだ。 
韓国では夫婦が互いの持ち物を点検し合うのは当たり前で、夫あての手紙も妻が開封して読んでしまう。 
親戚、嫁姑関係も日本以上にベッタリだ。 
姑はマンションの鍵も持っていて細かいことにまで干渉してくる。こちらからも頻繁に家を訪ねなければならない。 
姑が昼寝をしようと自分の布団の中に入ってこいと言う。嫁姑で互いに身体を抱きしめあって一緒に寝るのが普通なのだそうだ。 
さらに、失職中の他の兄弟の生活費の面倒も見てやらなくてはならない。 
親戚中から早く男の子を産めと叱責される。義理の母から「男の子を産めない奴め!」と玄関に向かって唾をはかれることもある。 

韓国人友達との付き合いについて、このHPにこう書いてあった。 

ハングルを学び始めて2年目のTさんは、韓国人の友達ができたと言ってとても喜んでいた。しかし、何日かたった後、突然、満月のようにむくんだ顔で私の前に現れたのだ。 
びっくりした私は、顔を見るなり「何かあったんですか?」と訊ねた。 
Tさんは、ためらいがちに話し始めた。 
「先生、友達の紹介で1度しか会ったことのない韓国人の友達がうちに来て10日程泊まっていったんですが、私の物をまるで自分の物のように使うんです。腹が立ってほとんど 
眠れませんでした。」と泣きそうな顔になった。
 

ユンソナもテレビでこんな発言をしていた。 

ユンソナ「韓国では友人を自宅に招く時には、事前に高価なものはしまう」 
さんま「なんで??」 
ユンソナ「高価な物が目につくと、つい盗んでしまうから。友人に盗みをさせないように、片付けてあげる」 
さんま「それはユンソナ家だけじゃなくて?」 
ユンソナ「違う みんな、韓国の習慣」 
さんま「日本人にはわからん感覚やわ〜…」 


しかしこういうのが迷惑というのは日本的な発想なのである。彼らの側からいえば、本当に迷惑なら友人ではない、という論理になる。 
したがって真の友人にはいっさい遠慮しないことが愛情だ、となる。 
突然来訪するなどというのは最も良い愛情の示し方である。 
ある日突然、韓国の親友から電話が入る。いま東京に着いた、君もすぐ来い、案内せよと。当地から東京まで新幹線で六時間かかることを彼は考慮しない。知人や親戚を引き連れて団体で訪れるものもいる。当地はふぐが名産だそうだな、皆にふぐを食べさせてやってほしいと気軽にやって来るのである。 
韓国では互いの甘えだけが信頼なのだ。 
したがって、大勢知らないものを連れてやってくるなどというのは、先方がよほどこちらを信頼していなければできない。 
韓国人とつきあうのは彼らの極端な甘えを許さなければならない。その甘えの世界は際限がなく、受け入れられぬ場合の亀裂には底がないのだ。 


