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平和主義者が戦争を招く その3

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その2
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/33815039.html


大きな問題点はさらにもう一つある。 

元々自衛隊とは警察予備隊として発足したために、そのシステムは警察と同類で軍隊としてのものではない。 
そして自衛隊の制服組は、防衛庁の「内局」と呼ばれる背広組のコントロール下におかれている。
この内局の大半は他省庁から出向してきた官僚で、軍事や安保の知識は皆無である。防衛庁事務次官ポストは最近までずっと、大蔵省(財務省)からの出向官僚が就いていた。 
従って防衛庁に対しては大蔵省の権限が強く、例えば陸上自衛隊の定員は本来は十八万人なのに大蔵省が「予算定員」と称して十五万人分で予算を切ってしまうため、残り三万人を採用できない。 
これは名前が財務省に変わっても全く同じことで、国会が定めた日本の国防力を一省庁が独断で三万人も減らしているわけだ。 
そして詳しくは後述するが、この「内局」と呼ばれる出向官僚の多くが、自虐史観と反国防思想を持つマルキストなのである。 
現在、元防衛庁政務次官の箕輪登という男が極左グループと連携して自衛隊イラク派遣に反対し、「自衛隊派兵違憲訴訟」なるものの原告に名を連ねていることがその一例であろう。 
ともあれ自衛隊の指揮系統からこの「内局」をはずさないかぎり、いざ有事の際に自衛隊がまともに機能しないことは必至である。 
もし北朝鮮と交戦となれば、前述のように日本国内にいる数万人の工作員が破壊テロを決行し、市街戦となることは確実だが、いくらハイテク戦闘機やイージス艦を持っていても、市街戦・ゲリラ戦の訓練をしていなければ、国民の生命は守れない。 
しかも十二万数千名からなる北朝鮮特殊部隊が侵入してきた場合、それを防ぐには最低でも水際に三十~四十万人の軍隊が必要となる。 
韓国では一九九六年に、北の十四名の特殊部隊兵士を掃討するのに軍隊六万人が動員され完全掃討に二ヶ月も要している。 
実数でいえば僅か十四~十五万人という陸上自衛隊の人数は、国を守るにはあまりにも少なすぎるのだ。 
しかし自衛隊を増員しようにも市街地訓練を行おうにも、財務省が勝手に予算を切り、左翼政党や親中朝派政治家が猛反対して大騒ぎしてこれを抑えている。 

これら反自衛隊を唱える勢力がよく口にするのが「日本はスイスを見習って永世中立国になるべき」という毎度の主張だ。 
確かにスイスは第二次大戦でも中立を堅持したが、ヒトラーがスイスに手を出さなかったのにはそれなりの理由がある。 
スイスは六百九十四万人の人口だが、国民皆兵制を敷き、戦争が起こった場合は四十八時間以内に成人男性全員が指定の軍事施設に集合することになっている。 
さらに男性は全員が二十~四十二歳の間に民兵として兵役に就き、計三百日間訓練を受け、各自がそれぞれの家庭に戦闘用の銃器を保管するよう義務づけられてもいる。 
そして、いざ有事ともなれば陸軍五十六万五千人と空軍六万人、合計六十二万五千人を二日間でスイス全土に配備する体制のもとに、北海道の二分の一の国土(約四万一千平方キロ)を防衛しているのだ。 
それに対して日本の北海道には現在、約四万人の自衛官しかいない。 
もし日本が永世中立を掲げてスイス並みの防衛体制を構築するならば、北海道だけでも百二十万人の自衛官が必要となる。 
日本全土となれば、スイス同様に成人男性全員が皆兵となってようやく足りるかといったところである。 
スイスが国是とする「永世中立」とは、これだけの国防意識と国防体制、危機管理能力に基いてのものであり、日本の左翼陣営が主張する「非武装中立」などといった妄想とは根本から違っているのだ。 
国防努力を放棄した危機管理能力ゼロの「中立」が永続する筈もなく、逆に周辺敵性国の攻撃誘因となる 
「中立」を国是とするということは、通常以上の強大な軍事力保持がその絶対条件となるのである。
 

