悪を見て放置するは、悪をしていると等しい
これブログキーワードに入っていたやつです。
誰ですかこんな素晴らしいキーワードを入れてくれた人は。
本当に感謝です。
俺はこのキーワードで記事を書いたことがない。
でも、実はこの内容の文章も既に書いてあります。
ここでは簡単に書きます。
なぜ、悪を放置するのが悪に等しいのか。
これは許すという行為から見ないといけない。
愛する人がレイプされたとします。
愛する旦那が何の理由もなく血だらけになるまで殴られ障害が残ったとします。
許すという行為は、最善の、最良の、素晴らしき愛の行為だと思われている。
しかし、違う。これは一歩間違えれば悪に等しい行為となる。
許すというのは
痛みを受けた側が許すことが本当の許しだ。
そして、悪なる行為をした側が「反省」をした時に許すのが本当の許しだ。
殺す気満々の人を許したら、彼は殺意をその内に秘めたまま世に放たれる。
許すことで反省の機会が壊れる。
許すことで殺意を「取り締まる」「罰する」気持ちがなくなる。
何かあったら犠牲になるのは罪なき一般人になる。
許す行為はそれらの犠牲を軽視してしまい、結果として破壊が広がる。
それと、
事件には全く無関係の人が
彼は辛い環境にいたのだから、このようなことをしても仕方ありません。許しましょう。
とか
彼は善悪の判断がつかない状態だったので許しましょう。
と 言ったとする。
これを聞いた人は聖人のセリフだと思う人もいるかもしれない。でも、俺の印象は真逆。これほど恐ろしいセリフはない。
実際に痛みを受けてない人が勝手に許すのは被害者の視点が全く無視されている。
被害者が許していないのに勝手に許してしまうことは
加害者を救い、被害者を蚊帳の外においやり、被害者に鞭打つ結果になっている。
自分の大事な人が犯罪に巻き込まれたら許せるか。
どんな人でも簡単に許せるわけがない。
その後の人生全てを絶望の中で過ごしかねないほどの痛みは許せなくて当たり前なのだ。
それを第三者が勝手に許せるというのは
被害者の心の痛みを「無意識に」軽視しているからに他ならない。
しかし、この仕組みを見て気付いた人もいると思うが、これは今現在、世界中で行われてる仕組みだ。
被害者が許すのではなく、周りが勝手に許してしまう。
結果として
加害者の人権が異常に擁護されて被害者の人権が軽視され、治安が乱れる世の中になってしまう。
つまり、安易に許すということは、悪そのものと、悪を擁護している偽善者しか得をしない仕組みにたどり着く。
今の人権擁護派の人は主に悪の側を世の中の被害者だとして擁護する。
被害者には何の手当てもなく、加害者が擁護される今の世の中は、綺麗な言葉に隠れた破壊の仕組みが沢山隠れている。
それに気付かない人類は、悪を守ることを平和を守ることだと勘違いして、自らの手でこの世に混沌を呼び続けていくのだ。
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俺なりの平和理論が本一冊分出来たのですが、本になりませんか?と声をかける場所を見つけるのも一苦労で、努力のしようが無い。漫画の投稿のようにバンバン見てもらうことも出来ない。
他の一例
慈善の仕方を間違えると破壊を呼ぶ。クリック。
男女平等を追い求める国は崩壊する。 クリック。
出版社の方見てたら声かけてください。泣いて喜びます。メールはこちらから送れますのでよろしくお願いします。
と書いても虚しく響く俺の願い。
(iДi)
http://msg.ameba.jp/pub/send/index?toAmebaId=ganbaredameomajide
記事はやっつけですが本のほうには今回の話しの本編を書いてます;;
書籍化の話しそろそろ来てくれー::
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