______________________ 

呉 善花の『 続・スカートの風 』にこんな記述がある。 

韓国人であればだいたい初めて会った日本人にはまず日帝時代のことを頭に浮かべ、機会をつかんでひとことでも国のために何かを言っておきたい気持ちを強く持っている。たとえば、韓国在住のある日本人ビジネスマンの奥さんが帰国してから私にこんな話をして憤慨したことがある。 
あちらで韓国製の自動車を買ったのだが、すぐに故障してしまった。彼女はとてもうまく韓国語が話せるので、自ら故障の状態を販売店に説明して直すように言ったのだが、いつまでたっても直そうとしない。そこでソウルの「消費者センター」へ相談に行った。その時、窓口の者にこう言われたという。 
「あなたは日本人か、ならばあなたにそんなことを言う資格は無い。日帝36年の支配で日本人は韓国人に対して悪い事をたくさんやってきたではないか、まずそのことを謝罪すべきであるのに、韓国人を非難するような言い方は許すことができない。」 
今にして思えば、私もこういう決まり文句をずいぶん口にしたものだった。 
韓国人にとっての日本人は常に自分たちに許しを乞うべき者であり、常に自分たちに対して下の方に位置することを忘れてはならない存在なのだ。そこで、「下にいるべき者が下にいること」を教えてやらなくてはという欲求が働き、機会をとらえては「日帝36年云々」が出てくることになるのだ。 
( 中略 ) 
このように韓国人が日本人に対して、過去だけを見ての強い被害者意識をあらわにするのは、なんといっても戦後から一貫して行なわれてきた反日政策のたまものである。 
もちろん戦争が終わった韓国で、それまで抑圧されていた反日の意識が熱く燃え盛ったのは当然といえば当然である。ただ、政府はこれを奨励するだけではなく、韓国人は反日でなければならないといった、上からの強固な政策をとり、そのまま変えることなく一貫させて来たのである。 
戦後の韓国にとって日本は悪以外の何者であってもならなかった。そこに少しでも善を主張しようとすれば誰もが非国民の烙印を押された。反共と並ぶ反日の旗印は、国民国家としてのまとまりにはこの上もなく効果を生み出すものであった。 
日本の新聞も雑誌も国内持ち込みが禁止され、ほとんど日本についての情報を知らされないまま、したがって客観化する手段をまったく与えられない状態の中で、一方的な教育・宣伝によって徹底した反日政策が何十年もの間続いたのである。そのことをどう評価するか無しに現在の韓国人の反日感情を額面通りに受け取ることはできない。 
最近はだいぶ緩んできたとはいっても、加藤登紀子さんが韓国で日本語で歌を歌ったために、政府筋から大きな抗議を受けるという事件があったことをご存知の方も多いだろう。 
( 中略 ) 
現在では「日本人から学ぶものは経済や技術以外には何もない」ということを口にする韓国人が多い。経済や技術のめ面では日本にコンプレックスを感じながらも、文化的な面では何ら教えてもらうことはないと、自信満々なのである。 
そこでは常に自分たちが文化的に上だと思っている。たとえぱ、高等学校の国史の教科書にこんな趣旨の記述がある。 
「豊臣秀吉の侵略軍を韓国が打ち破ったのは、人的にも資材(兵器など)の上か 
らも、韓国人がいかに日本人より頭脳的に優れていたかを物語っている。また、 
侵略によって韓国からたくさんの文物や人材を略奪していったことによって、 
東南アジアの後進国であった日本は、大きな発展を遂げることができたのであ 
る」。 
とにかく教科書のあちこちで、野蛮人日本対文化人韓国という比較が語られている。 
そこで日本に文化といえるものは無い、すべて中国と韓国から入ったものを単に整理したのにすぎない。文化を渡してあげた韓国に感謝すべきではないか──すぐにそういう言葉が口をついて出てくる。つい最近もそのままの決まり文句を言う韓国の大学教授と日本の作家とのぶつかり合いが、日本の雑誌で大きく取り上げられていた。 
日本が経済発展を遂げたのは朝鮮戦争のおかげであり、陶磁器の発展も豊臣秀吉の「朝鮮侵略」で多くの陶工を略奪していった結果であり、日本は韓国の良い文化をすべて取り上げていったとは、自らを省みようとはしない韓国人の決まり文句のひとつである。これが戦後の反日教育の結果、パターン化されていった言い方であることははっきりしている。 
現在の多くの韓国人には、経済発展が遅れた自らの側の原因、陶磁器の伝統を引き継いで発展させることができなかった自らの側の原因を探ろうといった姿勢は、全くといってよいほど見ることができない。そこでは現代韓国人にとっての日本は、憎むべき相手というよりは、自分の責任を棚上げにしておいて責任を他に転嫁する際の格好の対象となってしまっている。 
( 中略 ) 
先に、現代韓国人の反日感情は反日政策のたまものと言ったが、それが国民の隅々にまで浸透したところには、もちろん韓国人側にそうした政策を受け入れる素地があったからである。 
韓国人が日本人に過去のことを言うと、若い人などでは特に「過去は過去、今は今」と論点そのものを問題としないことが多い。そこには何が正しいかという以前に、日本人と韓国人の歴史に対する考え方の違いがあるように思う。韓国人にとっての歴史は昨日からの連続であり、日本人にとっての歴史は今作られているといったもの。両国民の間の歴史観には、どうもその中間が希薄なように感じられる。 
韓国では「先祖の代を息子に結ぶ」と言う。日本ではそれを「譲る」と表現する。韓国的な表現では、過去が先祖の血によって今日までストレートに結び付けられているのに対して、日本的な表現では過去と今日は断続するつながりとなっている。 
それに関連して、以下に私の知る韓国人の女子留学生と日本人留学生のケンカ話をご紹介しておきたい。なお、こうした類のケンカは小さいものから大きなものまで、日常茶飯事のごとく私の耳に入ってきている。そういうもののひとつの典型とお考えいただきたい。 
