悪を裁いてはいけません
善も悪もありません
って人が俺のブログにメッセをくれたりする。
この手のメッセが来るたびにあなたの世界にはなくても現実世界にはあるし、子供のしつけで何が良いことか悪いことかを学ぶことはとても大事なことであり、人に迷惑をかけたら叱る(そっちの世界での裁く)ことも大事なことだと言い返すが、そもそも価値観が違うので平行線で終わる。
善悪の判断がつかない人っていい人ではなくてとても怖い人だと思うんですけどね。
なんの罪もない子供が虐〇されて拷〇されても善悪ないとか裁くなって言うのは俺から見たら狂っている思考です。
やられてる人は
助けて
と必死に思っているのに。
裁かれなかった人は同じようなことをするかもしれないし、助けてと言っている人を見捨ててるのにその人は気づいていないのです。
上のTwitterのリンク先はすぐに消されると思うので文章でも残しておきますが無抵抗な子供と親を袋たたきにする人が出ています。
こんな人が裁かれず悪とも思われない世の中こそ平和と真逆の世界に繋がってると思うのは俺だけでしょうか。
戦後教育を受けた我々は、ほぼ例外なくこのような物語を聞いた事があるのではないでしょうか。
「もし戦争になっても、私は戦争反対を訴えるわ。あなたも戦っちゃだめよ」
「悪い事をした日本は、各国に謝らなければいけない。日本が軍事力を持つのは軍国主義の復活。周辺国を占領するに決まってる」
「暴力はいけない。私は暴力しない平和主義者です」
こういう事を言う人は確かに立派に見えますしかくいう昔の俺もそうでした。
こちらが痛みに耐えれば争いは終わるのだと…。
でも騙されてはいけません。
このような事を言う人は9条を守る気はあっても人命を守る気はないのです。
例えば暴力をふるってくる人がいて彼らはどうするかというと何もしない。
助けない。いじめも見て見ぬフリで君が我慢すれば収まるといった教師もいたそう。
教育現場は9条や平和を守ろうと言うけど悪との戦い方は教えない。
その結果、何をされてもひたすら耐えて声をあげない日本人ができあがってしまった。
元々耐えしのぶ気質のある日本人だが今と昔は質が違う。
耐える事でしか戦いや自己主張が出来なくなっている。
拉致問題も日本人が我慢すれば収まるからと言い返されたそうだ。
昔の日本人の気質なら拉致や竹島問題では断固として戦っていたであろう。多くの日本人の命、そして領土が実際に失われてるのだ。
要するに現代日本版平和主義者【お花畑】は、見て見ぬふりをする傍観者を育て上げてしまっている。
これはやめたほうがいい。間違ってますよ。それを言えば相手が(争いに向けて)さらなる反応をするかもしれない。
結果として被害は収まる事なく、被害者だけが更に泣きを見る社会が出来上がる。 さらにこういった話しが続く。
「私は黙って殺されます」
「もし攻撃されたら、無抵抗のまま痛みに耐えて死んでいきます」
彼らは自国を守ることに関心がない。攻撃されたら死ねばいいと言っている。
このように闘う意志がないのは、平和主義ではなく敗北主義という。
例えば、ある犯罪に巻き込まれた場合、あなたはそのまま被害者になるだろうか。
凶悪で自分だけでなく、家族にも害が及びそうな場合はどうだろうか。
戦う事で自分だけでなく他の人の命も守る事が出来る。
ここで戦わないのは、更なる悲劇を生むだけだ。- それを耐えろと言われたらどうだろう。
- まわりが見てるだけならどうだろう。この話しのおかしさに気付いて貰えるだろうか。
この教えでは、この場面では黙って殺されろ。なのである。
守れるものを守らないまま敗北するのは平和主義ではない。 - 平和どころか争いが連鎖していくだけだ。彼らは新たな獲物を探すだけである。
しかし、多くの日本人はこれが平和とは真逆の理論だと気づかない。 - この理論が平和の理論だと思う人は騙されやすい人で、騙されやす過ぎて、自分が騙されてることすら気付かない。
これを学校で教えている恐ろしさにも気付いていない。
