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政治メイン版 元ニートだめ男のブログ

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凶器で人命は救えないけど、武器は救うことができる

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心からのごめんなさいへ -一人ひとりの個性に合わせた教育を導入した少年院の挑戦-/中央法規出版

父はヤクザ、母はヤク中、食事も基本的なしつけもいいかげんな機能不全家庭で虐待され、学校でもいじめられたり先生に見放され、九九や読み書きどころかまっすぐ立つとか基本的なこともできない子供。 
家庭は普通でも、生まれつきで忘れ物が多い、人の話を集中して聞けない、思慮が浅い、人の気持ちがわからないなど発達障害がきっかけで非行に走った子供。 
グレる子は認知に偏りのある子が多いという。 

この本は、少年院での一人一人の個性にあわせた矯正プログラムについて書かれている。 
まずは集団生活のやり方を教え、生活習慣を整える。 
特性を理解し、指導し、罪を理解させ、心から反省させ、二度もしないように更正させる。 
他人の話を聞く楽しさを教えたり、非言語コミュニケーションを学んだり、自分の気持ちを言語化できるようにしたり、自分をコントロールできるような効果的な訓練をする。 
「なぜ俺がこんな所へ入れられるんだ」という被害者意識から「俺はとんでも事をしたんだ」という自覚に変わっていく。 
再犯率低下に成功した話もある。 
(実際の少年院では日々の対応に追われ、個別指導まで手がまわらずにいることが多いという。) 
もともと集団生活に馴染まない子供達なのだから、そりゃ大変だろう。しかし外の学校と同じようにただ集団生活に押し込むだけでは矯正にならない。 
「何があってもひたすら聞いてあげる、受容する」という優しく包み込む教育方法だけではダメで、思いっきり叱りとばし本気でぶつかっていくことも必要なんだなって思った。 

これは本来、学校や家庭でやるべきことではないか。罪を犯してからでは遅過ぎる。 
しかし家庭が荒れていたり、いまの学校での画一的な教育では、このような個別指導は望めそうもない。 
社会では、空気を読まない発言をすれば「和を乱す」「集団のルールがわかってない」「つきあいづらい」と血祭りにあげられる。 
「みんな違っていい」「世界に一つだけの花」というのは上辺だけで、実際の社会は異質なものを排除しようとするものだ。 
先生も根をあげて「もう学校に来なくていい」となってしまうらしい。 
私はクラス分けは成績で分けるべきだと思う。せめて。 
成績の良い子供と悪い子供が同じ授業を受けるのは両者にとって苦痛だろうし。 

良い本だと思うけど、オビに書いてある「本当にダメな人間なんて一人もいない」には同意できない。 
現実には生まれつき良心に欠けた人間もいる。本当に。


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心にナイフをしのばせて/文藝春秋

「高一の息子を無惨に殺された母は地獄を生き、同級生の犯人は弁護士として社会復帰していた!」 

事件後少年は、家裁調査官とのやりとりでこう供述している。「事件をプラスに生かして絶望的になるまいと考えた」と。 
殺害を悔いているとか反省とか謝罪の言葉がどこにもなく、自分を励まし、自分を正当化するために法律の勉強を始めていた。 
その後、少年は、少年法に守られているおかげで、刑事処分もなく前科もつかず、人生を一旦リセットし、社会復帰をする。 
月々2万を30年払うという慰謝料の約束は、勝手に2年で止めてしまった。 
進学し結婚しマンションを購入。その間ずっと、遺族への謝罪はなし、墓参りもなし。 

一方、被害者遺族は時間が止まったように苦しみ続けている。 
腹の底から沸き上がる犯人への憎しみに押しつぶされそうになる。精神的な傷が深すぎて素直に怒りを表現できなかったりする。 
なぜか被害者遺族が後ろ指を指されて噂されたり、無神経な言葉に傷ついたりする。世間は被害者遺族の感情にも無知なのだ。 
ふさぎ込み脱毛症になったり病気がちになったり、何かに依存し始めたり自殺未遂をしたり、何十年も事件に縛られずっともがき苦しみ続けている。 
30年、時が経った。 
被害者遺族は家賃滞納で立ち退きを迫られていた。 
そんなタイミングで、少年Aを見つける。なんと少年Aは弁護士として事務所を構えていたのだ! 
一人の命を奪った少年が、国家から無償の教育を受け、少年院を退院したあとも最高学府に入って人もうらやむ弁護士になった。 
一方わが子を奪われた母親は、今や年金でかろうじてその日暮らしをしている。にもかかわらず、弁護士になった少年Aは慰謝料すら払わず平然としているのだ。 