スイスのこのような実状が段々と知られ始めると、今度は朝日新聞は論説で「コスタリカを見習え」と主張し、左翼陣営は『コスタリカ・軍隊を廃止した国』というドキュメンタリーの上映会を各地で展開し、近年は何かにつけて「コスタリカ、コスタリカ」大騒ぎしている。 
しかしこのコスタリカという国は、軍部による内戦やクーデターが頻繁に起こった為に政権転覆を防止するために軍隊を廃止したのであって、地政学的にも周辺国の利害や紛争とは無縁だからそれが可能だったのである。 
世界地図があったら手元に広げてみてほしいのだが、北米と南米の間の陸廊部にある小さな小さな国であるコスタリカの人口は僅か三百七十万人、GNPは日本の四百五十万分の一、コスタリカを仮想敵国視する国も一切存在していない。 
それに対して日本は人口一億三千万人の世界第二位の経済大国であり、中共・北朝鮮・ロシアからは仮想敵国とされていて実際に対日戦の準備は常時スタンバイされており、核ミサイルの照準まで向けられ、地政学上も非常に厄介な位置にある。 
この日本とコスタリカを比較すること自体がメチャクチヤもいいところなのだ。つまり味噌と糞を比べて論じているということだ。 

軍隊を持たない国ということであれば、北極圏下の人口三十万人の島国アイスランドを引き合いに出しても良さそうなものだが、左翼も朝日も決して「アイスランドを見習え」とは言わない。 
それはアイスランドは「北極の小さな島を侵略する国はないだろう」と呑気に構えていたら第二次大戦中に英国に占領されてしまい、その教訓から戦後は米国と防衛協定を結んで国内に米軍基地を設けさせているからである。 
従って反米で米軍基地にも日米安保にも反対している左翼は、アイスランドは見て見ない振りをして「コスタリカ、コスタリカ……」と叫び続けているのである。
 
  
さて現在の日本を取り巻くこの現状は、軍隊をなくすどころか大幅に増員しなければならない必然性を強く示唆している。 
戦後このかた、まさに現在ほど至急に高度国防国家への転換を求められる状況は存在しなかったぐらいだ。 
そしてこれは重要な点なのだが、戦闘訓練を受けていない民間人がある日突然に兵となってもマトモに戦えず、戦死率は圧倒的に高くなる。 
つまり戦争を仕掛けられたときに、多くの民間人が戦死しなくてもよいためには、プロの職業軍人を多く確保しておく以外の方途は一切ない。 
一千万人からの公務員を国民に寄生させておくよりも、それらを大々的にリストラして代わりに自衛隊員を増やすことのほうが余程国民への思いやりというものである。 
約二千三百万人の人口の台湾では、陸軍二十四万人、空軍・海兵隊十三万人強、予備兵力百六十六万人を擁している。 
また人口約四千八百万人の韓国では、陸軍五十六万人、海兵隊二万八千人、空軍他が九万人、予備兵力は四百五十万人を擁している。 
国を守るためには、これだけのプロ軍人は最低でも必要なのだ。 
2300万人の人口で陸軍100万人と予備兵力745万人を擁する異常な北朝鮮はともかくとしても、日本人一億3千万人の生命を守るべき自衛隊が予備兵力5万人を含めて総兵力29万人では、とても足りないどころか存在しないも同然である。 
韓国の人口は日本のおよそ三分の一であることから、日本は最低でも150万人の自衛官が必要であり、四方八方を海に囲まれている地政的に鑑みると本来は200万人(予備兵力を含む)は必要なのだ。 
しかし日本の現状はその七分の一以下である。自衛隊を増員増強するということは、国防をより確実にするのみならず、一般民間人が市街戦に駆り出されて死亡するという悲劇を回避するために不可欠であり、左翼や親中派政治家の言のごとく自衛隊を減らし防衛費を削減するということは、それだけ民間人が多く死ぬということに他ならない。 
平成十六年度末までに日本政府が策定する「防衛計画大網」の骨子が公表されたが、なんと陸上自衛隊の主力装備が3割削減され、「基盤的防衛力」から国連POKなどの「国際平和協力」へ自衛隊の主業務を転換するという主旨が示されている。 
これはとんでもない愚かな話である。 
私は自衛隊の海外派兵自体には大賛成であり、それも出来るだけ国連PKO以外の日本独白の主権的判断での派兵展開を進めることが、「平和真理教」を盲信するカルト国家日本の洗脳を解くカギだと考えている。 
しかし中共・北朝鮮という敵国が日本にミサイルの照準を向け対日戦を想定した軍事演習を繰り返しているのに、「基盤的防衛力」を後回しにして陸自装備を削減するとは、まるで武装強盗団に対して「うちの家の鍵をこじあけやすいものに変えました」と言いに行くようなものである。 
何故こんな馬鹿な案になったかと言うと、現在の自衛隊員数では「基盤的防衛」「国際平和協力」も両方やるのには人員も予算も足りないからだ。 
だから自国の防衛に充てるべき人員を海外派遣に回すしかないのだ。要は自衛隊を大幅増員して予算を拡大すれば解決することなのだが、左派マスコミや公明党の反対を怖れてそれも言い出せない、実に愚かにして臆病だとしか言い様がない。 
中共へのODAだとか男女共同参両予算だとかの死に金を全て廃止して全額国防費に回し、自衛隊を大幅に増員すれば「基盤的防衛」も「国際平和協力」も両方可能なのだ。 
防衛庁の即時の省昇格は言うまでもなく、自衛隊百五十万人体制が私の持論だが、とりあえず五十万人でも構わない。海外における自衛隊の活動が求められる国際情勢に対応しつつも国防力を維持するためには、至急の大幅増員が不可欠である。 
こと国防というものについては、何かを行う代わりに何かが犠牲になるといったことは決してやってはならないのだ。 
国民の生命と財産を護る至高の義務を負う以上、為政者は左翼の妄想的な批判に迎合せずに現実の情勢を、そのリアリズムを国民に説き、正式な国軍化と大幅増員が必要な理由を国民に理解してもらうべく務めなければならない。 
そして万一その言葉を国民の多数が理解できないようならば、そんな国はいずれ滅びるしかないのだ。 
憲法第九条という精神的奴隷法の下に封印された日本人の誇りと勇気を、もう一度この国に取り戻すことこそ、国防再生の第一歩である。
 

