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力なき正義は無力である

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森永卓郎氏は、2011年1月1日の東京スポーツに、勝間和代氏の対談にて以下のように持論を展開した。 

「私は日本丸腰戦略というのを提唱しています。軍事力をすべて破棄して、非暴力主義を貫くんです。仮に日本が中国に侵略されて国がなくなっても、後世の教科書に『昔、日本という心の美しい民族がいました』と書かれればそれはそれでいいんじゃないかと」。 

あるんですよ、そんな国、部族、文明が。 
マヤ文明、カルタゴ、モリオリ族など。 


「魚介類が豊富で、湖にはウナギが群がっていて、カラカの実が鈴なりの島……しかも大勢いる島民は、戦うことを知らず、武器を持っていない」という知らせを、ニュージーランドにむかう途中でチャタム諸島に立ち寄ったオーストラリアのアザラシ漁の舟がもたらし、九〇〇人のマオリ族がチャタム諸島へむかって舟を出したのである。 
 一八三五年十一月十九日、ニュージーランドの東五〇〇マイル(約八〇〇キロ)のところにあるチャタム諸島に、銃や梶棒、斧で武装したマオリ族五〇〇人が突然、舟で現れた。十二月五日には、さらに四〇〇人がやってきた。彼らは「モリオリ族はもはやわれわれの奴隷であり、抵抗する者は殺す」と告げながら集落の中を歩きまわった。数のうえで二対一とまさっていたモリオリ族は、抵抗すれば勝てたかもしれない。しかし彼らは、もめごとはおだやかな方法で解決するという伝統にのっとって会合を開き、抵抗しないことに決め、友好関係と資源の分かち合いを基本とする和平案をマオリ族に対して申し出ることにした。  しかしマオリ族は、モリオリ族がその申し出を伝える前に、大挙して彼らを襲い、数日のうちに数百人を殺し、その多くを食べてしまった。生き残って奴隷にされた者も、数年のうちにマオリ族の気のむくままにほとんどが殺されてしまった。チャタム諸島で数世紀のあいだつづいたモリオリ族の独立は、一八三五年十二月に暴力的に終わりを告げたのである。 
 マオリ族の兵士はこう説明する。「われわれは、自分たちの慣習にしたがって島を征服し、すべての住民を捕まえた。逃げのびた者は一人もいない。逃げた者は捕まえて殺した。残りの者も殺した。それがどうしたというのか。われわれは、自分たちの慣習にしたがって行動したまでである」 
ジャレド・ダイアモンド著『銃・病原菌・鉄』P77より

クリップ日本によく似た国がありました 


日本は現代のカルタゴ=滅亡

http://ameblo.jp/ganbaredameomajide/entry-11882584175.html 



相手があくまでも侵略の意志を固めている場合、公正な解決を求めて平和的手段に訴えることがいかに弱いものであるかは、歴史の教訓に明白に示されている。この教訓に疑問を投げかけるような例外は、史上に知られていない。 



歴史は勝者によって作られる。情報統制と焚書の後「日本人は悪だったので滅ぼされた」と中国の教科書に書かれるだけ。 


アメリカの教科書なら「昔、周辺国家が情勢不安定な上に領海侵犯も日常茶飯事だったが、なぜか軍縮を重ね、結果として主権を失ってしまった国家があった」と書いてくれるかもしれないが。 


そもそも侵略されることの実態に対する想像力と知識の無さに呆れる。 


台湾やチベットの惨たらしさを知らんのか。一瞬で殺されるんじゃないんだぞ。

 

我が娘が目の前で強姦されているのを無抵抗で見ているということだぞ。 



この人、TVタックルで「仮にとんでもない奴が攻めて来たら、もう黙って殺されちゃえばいいんだと思うんです」 「戦争になったら自分はアメリカに逃げる」って言ったこともある。


他のよく護憲派の方々も似たような発言をしている。 
http://www.youtube.com/watch?v=2HahQT74WMg 

「殺されても殺さない覚悟を」… 
他国の平和団体は国防を考えるのだが、日本の平和団体は背後で敵国と繋がっているので、敵国の危険性を軽視し、自国の自衛を放棄し丸腰になろうとする。 

 