被害者遺族は動揺した。あんな事件を起こしたのだから、当然生活にも困っているだろうと同情すら寄せていたのに、弁護士とわかって裏切られた気分がした。 
慰謝料の話をすると、少年Aは「少しぐらいなら貸すよ、印鑑証明と実印を用意してくれ、50万ぐらいなら準備できる。」と一方的に電話を切ってしまう。 
本来なら慰謝料を払わなければならない立場なのに、なぜ「貸すから印鑑証明と実印を用意しろ?」となるだろう。 
謝罪の意志がないどころか高圧的な態度だ。理解できない。しかし相手は法律のプロだ。被害者遺族は怖くなってしまう。 
被害者遺族が「なぜ謝りに来ないのか、謝ってくれ」と言うと、「なんで俺が謝るんだ」と言って電話を切ってしまう。 
その後も「今さらなんだ」「話が違う」「誰かに入れ知恵されたのか」と暴言を吐き、以後音沙汰なくなってしまう。 

彼にとってはあの事件はすでに過去の出来事なのだ。加害者少年は早い段階で開き直り、謝罪もせず、前向きに人生の再出発に成功しているのだ。 
少年法の趣旨からすれば、彼は間違いなく「更正」したといえる。 
だが一方で、彼によって奈落に突き落とされた家族は、いまだ癒されずに背負い続けている。 
税金は、加害者の人権にきめ細かく配慮しながら、被害者の遺族には何のケアもせず、彼らを癒そうとする手だてすら持たない。 
なんと不公平なのだろう。被害者でなくとも釈然としない。 

少年法を免罪符に、加害者もその親も責任を免れるとしたら、少年法のどこかが間違っているのである。 
「更正」とは、彼ら被害者が少年Aを許す気持ちになったときに言える言葉なのだ。心の底から「ごめんなさい」を言えないのなら、更正したとは言えない。    


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先日読んだ「女子と愛国」の中で、自衛官が武器について語る印象的なシーンがあります。 

p232~ 
「確かに、凶器は包丁など普段は料理などに使うものだが、武器は戦うためにしか存在していない。その通りだね」頷いた後教官は、初めて手の動きをぴたっと止めて言った。 
「だが凶器で人の命を救うことはできないけれども、武器で国民の命を護ることはできる。自衛官はそういった気持ちで武器を扱わなければいけない」 
武器には確かに大きな殺傷能力がある。だがそれは人を殺すためのものではない。その武器の後ろにいる、大勢の人々を護るために存在しているのだ、と教官は言った。 
武器と凶器の違いなんて考えたこともなかった。でも自衛隊にあるものは、護るためのものだ。この話を女子部屋で伝えると、他の女子予備自衛官たちが言った。 
「本当ね。確かに銃を持つと自分が何かを護る大きな楯になったように思う」 
「普段は銃は楯ではなくて矛の役目のはずなのに、不思議」 
「後ろにいる多くの日本人を護る壁になった気持ちになるよね」
 

女子と愛国/祥伝社

正直ぜんぜん期待してなかったのだが感動した。それぞれの体験談に怒りや涙なしでは読めなかった。 

「日本に誇りをもつ」と言うと、良くない傾向のように語られることが多い。本来自分の国を愛するのは自然な感情なはず。 
ところがネットで愛国的な発言をすると「ネトウヨ」と嘲笑される風潮がある。 
デモなどの政治活動に参加すると、変な中国人にあとをつけられたり、友だちに距離を置かれたりという苦労もある。 
メディアもレッテル貼りをしたがり、「ストレス発散のために活動している」という方向で理解しようとする。 
今までは一方的な、マスコミの偏った報道しか目に触れることがなかった。ネットの登場で、誰もが均等に情報を受けとったり発信することが可能になった。 
これは日本を愛する普通の人と、偏向報道をする反日マスコミとの、情報戦なのだ。 