彼女たちは一緒のアパートの一階と二階に住んでいる。とても仲の良い友だちである。自然にお互いの国についての話をよくすることになるのだが、そうなるときまって話題は歴史問題へと移っていく。 
そして「日本人が悪い、あなた同じ日本人だから責任がある」ということが、しきりに韓国人の留学生から主張される日本人の学生はそれにずっと我慢してきたのだが、あまりにたびたびのことなので、ある日ついに怒りが爆発して大ゲンカとなってしまった。 
日本人の学生は「それは先祖たちが悪いことであって、私に何の責任があるのか」と言う。それに対して韓国人留学生は「先祖たちの過ちの責任は子孫には関係が無いというのは許せない」とますます怒りをつのらせてしまった。 
この攻撃を受けた日本人の学生は、「話のわかる唯一の韓国人」だということで私の所にやって来た。そして、「先祖たちがどのようなことをしたのかすらよく知らない私に、何の責任があるのか」と憤懣をぶちまけるのである。 
私は若い人からこうした言い方をよく聞かされるのだが、実はこの「よく知らない」ことがケンカをより大きなものにしている。 
教科書の比較でいえば、韓国の教科書が日本との歴史について多くのページを割いているのに対して、日本の教科書が韓国との歴史に対して割くページ数はごくわずかなものである。それは韓国の歴史が日本との関係なしでは語れない部分が多いからであり、日本の歴史を学ぶ場合には、韓国との関係をそれほど多く学ぶ必要がないからでもある。 
韓国の国史、特に近世史・近代史の教科書の内容は、その多くが日本との関係で埋められている。豊臣秀吉の「朝鮮侵略」から日帝36年間の植民地統治に至るまで、日本がいかに韓国に対して悪いことをしたかということが、克明に記されている。また、三国時代には、韓国がいかに日本に対してさまざまなことを教えてあげたかということが、詳しく展開されている。 
まるで「良き日本」に触れられることがないため、学校教育から受ける日本のイメージはとても悪いものとなっているのだが、一方では日本史のアウトラインがけっこう掴めるようになってもいる。それに対して日本の学校教育からは、韓国の歴史のアウトラインを掴むことはまずできない。そこで先に述べたようなケンカがエスカレートすることになってしまうのだ。 
日本には多くの韓国史・韓国文化の研究者がいるが、韓国にはまともな日本史・日本文化の研究者はごくわずかしかいない。しかし、韓国人は学校で日本については浅いながら広く教えられるので、日本のことをよく知っていると錯覚している。日本では韓国研究者の層は厚いものの、学校で教える韓国に関する知識はきわめて狭く浅い。そのため一般の日本人の韓国に対する知識はとても低いものとなっている。
こうしたところから、一般的には、韓国人が日本の歴史を知っているようには日本人は韓国の知らないということが起きてくる。そこで「日本が悪い」と言って具体的な指摘を行なう韓国人に対して、歴史的な事実をよく知らないため、具体的に応ずることが多くの日本人にはうまくできていない。 
当然に知っていなくてはならないことを知らない日本人は、やはり過去の反省などしていないに違いないと感じてしまうのである。これはかなり決定的なことである。 
私の知り合いの日本人のなかに、わずかだけれども「日帝36年の支配」について頑として個人的な謝罪をしようとはせず、しかも多くの韓国人たちと親密な関係を保っている人たちがいる。彼らは「日帝36年の支配」を持ち出されても、そんなことを言うなら話をしないと突っぱねるのではなく、逃げるのでもなく、ともかく話してゆくなかで特に親しい関係を生み出しているのである。 
彼らは日本についてはもちろんのこと、通常の韓国人以上に韓国の歴史上の知識に通じている。そこで彼らは、韓国人が「日本が悪い」と言って攻撃をしてきても、具体的に関連する韓国と日本の歴史について指摘しながら、問題を見事に客観化してしまうのである。 
私は彼らの中のひとりのビジネスマンと親しかったこともあって、その彼と仲の良い韓国人に「あなたはあの日本の友人にどんな印象を持っていますか?」 
と聞いてみたことがある。その韓国人は「わが友」と自慢する彼について、こんなふうに話してくれた。 
「あの人は韓国のことをとてもよく知っくれている人で、我々の側の人ですよ。私はあの人に畏敬の念を覚えてもいます」 
そして、その日本人いわく、 
「僕が韓国で仕事をすることになった時、毎日がケンカでしたね。もっとも議論をしたわけだけど、それはまるでケンカですよ。会ってみて相手がおかしなことを言い出したら、よし議論しようとやっちゃう。相手はまず乗ってきます。 
そうして議論するんですが、僕の体験ではみんながみんな実は日韓をめぐる歴史については、それほどよく知ってはいないんですね。議論しているうちにすぐそういうことが分かってきます。ですから、突っ込んでいくとどうしても相手は詰まってしまう。それからしだいに信用されていくんです。つまり、我々の国のことをこれほどよく知っている人だから、というわけです」 
彼の話は私にはとてもよく理解できる。 
文人(知識人)を尊ぶ伝統、 
相手が自分より上だと感じた時に(この場合は知識)下に付くことを良しとする倫理、 
身内のことを気にしてくれることに喜びを感じる心情、 
不退転の力強い態度に信頼感を持つ性格、 
ケンカするほど心をぶつけ合ったという生々しい手応えに感じ入る情緒
・・・。 
つまり、彼はとても韓国人的に接したことによって、韓国人に受け入れられた
のである。 
彼が歴史や文化の知識に深い造詣を持っているいるには違いないが、実際には日本語の韓国史の概説書を1冊読んでおけば、たいていの韓国人と話すには十分だという。残念ながらその通りだと言うしかない。なにしろ韓国の大学を卒業したとはいっても、私自身、日本人の書いた韓国史や韓国の文化についての本から、全く知らなかった歴史的事実をたくさん学んでいるのだから。
 