真に恐ろしいのは、無抵抗で戦う意志のない人を、子供も、女も、家族も、何もかもを殺そうとしている相手側だとなぜ気づかない。
殺す事を、相手が過去~したからだとか、これからするかもしれないなど、言い訳をしてまで、殺そうとしている怖さにも気付いていない。
これから行うかもしれない人、ただの疑いをかけれらた人、しかし、実際には何もしてない無抵抗な人で、これから反撃する意志もない人と、実際に今こちらに牙を向け殺そうとしている人はどちらが危険かわかってない。
女、子供を平和のために投げ出す薄情さにも気づいていない。
どんな生物も、あなたが可愛いと思っている犬や猫、鳥やどんなに可愛い小動物も、我が子を守るためなら、自分の何倍もある敵に向かう。怖い。 - 怖いけれど我が子を守るために戦うのが親の本能だ。
その本能を捨て、我が子を守らず死ぬこと、差し出すことの意味がわかっていない。
今まさに無抵抗の者を罪悪感もなく殺そうとする側を攻めるのではなく、反撃するなと言う側のおかしさに気づいていない。
大切な者のために犠牲になるのではなく、見ず知らずの殺戮者のために無意味に死ぬことが平和だと言っているおかしさがわかっていない。
日本人は、日本でそれが起きると考えると異常に寛大になるというかバカになるので、他国の場合で例えてみる。
上の理論を信用している人は今すぐ紛争地域に行くべきだ。 - 紛争地域は世界中にある。そこで日本が信じる平和をもたらす理論を宣教師のように広めよう。そこでこう叫んで欲しい。
敵が攻めてきたら戦わず逃げてください。逃げきれない場合は、無抵抗で死んでください。
子供にもそのように言ってください。子供も恋人も守る必要はありません。無抵抗の大事さを教えて下さい。
戦うことは争いの連鎖を起こします。それを起こさないためには、戦わず逃げて下さい。逃げれない場合は、無抵抗で死ぬのが平和です。
日本の9条を見習い、無抵抗平和主義になり、国から軍隊を無くしましょう。
日本でそれが行われるとすんなり受け入れるのが日本人だ。しかし、他国でこんな事を言う人がいたらどう思うか。
感想は人それぞれだけど、これを紛争地域で言ったらまともな人に見えないでしょう。
そこに平和はなく、自分が住む土地や国が無くなり、人命がなくなるだけなのは子供だってわかる。 - 平和の真逆の結果しかない。
しかし、平和をかざして会話をすれば馬鹿になるのが日本人であり、上の理論を平和の理論と信じているのが今の日本人だ。 - 平和とは真逆の悪魔の理論なのを納得してもらえただろうか。
真の平和主義なら守るべきものを守る力を持ち、有事の時にはそれを発揮する力を保有しつつも、平時は寛大で優しい心を持って過ごすべきだ。
争いは私達の気持ちとは関係なく発生する。
それに対する備えを持つのは何も悪い事ではないし、彼らの理論がまかり通るなら警察署もいらなくなる。
ところで、自分達が痛みを受ければ争いが止まるというのは、実はとても日本人らしい発想ではないかと俺的には思う。
豊臣秀吉が清水宗治という武将を攻めた時、自ら腹を切れば民は助けると秀吉が言う。
それらなばと清水は腹を切るが、敵ながらあっぱれと言うほど潔い切腹であった。
民のために腹を切る(痛みを引き受ける)のは、この例だけにとどまらない。かくいう昭和天皇も民のために殺される覚悟があった。
天皇に戦争責任はない
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/33852306.html
日本人同士なら痛みを引き受け、争いを止める事が出来るかもしれない。 - しかし、文化の違う他国との戦争ではそれはなりたたない。
こういった本は、戦後教育のあとに多く作られた。
実は、占領下にある民族を教育しなおすというのは珍しい事ではなく、世界でも、日本の戦国武将も普通にやっていた事である。
新しい領主が素晴らしく、前の領主がいかにダメだったかを教育するのだ。
この地球平和主義教育もまさにソレだ。
とても平和に見えるこの本の内容。それを敵国の思想を持つ人が書いたとしたらどうだろう。
敵側から見れば
