最近この記事のアクセスが多いのですがなぜだろう。再アップしてみました。
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毎度誰も似たようなことを言っていない俺なりの平和理論を書きます。
何度も言ってるが、俺のようなカスがこれを思いついたところで影響力皆無だから、著名人がぱくって良いので、自分の言葉として言ってくれ。
では、自己満足オナニー記事を書きます。
「仲良くしよう」
この言葉は、誰が聞いても平和的な言葉だと思う。これを疑う人は少ない。
しかし、この言葉は敵を味方と勘違いさせるだけでなく、味方が敵を喜んで受け入れ「助ける」ことまでするようになる「敵にとって最高の言葉」になる。
言ってる意味がわからないと思うので、別の角度から見てみよう。
A国がB国の侵略を狙っていたとする。
A国は日頃からB国を敵国として、憎しみの対象にするべく、ねつ造も交えて国をあげて教育している。本当に徹底して国民がB国を恨むように教育する。
しかし、B国はA国を敵視していない。
そのような教育をしているのが「わかっていても」興味が無いとする。
つまり「憎しみの一方通行状態」になっていたとする。
この状態なら、A国の人がB国に入国したら、B国の人をいじめたり、何かしらの迷惑行為をやってもおかしくない。
入国しなくても、国外に向けてB国を陥れる活動を頑張ってたりして、B国の中でもさすがにA国が危険だとわかる人が出てくる。
「もっと慎重になるべきだ。国交も断交すべきではないか」と言う人も出てくるだろう。
「彼らは危ない」と声に出す人が出てくるのは自然の流れとも言える。
しかし、これを実際に「彼らは危ない人達です」と声に出したらどうだろうか。絶対に差別に見られて敵味方から攻撃される。
なぜなら、B国の多くの人はA国を敵視していないから。敵だと思っていないから、攻撃するのは駄目なことだと思ってしまう。
仮に両国が憎しみあっているなら、警戒の声をあげることも出来るだろう。でも、これが一方通行になるとそうもいかない。
多くの人は、仮に相手が憎しみを持っていても、こちらが思いやりを持っていれば、それが溶解できると思っている。
しかし、違うのだ。
相手が絶対に仲良くならない決意をしている場合や、その後の侵略の計画を立てている場合は、憎しみは絶対に溶解されず、こちらが良い子でいるのは「相手にとってのみ」都合がよくなる。
つまり、相手が明確な敵意を持っている場合、「仲良くしよう」の言葉を受け入れれば、B国には「損しかない状態」になる。
「良い人もいれば悪い人もいる」
確かにそうだ。
しかし、私達は誰が悪い人で誰が良い人かわからない。
仲良くしようと言ってる人が本当に仲良くしようとしている人なのか。その逆なのかは言葉だけでは判断できない。
普段の行いが良い人だとしても、優秀なスパイなら良い人を演じる。
誰が良い人で悪い人かわからないし、国をあげて憎しみを植えつけているなら「警戒の声をあげるのは当たり前」なのだが、これは絶対に理解されていない。
なぜなら敵視していないなら、警戒の声は、ただの悪口に聞こえるからだ。
実際に良い人であっても、敵国が憎しみを植えつけるのをやめない限り、敵側を守る行為をすることは、敵が潤い味方が減る状態を意図せず作ってしまう。
本当に良い人を守る行為すら、結局は自分の首を絞める行為に「勝手に」繋がってしまう。
ではどうすれば良いか。
「仲良くしよう」という言葉は、その憎しみを作っている「根本に」言わねばならない。
この場合なら、A国に、A国の人が「B国と仲良くできるようにしていきましょう」と言うようにしなければならない。
B国の人も「仲良くしたいけど、A国が私達の国を悪者にしているし、事件も起きてるから、A国側にも仲良く出来るようにあなた自身も言ってもらえますか」と言えるようにならねばならない。
その時にA国側の人が動いてくれるなら問題ないが「それは出来ない」と言うなら、これからも憎しみが増え続け、その人の意志とは無関係に敵が潤い、味方が衰退するだけに落ち着く。
出来ないと言われた時は、警戒をといてはならない。
彼は右手で握手しながら、左手に見えない殺意の刃を隠している。もしくは出来ないと言えるほど、国が憎しみの末期症状なのだ。
これを警戒しないほうがおかしい。
「私達は憎しみを消す努力をしますので仲良くしましょう」と具体策を言いながら、自国にもそれを求める「仲良くしよう」は本物だ。
それが出来ないなら、憎しみの一方通行が続く。
憎しみを消すには憎しみの根本に向かわないと、世の中がおかしくなる。
私は、虐待されていた人が、憎しみの末に虐待していた側を攻撃するのはアリだと思う。襲われた場合の正当防衛もそうだ。
しかし、今は「虐待されていたような辛い環境にいたのね。このようなことをするほど辛かったのでしょう」と、全く無関係の人を殺したりした場合「被害者側が許さなくても」まわりが勝手に許してしまう。
その同情の感情を、被害者に向けるだけでどれだけ世の中が変わるだろう。
今はあらゆる面で、本当に救われる人が救われず、耐えるべきではない痛みに耐える状態が生まれている。それに多くの人が気づいていない。
アルカイダにいた人が、アメリカで重役になれるか。
平気で米国に入れるか。
これを拒否したらまわりが咎めるか。
みんな当たり前に警戒してるのではないか。警戒せず受け入れようと言う人がどれだけいるだろうか。
敵側が明確な敵意や、それなりの過去の実績があるのなら、警戒は差別にならない。むしろ警戒しないほうが生物としておかしい。
その警戒が溶ける日はいつか。
答えは一つ。
敵側が殺意の刃を置いた時だ。
しかし、日本人にはそれが最も難しく、理解できない課題であると思う。
彼らには敵意を持った人が近づいてくるように見えていない。
敵意を植えつけられた可愛そうな人が来てるから助けるべきた。に見えている。
何一つ咎められることのない、素晴らしき善意、思いやりが、敵側が明確な敵意を持った場合は、敵の養分にしかならない。
敵側が殺意を抱いているなら、それを招き入れるのはトロイの木馬をいれることに他ならない。
敵が「ぶっ殺すから」と言って入ってくるわけがない。
敵を敵と認識させるのは三流以下だが、敵が殺意を抱いているのがわかっていながら、敵とも認識できないのは三流以下どころか、頭に花が咲いて、脳みそをぶっこわして狂ってしまっている。
そして国民全体の脳みそがぶっこわれてるのが今の日本である。この先に平和があるわけがない。
敵を認識できない国民は「仲良くしよう」と言う言葉により侵略され、滅びの道を歩んでいく。これは日本に限らず全世界共通である。
我が国以外は全て仮想敵国である。チャーチル
愚か者でないかぎり、誠実であることは危険である。バーナード・ショー
悪い人間に親切をすると二度ひどい目にあう。金を失って、しかも感謝されない。テオグニス
貧しい兵士にとって最大の報酬は、丸腰の何もできない金持ちの男だ。
忍耐と寛容をもってすれば、人間の敵意といえども溶解できるなどと、思ってはならない。
報酬や援助を与えれば、敵対関係すらも好転させうると、思ってはいけない。マキャベリ
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