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ナポレオンヒルを読んだ だめ男の日記

だめ男がナポレオンヒルの成功哲学を読みました。成長過程。ニート数年→ホワイト企業に就職。超オナ猿→オナ禁完全習慣化500日以上。大食い→一日一食。もっと減らせるけど周りが許さない。これからの目標。書籍化。不食。運動器具の商品化。信頼することも大事だけど信頼される人になるように自分を成長させていこう。辛いことがあっても環境のせい、誰かのせいにせず、試練と考え自分を成長させていくように。辛いに線が一本入れば幸せに。困難が有っても発想を変え乗り越えれば有難うに。その精神を基礎に自分を磨き感謝の日々を忘れないよう

国を失う悲哀がわかる話「通化事件」

平和主義者が平和を壊す

「目から涙」集団自決を語る 
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3011035

終戦後、満洲や朝鮮にいた日本人居留民の引揚者が、無事に日本へ帰ることは簡単ではなかった。銀行も会社も閉鎖、現金も収入もなくなり、病気や栄養失調で死んでいった。また治安も悪化し無法地帯となり、他民族からの暴行・略奪・強姦に遭い、身ぐるみ剥がされほうほうの態で引き揚げてきた。 

 


38度線を越える時には、全身泥だらけ、糞だらけ。 

(ソ連に占領された地域とアメリカに占領された地域ではずいぶん待遇が違った) 

通化事件というのは、中共軍の日本人に対する虐殺事件のことをいう。 

通化にて日本人は、居留民会を作り息をひそめて引き揚げの日を待っていた。この避難民に対し支那共産党は略奪強姦の限りを尽くした。我慢の限界を超えた日本人が、武器も持たずに一斉蜂起(2月3日)すると、彼らはこれを鎮圧した。そして蜂起とは何の関係もなかった日本人を含め、約4千人の日本人を、零下30度の極寒の中で、殺害し、監禁、虐待した。監獄の中は満員電車のようにぎゅうぎゅうずめで何日も立ちっぱなし。 


真冬で凍傷、餓死、青竹を鞭にし尋問&虐待、死体放置された。 

この事件について自虐的な日本人はこう言います。 


「中共は日本人に対する寛大な措置をしていた。愚かな軍人が無謀な反乱計画を立て民間人を巻き添えにした。」と悔やんだり、 
「日本が侵略し恨みをかったせいだ。自業自得だ。中国人の恨みを考えると仕方ない。内戦相手の国民党と手を結んだ日本人に対する報復だ」 


「日本が悪いことをしたからこういう目に遭うんだ。だから日本は二度と侵略をしてはいけない」という歴史観になったりする。 


だが言うまでもなく日本人居留もその保護のための軍の駐在もすべて合法的に行われていた。 


サヨクはよく米軍基地が日本にあるのはけしからんと言うが、それを理由にアメリカ人兵士やその家族を惨殺したとしたら、どのような事態に発展するだろうか。 


アメリカ人が「僕たち米軍が日本にいたのが悪かったのだ。皆殺しになっても仕方ない。まずは米軍基地を作ったことを反省しなければ」などと言うはずがないのである。 



藤田実彦は通化事件の首謀者で、中共に対して反乱した軍人とされている。 


だが実際には反乱には関わっていない。他の日本人に象徴として利用されただけ。一般日本人は「藤田が首謀し林航空隊が援護するから大丈夫」と言い反乱に参加することを周囲に勧めた。 

藤田は「止めさせなければ」と言ってた。関東軍には武器がなかったので戦えるわけがないのを藤田は知っていた。しかし藤田に反乱を止める力がなかった。 


このように「暴走した軍人によって民間人が巻き込まれた」と伝えられている戦争が、実は
「軍人が止めたのに民間が戦争を煽った」というケースは他にもある。

 