我々が攻める時は、日本人は無抵抗のまま殺されるべきだ。に化けるのである。
日本人はもっと自国を守る意識が高め、闘う勇気を持たせる教育をしなければならない。
でなければ、いじめられたり侵略された時に自殺か滅亡するしかなくなるだろう。
今日の記事関係はこちらのほうがよりわかりやすく書いてます。
念仏で戦争を追い払えるか
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/34293740.html
このままでは彼らと同じ道を辿ります。
「魚介類が豊富で、湖にはウナギが群がっていて、カラカの実が鈴なりの島……しかも大勢いる島民は、戦うことを知らず、武器を持っていない」という知らせを、ニュージーランドにむかう途中でチャタム諸島に立ち寄ったオーストラリアのアザラシ漁の舟がもたらし、九〇〇人のマオリ族がチャタム諸島へむかって舟を出したのである。
一八三五年十一月十九日、ニュージーランドの東五〇〇マイル(約八〇〇キロ)のところにあるチャタム諸島に、銃や梶棒、斧で武装したマオリ族五〇〇人が突然、舟で現れた。
十二月五日には、さらに四〇〇人がやってきた。彼らは「モリオリ族はもはやわれわれの奴隷であり、抵抗する者は殺す」と告げながら集落の中を歩きまわった。数のうえで二対一とまさっていたモリオリ族は、抵抗すれば勝てたかもしれない。
しかし彼らは、もめごとはおだやかな方法で解決するという伝統にのっとって会合を開き、抵抗しないことに決め、友好関係と資源の分かち合いを基本とする和平案をマオリ族に対して申し出ることにした。
しかしマオリ族は、モリオリ族がその申し出を伝える前に、大挙して彼らを襲い、数日のうちに数百人を殺し、その多くを食べてしまった。生き残って奴隷にされた者も、数年のうちにマオリ族の気のむくままにほとんどが殺されてしまった。
チャタム諸島で数世紀のあいだつづいたモリオリ族の独立は、一八三五年十二月に暴力的に終わりを告げたのである。 マオリ族の兵士はこう説明する。
「われわれは、自分たちの慣習にしたがって島を征服し、すべての住民を捕まえた。逃げのびた者は一人もいない。逃げた者は捕まえて殺した。残りの者も殺した。それがどうしたというのか。われわれは、自分たちの慣習にしたがって行動したまでである」 ジャレド・ダイアモンド著『銃・病原菌・鉄』P77より-
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犬養毅は『話せばわかる』と自分の命を取りに来た人に語り掛けたが話し合いになることなく殺された。
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ブラックケトルというシャイアン族の長は、部族が虐殺されるのを目の当たりにしても白人との和平を望んでいた。
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彼のテントには白旗がかかげられており『友達だ!友達だ!』と叫んだが、それは無視され機関銃でハチの巣にされた。
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その後、白人どもに女子供問わずなぶり殺されたその様と同じような未来を、我々が受けることが正しいと教育している日本は狂っているのに多くの人は気づいていないです。
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- 不当行為には断固抗議せよ
周りと協調して生きることは非常に大切なことである。
しかし、それは正当な相手に対してである。
不当な相手、不当な行為に対しては断固抗議しよう。
自分さえ我慢すれば・・・の姿勢が一番よくない。
その低姿勢が、相手の攻撃心をさらに助長させる。
ユダヤ式交渉術」より転載
別記事過去記事
瀬戸内寂聴氏の安保法案反対集会に参加で石平氏が提案