前述のスイスでは、全国民に対して「軍人操典」「民間防衛」という二冊のマニュアルが支給されている。二冊ともそれぞれ三百ページを超える大冊であり、軍事知識・戦闘法・国際戦争法規・危機管理方法・国防精神を徹底的に国民に理解させている。 
日本が緊急に求められている国家のあり方と国民の至高の義務、その目指すべき理念がこのマニュアルには存在している。 
その「民間防衛」マニュアルの中の一部を以下に引用したい。 
「我が国の安全保障は、我々軍民の国防努力いかんによって左右される。(小略)我々が個人的に、集団的に、今日決意したことによって明日が左右されるのである。 
親たちが我々のことを心配してくれたように、我々も子供たちのことを考えよう。 
自由と独立は、我々の財産のなかで最も尊いものである。自由と独立は、断じて与えられるものではない。自由と独立は、断えず守らねばならない権利であり、言葉や抗議だけでは決して守り得ないものである。手に武器を持って要求して、初めて得られるものである」
スイス政府発行「民間防衛」)。 

かつて日本敗戦の二年前、昭和十八年十月二十一目の雨に煙る明治神宮外苑、学生服に制帽をかぶり小銃を肩にかけた七万人の学生たちが「守るんだ、俺たちがこの国を守るんだ」と心で叫びつつ、死を決意した壮厳にして悲壮なる行進を続けた。 
かの学徒出陣壮行である。そして敗戦の日までに総数三十万人の学生たちが戦地へ赴き、この国の誇りと「未来」を守らんが為にその多くが戦場の露と消えていった。そこには次代の日本人が決して忘れてはならない美しい至純の心があった。 
あれから六十年、平成の街に溢れる若者たちの多くは、自分だちと同年代の男たちが心で敗戦を知りつつも祖国のために死地へと出陣したことを知りもせず、また教育もそれを教えてはいない。 
妄想平和主義と自虐史観によって断ち切られた「戦前戦中の若者」と「戦後の若者」の精神、この不幸なる歴史の断絶が「侵略されたら降伏する」という八十五%の青少年たちを生み出した。 
成人の十倍の比率で犯罪に明け暮れる少年たち、そして五割が売春を肯定する少女たち。 
首相の靖國参拝に違憲判決を下し、自衛隊員を「人殺し」呼ばわりする国。 
自国を「侵略国」と呼んで中共に卑屈に媚び、国防を年間五千億円の金でアメリカから買う国。 
あの学徒出陣した若者たちの「俺たちは日本をこんな国にするために死んだんじゃない、誇り高き日本を次代へ遺すために俺たちは生命を捧げたんだ」という悲痛な叫びが、私の耳にはいつも暗紅響いている。 
その声はあまりにも切なく、そして哀しい。 
「身をすてて いさををたてし 人の名は くにのほまれと ともにのこさむ」。 
この明治天皇の御製の精神を、日本人が機れた自虐史観によって今後も封印し続けるならば、この国を待ち受ける未来は中共の一自治区となるかアメリカの一州となるか、そのいずれかしかない。 
日本における国防精神の原点は全て靖國神社に帰結する。取り戻すべき大切なものはそこにある。 

以上の1~3はhttp://ochimusya.at.webry.info/201108/article_1.htmlより転載しました。

2004年の記事です。