こいつらは敵だからこそ日本を丸腰にしたがるのだ

◆沖縄の二大新聞が「琉球新報」「沖縄タイムズ」という反日左翼紙 中国と朝鮮工作員の巣◆ 
沖縄に大量に入り込んだ本土の左翼組織の歴史と、彼らの犠牲となる沖縄住民達・・・ 
左翼の巣窟として知られる沖国大の教授達は、沖縄県内で約91%のシェアを占める地元二大新聞が左翼紙の 「琉球新報」 「沖縄タイムズ」 で、これに頻出する。教授達の名は、安仁屋政昭、石原昌家、吉浜忍、佐藤学等々と左翼活動家の面々だ。彼らの煽り立てる偏向左翼記事が沖縄左翼紙を飾っている。さらに選挙になれば左翼に都合のいい記事で埋め尽くされる。 
1972年復帰前の1967年前後から復帰運動が「反戦復帰」を唱えてラディカルになると同時に、本土からさまざまなセクト、新左翼が沖縄に入ってきた。特に、67年2月に起きた教職員の身分保障と政治活動の制限や勤務評定の導入を盛り込んだ「教公二法」阻止闘争事件を境に、沖縄などには関心がなかった本土の新左翼が大挙して沖縄に、左翼の草刈場として本土から入ってきた。なかでも中核派は琉球大学を拠点にして、沖縄の新左翼を作り、学生運動をリードしていた革マル派に対抗した。また、中核派は沖縄の本土復帰を念願した昭和天皇の意図を無視する形で、「血債」(日本人は民族総体として沖縄県民に血の債務を負っているという)の思想のもとに反天皇運動を展開した。 
本土復帰という沖縄県民の悲願に対して、復帰運動を利用して新旧の本土左翼組織が沖縄に根を張り、沖縄に左翼思想を作り上げた。本土の左翼組織は教職員組合、労働組合、マスコミと左翼が潜入。その意味で、本土復帰後今日まで沖縄県民は、言論空間において本土から来た新旧の左翼組織の犠牲となったと言える。 
沖縄県左翼知事や県議会の多くは、沖縄のルーツは中国福建省だと所かまわず公言する左翼工作員だらけだ。長年に渡り沖縄から中国福建省に多額の資金が送られている。その資金は全て日本政府が沖縄に長年提供した金だ。その金が沖縄住民に使われず、中国福建省友好という名の下に、左翼県議会は勝手に中国福州市の空港建設に資金を流した。こんな事は一例に過ぎない。 



日本人に有事の心構えが無いのは、 「誰かが何とかしてくれる」という 当事者意識の無さや甘えが根底にあるので、褒めるとこじゃありませんよ、

このような事を言った人がいる。

>外国から侵略されたらどうするかという問いに、何らかの抵抗をするという単純な答えをするのではなく、「分からない」と答える国民がたくさんいることが日本という国の特徴であり、魅力であると考える。言い換えると「弱さの力」みたいなものを哲学し、逡巡している姿こそが日本そのものではないだろうか。そんな日本の精神的土壌を失うことが、一番の国益の損失である。 

何を呑気な解釈してるのやら。 


とは言いつつ実は私も似たような思いを持ち、「反日で賑わっている時期に韓流スターを韓国まで追いかける日本人」を「嫌われてても気にせず、こちらは愛情を向け続けている事はいいことだ」と言い、そんな日本人の姿をいじらしく感じたものです。 




さらに、 

「戦争はやり返さない覚悟をすることで防ぐことができる」「報復合戦になってしまうから、悪循環を断ち切る勇気を」「こちらが悪意や武器を持っているから相手が警戒するのだ」「侵略されても、痛いよ止めてよと言って死んでいけば国際社会から同情されてもらえる」 
とまで言ってました。 



それは勘違いだと今は思う。 
むしろ逆で、 国際社会では弱さや隙を見せることはタブーなのです。 



世界がいっせいに無防備主義を決意して実行すれば平和になるかもしれないけれど、現実には多種多様な価値観があり、そうはならない。 そんな現実の中で、日本だけが無防備になればハイエナに襲われるだけなのです。 



たとえば、目の前に大金が落ちてて誰も監視してない状況であれば盗みたくもなるでしょう。

 

   


 

 

裸の女性が電車に乗ってたら触りたくもなるでしょう。 

これは犯罪を誘発していると言えます。 

犯罪させないためには鍵をかけなければならない。 



憲法9条みたいな丸腰宣言は襲ってくれと誘っているようなもんです。 

とくに中国の前で弱さを見せることはタブー。 


彼らの感覚では周辺国はすべて属国なんだから。弱ければ襲って奪うのが当然。 


水資源や海底資源が豊富でこんなに弱い国が目の前にあったら、中国は侵略したいという誘惑にかられる。 


隣国が領土欲や民族意識や国家意識が強烈なのに、日本人にだけそれらがなく、弱さが魅力だからといって弱いままでいたら、 資源も領土も横取りされて経済的奴隷にされるだけですよ。 

だから一刻も早くそんな「弱さが魅力」などと言ってないで、意識改革した方がいい。 


まずは9条改正です。 


そして「力なき正義は無力」だと知るべきです。 



日本は中国に対して、戦争をさせる口実を与えないためにも隙を見せるような事があってはならないのです。


 
 

 

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