時勢が、そうせざるを得なかった。本当に平和を守りたいなら我々はこういうカラクリにも目を向ける必要がある。とくに日本は「空気」がその場を支配しているのだから。 


中国民衆にとっては日本軍も匪賊の一つであった。 


藤田は言った「日本軍は侵略しにきたのではない。日本軍が来て、中国民衆の生命財産を脅かしていた匪族がいなくなった。今後もわれわれと中国民衆との共同の敵である匪賊を日本軍がやっつけるのです。日本軍を信じ、彼らの状況を報告して下さい…」 


日本人は中国民衆を日本人と同等の人格として扱った。診療所を作り民衆との信頼関係を作った。日本に引き揚げる時は泣く者もいた。「私達の生命の恩人が私たちを残して日本へ帰る。私たちの生命は、これから誰に預けたらいいのですか」 


このように藤田は通化で人気があり信頼されていた。 


終戦後、通化は共産党(人民解放軍、八路軍)と国民党(国府軍)の内戦が続いた。 


日本人は敗戦国民として略奪強姦暴行されていた。 


ところが藤田は皆の前で「日本復興のために解放軍と協力しなければならない。また治安が守られているのは解放軍のおかげ」と語った。藤田は自発的に八路軍を訪れ友好的に交渉していたのである。八路軍は藤田を自分達の陣営にあると判断した。 


中共に不満があった一般の日本人はその様子に失望した。しかし藤田は通化にて人望が厚かった。だから藤田の意向を無視して彼を反乱のシンボルにした。その後ろから国民党は日本人をけしかけて反乱をさせようとした。しかもなんと、国民党と日本人が手を組むように背後から中共が工作していた! 



藤田は反乱の計画を知って「反乱は失敗に終わる」と確信したが、本人のあずかり知らぬところで周りが勝手に担いでシンボルにしてしまった。 


そして反乱は失敗。関係の無い民間人も投獄。8畳間に100人が詰め込まれ5日間放置される。凄まじい拷問、強姦、凄惨な殺戮…。 



また、「ソ連軍、八路軍、国民党のせめぎ合いの狭間にいた通化では、誰もが疑心暗鬼になっていた。殺さなければ殺されるので、生きるために中国人も必死だったのだ」と中国側を擁護する人もいる。 


まるで日本人が殺されるのは仕方なかったと言わんばかりだ。 


事実は全く異なる! 


八路軍は、通化にいた日本人を残滅したかった。言いなりにならない人間はとくに。 


日本の航空隊員を中国空軍創設に活用したかった。医者や技術者を中共のために利用したかった。捕虜は生かして使うのが毛沢東の捕虜政策である。 



しかし捕虜を自国の軍に使うことは、国際法に違反する行為。中国人が無辜の日本人から財産を奪い虐殺するとのちに歴史の悪者にされる。 


だから、口実を作るために、まず日本側に事件を起こさせることにしたのだ。 


「敵に先に撃たせて口実を作る」まるでパールハーバーと同じ。 これは今も変わらない。


反乱を計画し煽ったのは日本人共産党員だ。

 

この事件の際、支那共産党に媚を売り、日本人の密告や財産の強奪の手引きをしていた日本人の共産党工作員がいた。 




彼は前田光繁といい、しかも帰国後、事件への関与を否定し、歴史的事実とし定着させるような工作をしている。のちに日中友好協会の理事を務め、いまも存命だ。 



著作や講演の発言に後悔や反省の言葉はない。彼は今でも「日本が加害者で悪、中国が被害者で善」と捉えているし、愛する中国のためなら多少の犠牲はしょうがないと考えていた。自分では「悪い日本を止めようとした解放の戦士」であり「日中友好に貢献した英雄」なのだ。 




日本人にしてみれば、こいつは祖国と日本人を裏切り、多くの人間を不幸にした張本人だ。なぜ売国奴の癖に罪の意識も感じずのうのうと長生きしているのか? 



