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メモ用 ベトナム派兵記念館

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http://blog.livedoor.jp/abechan_matome/archives/37651154.html

韓国人はベトナム戦争での大罪を反省しないばかりか

韓国軍を美化しており、

韓国にはベトナム人虐殺を体験できるテーマパークが存在します。
 
2008年に韓国では、

江原華川郡看東面五音里にあった当時のベトナム派兵将兵訓練場が復元され、

ベトナム派兵記念館」が開館しました。


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中断は、「火炎放射器ベトナム人を焼く再現」
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ベトナム人の耳を斬って作ったと言われる首飾りをする韓国兵 につづく

 


ベトナム戦争での韓国軍の残虐行為の様子を、
ベトナム人の生存者が書き残しています。
 

 
韓国軍の掃討作戦は、一次的にじゅうたん爆撃等で作戦地域を公開して、地上軍が現場に投入されて村に残っている住民たちを即決処分した後、家を燃やしてブルドーザー等で村全体を押し潰す方式で展開した。
 
生存者の証言で共通な点は、無差別機関銃乱射、大量殺戮、妊産婦、女性に対する強姦殺害、家屋への放火などだ。
 
「女性と老人、子供たちを一ケ所に集めた後、機関銃を乱射して抹殺する」
「住民たちを家と一緒に、死亡者も生存者も全部燃やす」
「子供の頭を割ったり首をはね、脚を切ったり四肢を切断して火にほうり込む」
「女性を強姦した後に殺害して、妊産婦の腹を胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す」
「住民たちを村のトンネルに追い詰めて、毒ガスを浴びせて窒息死させた」
「子供たちの口にキャンディーが含まされ、老人たちの口にはタバコが咥えられていた。村人を安心させながら、一ケ所に集めて虐殺する手段だった」



韓国軍の軍人は、
ベトナムの民間人を皆殺しにすることに、ビールを賭け、 
こんなことは数えきれないくらいあったという事実を明かしています。



 
(韓国軍)キム・イルランさんの場合 

●「猛虎部隊」の分隊長として 

「寝て起きたら戦闘、そしてまた戦闘。その繰り返しです。すると、戦場で人を殺すことまでが、ストレス発散方法になりました。誰がいちばん早く人を撃ち殺すかで、ビールを賭けました。人の命で賭けをしていたのです……」 

さらに戦場での記憶をたどって、彼は告白するように話し続けた。 
「六六年九月から三カ月間、私はベトナム中部のフーカットというところで、『猛虎六号作戦』を行なっていました。ある村に二〇人ぐらいのベトコンがいるという情報を得たので行ってみたんです。それまでの戦闘で戦友がたくさん戦死したり負傷したりしていましたから、そのとき私たちは完全に頭に血が昇って狂ったようになっていました。村ではベトコンを探し出すのが難しくて、私たちは見せしめのために村長の娘を木に吊るして腹を切ったんです。それでも、村長は何も言わなかったので、二番目の娘も同じようにして殺したんです。そして、三番目の娘を吊るしたら、とうとう村長が口を開きました。こうやってベトコンを全部探し出して、村長も含めてそこにいた人たちを皆殺しにしました。こんなことは数えきれないくらいありました。私たちは人間ではなかったんです……」 
ベトナム戦争に参戦した韓国軍元兵士たち 抜粋
http://www.asiawave.co.jp/KyonSukkyon1.htm

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ベトナム人の耳を斬って作ったと言われる首飾りをする韓国兵


ベトナム戦争当時(1965~73年)、

韓国軍兵士や軍属の韓国民間人はベトナムで、

強姦・非管理売春・現地妻の保有などをしていました。
 
 
韓国人とベトナム人女性との間には、

ライタイハン」と呼ばれる数万人の混血児が生まれています。

 
第二次世界大戦後、我々はフランスとの戦争を含めて合計三十年間にわたって侵略者と戦ってきた。そのため国土は破壊され、経済成長は遅れてしまった。その中で特に残虐で野蛮なのは韓国軍であった。村を丸ごと焼き払い、死者の耳までそいでいった。アメリカの捕虜になった方が待遇が良かった。韓国の捕虜になったら殺されるのである。韓国兵はベトナム人を蔑み、人前で平気でビンタをとる。ベトナム人には美人が多いので、女は皆、慰安婦にさせられた。韓国との混血児は名乗りでないので、はっきりとした数は判らないが、一万人以上はいるはずだ」 
ベトナム戦争時における南朝鮮兵の暴虐 抜粋

そして、ライタイハンが戦後放置された問題も、
韓国は否認することができない歴史的事実です。
  
韓国人との混血児を産んだベトナム人女性は、
韓国政府から何ら謝罪も賠償も受けていません。
 
ベトナム戦争当時の韓国軍総司令官、蔡命新は
 
「あれは戦争だった。誰に対しても償う必要はない」

と公式的な発言をしました。
 
 
韓国政府は、米国から10億ドルの戦費を受け取っていながら、
 
ベトナムへは援助としてわずか500万ドルしか支払っていませんでした。
 
しかも、これは賠償金ではありません。
 

米国からのベトナム特需の総額は10億ドル(当時3600億円)をはるかに上回り、

朝鮮戦争の日本における朝鮮特需以上の利益を韓国にもたらしたのです。

 
韓国とベトナム戦争(3) 

「これまでの通説では、アメリカの要請に応じて朴大統領は派兵を決意したことになっている。ところが、近年アメリカの研究者などのあいだでは、逆に韓国側から派兵を持ちかけたとする異論が出され、こちらの方が説得力を持ちつつあるのだ。いずれにせよ、アメリカは派遣されたすべての韓国兵に戦闘手当てを支払い、その大半は右から左に韓国本国へ送金された。これらを含む、アメリカからのベトナム特需の総額は十億ドル(当時で三千六百億円)をはるかに上回り、実質的には朝鮮戦争時の日本における朝鮮特需以上の利益を韓国にもたらしたのである」 
野村進「コリアン世界の旅」第六章「サイゴンに帰ってきた韓国兵たち」引用
 
1998年、金大中大統領がベトナムを訪れた際、

ベトナム戦争への韓国参戦について「遺憾だ」と言及しましたが、

韓国政府は直後に撤回しました。


 ソース: 
http://blogs.yahoo.co.jp/atcazia/folder/20043.html