街頭で拉致被害者のための著名をお願いしていると、「北朝鮮を刺激することになる」「どうせ取り戻せない」「どこの国とも仲良くしなければならない」「どこからお金をもらってやってるの?」と批判されたという。 
一体どうして日本人はこのような思考回路になってしまったのか。 
GHQは日本が二度と戦う意思を持たなくするために、日本軍を解体するだけでなく「反省させて贖罪意識をもたせる」というやり方をとった。 
だから戦後生まれの私達は「日本が悪かった」という教育を受けさせられた。 
具体的には、 
沖縄戦で日本兵が赤ちゃんを殺したなど、日本人の行ったとされる残虐な話を聞かせ、君が代日の丸を否定し、憲法九条を暗記させる授業をする。 
「むかし日本は軍国主義で外国を苦しめた。君が代は天皇陛下のために国民が命を投げ出す世の中が千代に八千代に続きますように、という歌詞。こんな歌、普通は歌わないよね」「憲法九条を改正したら戦争になる。それでも9条を改正したい人は手を挙げて」「自衛官は憲法九条に違反していて平和を壊す」「靖国神社は戦争加害者のことを祀っている神社」「原爆は日本が侵略をした報い」「拉致問題が起こったのは、日本が北朝鮮に悪いことをしたんだから仕方がないんだ」…などなど。 
おかげで「日本兵は中国の女性に乱暴し男性を殺したと学校で習った。中国に戦争に行った経験のある祖父の顔を見れなくなってしまった」 
「ワールドカップでは韓国を応援したい。日本は韓国に植民地支配などで苦しめたから」と言う若者ができた。 
戦前の教育は否定され、建国の経緯についても教えなくなった。 
歴史家のアーノルドトインビーは神話を教えなくなった民族は100年で滅びると言っている。 
日本は2673年前に建国されたのに、学校では、戦前はすべて悪とされ切り捨てられている。これでは自国に誇りを持つことができない。 
靖国の遊就館に行けば元日本兵の遺書が展示されている。そこには国のために家族のために戦うと遺書に書いてある。 
「侵略ではなくアジアを解放するために戦った?」ならあの学校の授業は何だったのか? 
日本は台湾を植民地支配し悪いことをしたと習ったのに、その時代を知る台湾人が感謝の言葉をのべる。「我々は日本人に祖先を敬う心や思いやりの精神を学んだ」と。 

佐波さんが歴史と真実の違いを知るきっかけが興味深い。 
学校教育で「日本兵士は虐殺の犯人」と教えられてきたのに、その加害青年が遺書を書いていたことを知りビックリしたそうだ。 
その遺書には「これから生まれてくる子どもや孫のために死んでいきます」と書いてあった。 
生き残った元兵士に会うと、彼らはとても穏やかで優しく接してくれたが、佐波さんは怖いと思い込み避けてしまった。 
犯罪者と仲良くすることは罪であることのように思えたからだそうだ。 
だが彼らが「弾がほおをかすめた時に、自分の後ろに両親や故郷の祖父母がいることを実感した。ここで敵を食い止めなければいつかこの人達に弾が当たることになる。ならば自分がみんなを護るために喜んで楯になろうと思った」と語ったことを聞いて、 
「日本人はアジアの人々を殺しに行ったのではない。私たちを護るために行ったのだ」と佐波さんは理解することができた。 
彼女はその後も元戦地で日本兵の遺骨収集を続ける。そこには学校で習った戦地の様子「アジアで酷いことを行った虐殺の犯人」はどこにもいなかった…。 
佐波さんは自衛隊の予備兵でもある。そこでニート青年の変化を見る。自衛官と接することで、自衛官だけでなく親にも感謝の気持ちがわくようになったそうだ。 

自衛官の「凶器で人命は救えないけど、武器は救うことができる」という言葉に同意する。 
愛する人のために戦うことを否定するような風潮を正さなければならない。 
そのために、多くの人達に本当の歴史を知ってほしいと強く望む。



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