集団的自衛権の行使を可能にすることを盛り込んだ安全保障関連法案に反対する集会が6月18日、東京・永..........≪続きを読む≫
瀬戸内さんが軍靴の足音がすぐ後ろに来ているとして安倍政権を批判した。
彼らは戦争に反対しているのではない。
反日勢力は意図的に日本が戦争できない国=自分を守れない弱い国にしようとしている。
お花畑は武力放棄の行きつく先が、チベット化にあることをわかっていない。
戦争に反対する気があるのなら、平和を願うのなら、現在進行形で乗っ取りや虐○を行っている国に対して抗議を行うべき。
しかし、お花畑は敵と味方がわからないため、平和のための行動もおかしいことになってしまう。
このような平和主義者が戦争を逆に呼び込むとも知らずに。
このことに関して過去記事と合わせて再アップ。
軍靴を鳴らしているのは日本ではなく周辺国である。
日本がとろうとしているのはそれらに対する防衛だ。
彼らは靴なんてレベルではなく、実際に実力行使に出てチベット、ウイグルだけに留まらず、その覇権を世界に広げようとしている。
中華思想は同等は認めない。
弱所があればそこを攻め奪い、弱者がいれば救済ではなく虐殺してきた歴史がある。
それを現在進行形で行っていて、日本は明確なターゲットにされている。
それを軍事力以外で防ぐことは不可能だ。
いや、話し合いでなんとか出来ると言う人がいれば、南沙諸島に行け。チベットに行け。解決出来たらノーベル平和賞はあなたのものだ。
現実からあまりに乖離した理想論は、形を変えた破壊論でしかないのを多くの人が認識していないのだ。
そして多くの人が勘違いしているが、戦争に巻き込まれようとしているのは日本ではない。
日本は完全に戦争のターゲットにされている。
巻き込まれているのではなく既に当事者なのである。
今回の件は、日本とその他周辺各国との戦争に「アメリカが巻き込まれる恐れがある。」というのが正しいと思う。
アメリカの世論が「日本には助ける価値がない。」と判断すれば、我々は第二のチベットになる未来がすぐそこに待っている。
チベットで苦しみ焼身自殺している人や、虐殺されている多くの人々が、日本の平和主義者には見えていないのだ。
これが未来の我々の姿になるかもしれないのに。
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<長崎原爆の日>「誓い」の城臺さん「武力で平和守るの?」
(毎日新聞 - 08月09日 12:40)
あえて引用記事載せてないですが、タイトルだけで腹いっぱい。
日本は核兵器を持ってないない。
しかし、お隣中国では「日本に向けて核を打つ仕組み」が出来ている。
日本に向けて現在進行形でミサイルを打つ国もある。
でも、日本の平和主義者は決して彼らに向かって「打つな」「核を持つな」とは言わない。
日本に向かって持つなという。
彼らに向かって敵意を向けるなとも言わない。
日本に向かってそれを言う。
平和を愛してるなら「実際に敵意と兵器」を持つ側に言うべき。
しかし、彼らの精神は終始一貫している。
日本が平和のために犠牲になることが正しいと思っている。
だから、こちらが痛い思いをすることをなんとも思っていない。
社会党は1950年代の内部の集会では「非武装中立というスローガンで日本の防衛力を封じ、ソ連軍あるいは中国人民解放軍の日本国内導入をもって日本を社会主義国化させる」と公言していた。
共産党と社会党は、ポーランドやルーマニアなど東欧がソ連軍の侵攻占領によって共産化したことを、日本のモデルケースにしていた。
ある共産主義の教授は、「ソ連が攻めてきたら、まず白旗を上げて降状し、次に赤旗を上げてソ連のような共産主義国になろう」と主張していた。
国的自衛権の行使不可、自衛隊海外派遣反対、非核三原則、専守防衛、社共両党以外における与野党のこれらの主張や政策の根源にあるものはただ一つ、すなわち「日本を共産国家に占領してほしい」という売国思想をそのルーツとするものだが、彼らはそれを自覚さえもしていない。
ルーツは忘れられたが、その精神は日本の「教育」にしっかりと刻まれている。