______________________ 

むふっ日本人は、自国のことを外国人に非難されても言い返さない。 
悲しくなってうつむくだけ。または対立を避けてかわそうとする。 
中にはニヤニヤ笑って同調する奴もいる。 
これが良くない。相手はますます日本人をバカにする。 
とくに朝鮮人は、儒教精神により目下に対してとことんイジメぬく習性があるので、日本人の卑屈な態度は彼らを尊大にする。 
また、朝鮮では反日教育により、「日本は韓国より道徳的に劣った存在」とされているので、「野蛮な小日本に何をやってもかまわない」「道徳的に劣った日本人には道徳を教えてやらなければならない」と常に考えている。 

韓国社会では、目上、目下の関係は社会秩序を維持する上で絶対的なものだ。 
日本以上に上下関係にこだわる。 
韓国の礼義正しいというのと、日本の礼義正しいというのは、かなり違う。 
たしかに韓国人は祖父母や父母や目上への礼、尊敬語の使い方などでは、日本人よりもきちんとしている。 
だが朝鮮半島人にとっての礼儀正しさといえば、すべからく家族や社会の下の者が上の者に対しての礼義正しさであり、日本人のように下の者にまで、上下を問わず礼義正しさを示すことはない。 
上位者が下位者に横柄な態度をとるのも、儒教社会では立派な礼義=秩序。 
だから目下に対しては礼を尽くさないということも起きてくる。 
弱い者には辛く当たり、強い者には媚びる。 
目上の者は目下の者に対して、へりくだった態度を見せてはいけないと考える。 
日本だと社長さんがトイレ掃除をしたりするが、韓国ではありえない。 
常に堂々として尊大な態度をとるのが良いことと考える。 
そうでなければ、上下関係が乱れてしまうから。 
儒教という長幼の序とはそういうこと。 
家族、社会、国家レベルでの上下の秩序が一貫して整然と守られていることが儒教社会の理想なのだ。 

ただし、韓国人は近い人にはとても道徳的で礼義正しいが、見知らぬ人には無礼に振る舞う場合がある。 
本質的に自分の宗族以外に、道徳も倫理もないので、非礼でいいと考えているのだ。 
ウリ(我々)共同体の外、つまりナム(他人)に対しては、礼義=秩序は成立しない。韓国人が道や電車で他人の足を踏んでも知らんふりをしているのは、他人はナムであるゆえ、礼義を成立させてはならないため。 

ではそんな彼らとどうすれば仲良くできるのか。 
韓国人とは心から激しくぶつかり合わないと真の親友にはなれない。 
だから喧嘩や対立を恐れずに徹底的に言い返せばよい。 
そしてこちらが「目上」であることを示せばよい。 


私は衝突を繰り返すような相手とは友だちを続けられない。 
だから典型的韓国人と友だちになりたいなんて思わない。疲れそうだ。 
彼らのつきあいはベタベタしすぎて気持ち悪い。 
日本人の中でも私はとくに人と適度に距離を置きたいタイプだし。 

個人同士でも「仲良くなる方法」「仲の良いの状態とは」「礼儀の定義」が、国によってこんなに違う。 
国対国の関係においても、日本人の想像する「対立せずにニコニコ平和に暮らすことが仲が良い」は不可能で、衝突・対立が当たり前だと考えなければならない。