それは洗脳のせいなのだ。 


前田はもともと民間人だったが拉致され共産党対日工作者によって何ヶ月か改造学習させられ、「中国のために死んでもよい」と思うように至った。 


今度は、自らが日本人を洗脳する側になった。 


侵略行為を反省させ、中国に積極的に協力させるようにするため洗脳する工作員となったのだ。 


通化での成功は、撫順で生かされた。 



「日本人の手によって日本人を改造させる手法」は、撫順から始まり、マスコミ、法曹界、教育界と伝播していき受け継がれ、今もなお壮大な仕掛けとして自発的に機能しているのだ。※つまりお花畑状態のこと


このような大胆で大掛かりな決定と実行は他に類を見ない。 



何を次の世代に伝えていくのが大事かって? 


そりゃ「国を失うことの恐ろしさ」と「他国の工作の巧みさ」でしょう! 


「戦争の恐ろしさ」だけでは浅過ぎる! 



捕虜もまた、いつどの国の捕虜になるかで、扱いが全然違った。 


国際法通りに捕虜の人権を守ろうと努力した国もあれば、はなっから無視した例もあった。 


とくにユーゴスラビアは酷く、ドイツ兵を大量に拷問死させた。 

ユーゴは、自国民を虐殺した罪をドイツ兵になすり付けるために、ドイツ兵にウソの自白をさせた。 

自国民虐殺を隠蔽すると同時に、ドイツへ賠償金をせびるためだ。 

なんと汚いことをするのだろう…。

勝者チトーは敵ドイツに対するパルチザンの勝利を全国民に宣伝するため、何万という捕虜を何百キロも行進させた。


 

「道端には、てぐすね引いて待ち構えている十代の若者やパルチザンがいました。武器を持った一人ないし二人が駆け寄って、あちこちのドイツ兵を捕まえ、略奪するのです。時計、指輪、眼鏡、靴、軍服、背嚢。一隊に腐臭が付きまとっていました。 


 監視兵は捕虜に水を与えなかった。列を離れて水を乞うドイツ兵は射殺された。捕虜の中に大勢の女性がいた、国防軍補助員や赤十字の看護婦が捕虜同様に歩かされ、兵士や女性補助員が噴水から水を汲んでこようとするとドナウ川に放り込まれ、監視兵によって休憩中女性は強姦された。




 

 倒れようとした者は医師や衛星兵、兵士も大勢が射殺され、死の恐怖から解放され、四日ごと四〇名につき僅かパン一個しか与えず、脱落者を射殺。 

 償いの行進の中には、クルシュコからナーツシェまで九〇〇キロを超した例もあった。行進期間は十二日間。略奪に遭い、飢えに苦しむ捕虜の日課は、一日に八十キロ以上の歩行で十四時間日出から日没までだった。 


 西ドイツ政府捕虜史委員会の判断では、ユーゴスラビアは国際法に対する重大な侵害を犯した。」 


ドイツのロシア人捕虜収容所の地獄絵図も酷い。

 

狭い収容所で糞だらけの床の上に皆びっしり立ったまま餓死を待ち、死体はほっておかれた。 


ロシアのドイツ人捕虜収容所もまた酷い環境だった。 


極寒の地で泥だらけ、シラミだらけ、強制労働や、飢餓や病気に苦しめられた。



非武装平和主義とはつまりこういった側に我々が追い込まれるのが正しいという教えなのである。



繰り返し言ってるが日本の平和主義は自滅主義、国民見殺し主義以外の何者でもない。



非暴力で平和が訪れるとガンジーを例に出して言う人がいる。しかし、軍事力が足りないせいで国を失い、命を失った例は数えきれないほどある。




思いやりや調和は大事だ。しかし、それを重視して破壊を呼んでしまっては意味がない。



大事な人を守れる強い男でいよう。それと同じで国民を守れることは何も悪いことではない。備えあれば憂いなし。



しかし、私の説得に
誰一人耳を貸さない。



日本人にとって危機とは目の前に来て初めて実感できるものであり、警戒や用心は悪口にしか聞こえないのである。



信頼が大事ですよ。話せばわかります。たったの二言で全てが吹き飛んでしまう。この言葉に対抗するすべはない。



結果的に、敵が潤い味方が苦しむ世界になってしまうが、それが正しいと思っているのが現在の日本なのである。






 

 

 

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