マルクスの『共産党宣言』の結びの言葉には 「共産主義者は、全てのこれまでの社会的秩序を暴力的に転履することによってのみ、自分の目的が達成され得ることを公然と宣言する」とある。
どこが平和主義なんだかわからないのだが、これが今の日本の平和主義の根幹の考えである。
しかし、もちろんこのようなことを「公言」するはずもない。こんなことを口走れば「警戒」されるに決まっている。
だから、平和な言葉で日本人を誘導し、見えない力で日本人を偽りの平和主義者に変えていく。平和な言葉なので疑われずすんなり教育できる。
非武装でいましょう。かわいそうな移民を救いましょう。これは形を変えた日本弱体化政策でしかないが、情に弱い日本人は「ごもっとも」と納得してしまう。
本来警戒が必要だが、悪に対していかに「信じること」が重要か教育されており、疑うことが悪とされてるので、日本人の思考は停止している。
社会党は「凶器を持って押し入ってくるのは、空き巣やコソ泥ではなく強盗。
強盗は鍵がかかっておろうとおるまいと、錠前なんかは打ちこわして侵入してくる」とのべて自衛隊は無意味で不要だと説いた。
さらには「強盗に押し入られたとき、私たちは『抵抗せよ』と教えたり教えられたりしているでしょうか。
この場合の抵抗は、死を招く危険の方が強いことを誰もが知っています」 「思いきって降状した方がよい場合だってあるのではないか」と説いている。
つまり
日本における反戦平和主義とは、国民「見殺し」主義に他ならない。これを無自覚に平和のために受け入れいてる。
これを学校で教えているのだから、争いや問題があっても、何も言えない、行動も起こせない、見てみぬふり、悪が改善するまでの痛みは仕方ない、移民受け入れよう、日本を守るよりも痛みを持って耐えようとか、書ききれないほどの「嘘の平和」が日本に蔓延する。
悪に対して用心しよう、注意しよう、戦おうとはならず、もてなそう。信じようとなる。たとえ痛みがあろうとも、その痛みに耐えるのが「平和」になる。
心理学的には自殺と他殺は紙一重でほぼイコールだと言う。死にたい人は同じくらい殺したい人がいるというわけだ。
では、無抵抗平和主義の人はどうだろう。彼らは決して死にたいほど憎い人がいるわけではない。
しかし、敵のために死ぬことを受け入れている。正義のための痛みは当然と思っている。
自分の痛みに鈍感なのだから、他人の痛みに対しても鈍感になってしまう。
そうして日本の平和主義者は、平和の名の元に「無自覚に、善意で」平和を壊していく。
無抵抗平和主義は平和を呼ばない。無抵抗を決意した時点で敵側がかえって攻撃心を強める。戦いとは強きもの達の中ではそう簡単に起きるものではない。
一方が「これはいける」と思う「隙」がある時や、争い以上の利益がある時に戦争が始まる。
日本の無抵抗主義や、豊富な資源(特に海洋資源スゲー)は格好のターゲット以外の何物でもないのを自覚してお花畑から脱出すべき。
戦う悲惨さばかりを教師は教える。それは一見正しいように思われる。しかし、戦わず占領されたほうが遥かに残酷なのを教えないことこそ残酷なのだ。
チベット、ウイグルに幸せがあるだろうか。平和のためにも守る気持ち、戦う気持ちは大事なのだ。無抵抗では何も救えない。
と、言っても日本人の多くはこの声が届かないほど完膚なきまで洗脳されてるので、日本の未来は限りなく暗い。
平和主義という名の洗脳
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最終目標は天皇の処刑 中国「日本解放工作」の恐るべき全貌
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『日本という国が地球上から消滅することもあり得る』byアメリカ国務省関係者
http://ameblo.jp/ganbaredameomajide/entry-11933292938.html
ブログ何度も引っ越してすいません
ライブドアが落ち着くのでライブドアに戻ります。
引っ越し先